01Short Story特典SS
【特典SS】悪女矯正計画 2
やあ諸君、久しぶりだな。あれからいかがお過ごしだろうか。
こうしてまた語るに当たり、まずは俺の名前から名乗るべきだろう。そうだ。俺だ。アーヴェル・フェニクスだ。
なんでお前がまたしゃしゃり出てくるんだと言いたいよな。俺だってそう思う。だって話は綺麗に終わったはずじゃなかったのか、と。まあ、それはそうなんだが…………。うん、まあ、いいじゃないか。とりあえずちょっと聞いてくれ。
それから先の話をするつもりはないと格好をつけて言った手前、こうしてまた話すのも微妙に気まずいのではあるが、どうしてもこれだけは話しておきたいんだ。
結婚してからの話だ。いや、惚気話じゃない。
なんというか……ああ。言うが。
―――嫁の飯がゲテモノだった。
……いや、違う。違うんだ。そもそもだ。
そもそも北部の屋敷には昔から料理人がいて――以前の世界じゃ俺と一緒にセラフィナの魚嫌いを矯正しようと共闘した仲間であるその料理人がいて、それに加えて料理も兼任する使用人が数人いるのだから、俺たちが料理をする必要は本来ならばない。
それをあいつが、可愛い可愛い俺の妻が、何を思ったかこう言い出した。
「わたし、教会で暮らしている間に、料理ができるようになったの。すっごく美味しいんだから! せっかくだし、アーヴェルにも食べてもらいたいな」
愛しい彼女に満面の笑顔でそう言われては、断ることなどできないのが俺である。
んん。これじゃあ話が飛んでるよな。その前から話すべきだったかもしれん。
結婚式の話はしているよな。自分で言うのもなんだが、あれは実に感動的で良い式だった。
あの式が終わって、そのまま新婚旅行を決め込んだ俺たちは、数カ国ほど気ままに周遊することにしたんだ。言っておくがその旅行自体は楽しかった。詳細を伝えるのは勘弁してくれ、二人だけの思い出にしておきたいんだ。
ともかく話したいことというのは、その旅行中、異国情緒あふれる海沿いの都市のバザールに立ち寄った時の出来事だ。漁業が盛んなその土地で取れた鮮魚が店先に並ぶ様を見て、セラフィナは大きな目を輝かせて言った。
「わあ! 見てアーヴェル! とっても美味しそう!」
その言葉にぎょっとしたのは言うまでもない。
「おいセラフィナ、お前、魚嫌いだったろ」
幼いお前の好き嫌いを克服するため労力を注いだのは誰だと思ってるんだ。そう問うと、ケロリとした表情で答えられた。
「だって海沿いで暮らしていたのよ? お魚ばかりだったもの。食べてたら好きになっちゃったの」
俺が知らないうちに苦手を克服していたことに若干の寂しさと嫉妬を覚えつつも、そうなのかと話を合わせていると、再びセラフィナはいたずらっぽく笑った。
「なんちゃって。本当はね、小さい時のこと、よく覚えているの。アーヴェルがわたしのために一生懸命料理を考えてくれていたことよ。今の世界のことじゃないけど、すごく嬉しかった。あれで、お魚も食べられるようになったんだもの。お魚を食べるとアーヴェルのこと思い出すから、幸せなの」
愛おしさが込み上げた俺はセラフィナを抱き寄せ口づけを――……うむ、これこそ惚気である、忘れてくれ。大事なのは次にセラフィナが言った言葉の方だ。
「そうだ! わたし、南で暮らしている間に、料理ができるようになったの。すっごく美味しいんだから! せっかくだし、アーヴェルにも食べてもらいたいな」
「へえ、じゃあ屋敷に戻ったら作ってくれよ。楽しみだ」
賢明な諸君ならもうおわかりだろう。この返事が不幸へと続く第一歩だったのだ。
目の前のテーブルの上に、とんでもない見た目の料理が皿に乗っている。匂いも強烈だ。
「おうふっ」
なんとも言えない声が出た。
「見た目、マズそ……まず、そう。独創的だな。南部の郷土料理か」
「ううん、わたしが考えた創作料理!」
誇らしげなその顔は実に可愛いものではあるが、尋ねずにはいられなかった。
「あのさ。魚料理ってさ、緑色と茶色とピンク色と青色が混ざった汁の上に小指よりも細切れの切り身が浮かんでいるもんなんだっけ……?」
上に張っている虹色の膜は油か? それとも人間が踏み込んではいけない領域から取ってきた未知の物質か?
「色々混ざってるからその色なの。材料を取り寄せるの、すごーく大変だったんだから!」
「こ、このツーンとした匂いは……」
「それは隠し味のせい!」
「い、一応聞いとくけど、何入れたの?」
ふふ、とセラフィナは笑った。
「レシピは秘密なの! いいから食べてよー!」
はい詰んだ。俺は詰みました。
これは食べたら死ぬやつに違いない。
こっちは過去何度か死んだトラウマがあるんだ。しかも今死んだら二度と生き返らず、この世と永遠にお別れだ。まあ死ぬというのは大袈裟であるが、腹を下したり、便所で吐いたりしたくない。そうでなくとも料理を食い残したり、素直に感想を言ったりなどすれば、セラフィナとの関係が悪化しかねないのでは? それに俺って結構繊細なタイプだから、あまりこういうゲテモノを食いたくはないのだ。
それがいかに、愛しい愛しいセラフィナの手料理であったとしても、口に入れた瞬間吐き出しそうなものは口に入れないほうが被害が少ないというのは、誰しも思うことだろう。これは災害の未然防止策と言っても過言ではない。
言い訳だ。食わない言い訳を考えるんだ。思いつかない。仕方ない!
「ぐうう!」
俺は腹を抱えて椅子から転げ落ち、その場にうずくまった。
「どうしたの! 大丈夫!?」
慌てたセラフィナが俺の背をさする。ちょっと演技が過剰だったかもしれんが、後には退けない。
「いたたたた。急に腹が、腹が痛くなって。すまんセラフィナ! これじゃ食えそうにない。料理はまた今度な!」
そうなの、と言ってセラフィナは眉を下げる。
「残念だけど、アーヴェルの体調が第一だもの。ゆっくり休もう? お部屋に戻る?」
しかし思わぬ逆風が。ふむ、と様子を見ていた壮年のメイドが静かに言ったのだ。
「これはアーヴェル坊ちゃまの仮病ですね。昔から嫌なことがある時によく使う手ですよ」
おおい! お前、どっちの味方だ! と叫びかけたが、悲しいことに使用人は例外なくセラフィナの味方なのである。前と違ってセラフィナがこの屋敷に住み始めたのは俺と結婚してからであるのに、その短い期間で見事に使用人の心を掴んでしまったのだ。というか、いつまでも俺を坊ちゃまと呼ぶのはやめていただきたい。俺はいい歳した大人なのだ。
「……もしかして、食べたく、ないの?」
今にも泣き出しそうな、震えるセラフィナの声が聞こえた。
はっとして顔を上げると、目を潤ませたセラフィナと、俺のことを最低の人間であるかのように見つめる使用人たちの姿があった。くそう、兄貴が中央にいる今、この屋敷の主人は俺なのに……!
「……どうしても、だめ? アーヴェルのために、頑張って作ったのに……」
俺は常々思うのだが、その泣き顔は反則ではないだろうか。人類のルールで禁止してもらいたいものだ。この顔を見た俺が逆らえないということを、この悪女は知っていて利用しているに違いない。だが分かっていても、彼女に弱いのが俺だった。俺はすぐさま立ち上がり、椅子に座り直した。
「いや! 食うよ! すっごく楽しみだし、急に腹痛も治ったなぁ! 仮病じゃないぜ!」
「やったー! じゃあ、あーんしてあげる!」
すでに彼女の涙は引っ込んでいる。くそ、やっぱりまた嘘泣きかよ!
そう思っている間にも、スプーンで掬われた虹色の料理が俺の目の前に差し出される。
「どんなに見た目が最低でも、胃袋に入っちまえば一緒だもんな!」
「……馬鹿にしてる?」
「しとらん、しとらん」
本当にヤバかったら、口に入れたと同時に魔法で料理を庭に飛ばそうと考えながら、一口食べた。瞬間、脳みそがぶっ飛ぶ感覚がした。
「うまっ……!」
雷に打たれたかのようだった。やだ。なにこれ、すっごく美味しい……!!
美味いのだ。信じられないことに、美味かった。
今まで食べた料理のいずれとも比較できない一品だ。硬いとも柔らかいとも中くらいとも言えない歯ごたえに、辛いとも甘いともしょっぱいとも酸っぱいとも言えない味が、奇っ怪なこと妙に噛み合い、恐ろしいことに絶品なのだ。
「なんっなんっなんだこれ、なんでこんなに美味いんだ?」
ふっふーんと得意げな顔をしてセラフィナは言う。
「すっごく美味しいって、言ったでしょ?」
「変なものでも盛った……?」
「盛ってないからっ!」
もうっ! と怒ったように頬を膨らませるセラフィナだったが、その口の端は緩んでいる。
「これ美味いよ本当。すごいよセラフィナ。流石はセラフィナだ!」
そうでしょう! とセラフィナは楽しそうに笑う。
「そういえばわたしね、デザートも作れるようになったの! またアーヴェルに食べてほしいな」
気を良くしたのかそんなことも言い出して、すかさず料理人が口を挟む。
「どのような食材が必要でしょうか。私どもの方でなんでも揃えましょう」
その言葉に、メイドたちがうんうんと頷いた。なんか、こいつらセラフィナに甘くね?
「ええっと、そうしたらまずはその辺に生えている雑そ――」
「おい、その材料は絶対に必要ないだろ!」
雑そ――って、雑草だろ!? 野生動物が便所代わりに使っているかもしれないだろ!
戦慄を覚えながら使用人たちに助けを求めたが、「それはそれは楽しみでございますね」と俺の言葉を無視し、楽しそうな笑顔でセラフィナに応じているだけだ。なんたる四面楚歌。この屋敷は敵ばかりか?
彼らが味方でない以上、俺一人でうっきうきのセラフィナと戦わなくてはならない。
どうやって。どうやって? どうやってだって?
……いや、どうやっても無理だろ。――あれ、これまたしても詰んでね?
「いやだあぁ、食べたくないぃ……」
ぬああっと頭を抱えていると、俺の様子に気づいたらしいセラフィナが、顔を真っ赤にしてぽこぽこと殴ってきた。
「アーヴェルのばかあ! 食べてみなくちゃわからないでしょ!」
それは確かにそうなのである。だがしかし、だがしかし――!
そのデザートについても一悶着はあったのであるが、何が起こったのかは諸君の想像に任せることにする。一つだけヒントを出すのならば、惚れた弱みほど厄介なものはないということだ。彼女を前にすると、それがどんな彼女であったとしても、俺はどうしても負けてしまうのだ。
つまりこの話の教訓は、何事も見た目で判断してはならないということ――でもなく、妻のゲテモノ料理を止めろ――ということでもなく……もうすでにお気付きの通り、そもそも教訓などなく、単に俺が彼女とのいちゃいちゃ生活を聞いてほしかっただけなのだ。
すまん、前言撤回だ。結局、惚気話だったな。