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悪女矯正計画 2
Title

悪女矯正計画 2

著者:さくたろう イラスト:とよた瑣織

第一章 アーヴェル・フェニクス

俺たちは詰んでいる

 最低の気分。まさしくそんな感じだった。
 目の前に、幼いセラフィナがいる。死んだショウもいて、突然立ち上がった俺に、軽蔑したような視線を送っていた。また俺は、ここへと戻ってきた。先ほどまでの場面が蘇る。処刑される間際、セラフィナは、体に銃弾を浴びながらも俺を過去へと戻したのだ。
「う、おえええええ!」
 吐き気を催し、目の前の皿に多分俺がさっきまで食べていたであろう豪華な料理を吐き出した。ゲロは飛び散り、セラフィナの料理までも汚す。隣に座るセラフィナが、ひ、と小さく悲鳴を漏らす。兄貴が俺を見て、固まっていた。親族がざわついている。この次男坊はやはり頭がおかしいのかもしれないと、彼らの顔には書いてあった。
「セラフィナ、ごめん、ごめんな!」
 立ち上がり、俺はセラフィナを抱きしめた。腕の中でセラフィナが震えている。ぱっと彼女から身を離すと、そのままの勢いで俺は兄貴を抱きしめた。
「ショウ! 二度とあんな目には遭わせない! 俺が守ってやるから!」
 兄貴は額に青筋を立てながらも、拳を握りしめる。俺は喚きながら二人を抱きしめた。
「ごめんな、ごめんな二人とも! 俺は本当にひどいことをした! 今度こそ――」
 と、そこまで言ったところで俺は兄貴に本気で殴られた。
 食事会の場から強制退去させられた俺は、部屋に押し込まれていた。料理はお預けとなったが、それどころではない。危うくさっきは死にかけた。セラフィナが戻してくれなければ、今頃俺の死体はショウの隣で兄弟仲良く城門に並んだことだろう。
 シリウスめ、ぶっ殺してやる。
 という怒りは当然あった。だが短気が身を滅ぼすことは、嫌というほど身に染みている。やるなら完璧に、計画をもって完膚なきまでにやってやらなくては、俺たちは確実に負ける。考えなくてはならないのは、俺たちを不幸のどん底へと突き落とす元凶を、徹底的に叩き潰すことだ。シリウス単体ではない。
 厄介なのはシャドウストーン家だ。皇帝の影で権力を握り続けることが、奴らのただひとつの目的だ。その目的の上で、北部を手に入れたかったのだとしたら。俺たちへの憎しみではないのは救いだが、北部にいる限り、対立は避けられない。
 つまり俺たちが幸せになる唯一の道は、現皇帝一家を叩き潰し、シャドウストーン家を叩き潰し、北壁フェニクスがただ一人の勝者となる道だ。
 どうやってそれをやる? セラフィナに井戸を開けさせれば、彼女は呪いを受けてしまう。セラフィナに魔法を禁じるなら、魔法使いは俺一人。俺一人で、絶対的な権力を握る皇帝一家と、魔法使いの名門のシャドウストーン家と対峙しなくてはならない。
 あの強敵どもをどうやって倒す? どうやって。どうやって? どうやってだって?
 ……いや。どうやっても無理だろ。どう考えても勝てるはずない。あれ――?
 俺は思った。 
「これ、詰んでね?」
 ぬあああっと叫びながら部屋をのたうち回っていると、食事会が終わったのか、いつもだったら親族を見送りに行き不在のはずのショウが俺の部屋にやってきた。様子のおかしくなった弟を見にきたのだ。
 ショウは怒ってはいなかった。かといって、心配している様子もなく、むしろ困惑しているようだった。叫ぶのを止め、立ち上がり、乱れた髪と服を直しながら俺は言った。
「俺の頭がおかしいと思ってんなら、杞憂だぜ。俺はこの世界の、誰よりもまともだ」
「そうは思えないから親族の見送りには行かずに、わざわざここへ来たんだ。必要なら医者を呼ぶが」
 こうして兄貴と二人で話せるというのは、俺にとっては好都合かもしれない。椅子に腰掛けると、もう一方の椅子を指さした。
「医者は不要だ。座れよ兄貴。あんたと話したいんだ」
 俺に不審そうな目を向けながらも、兄貴は促されるまま椅子に座る。足を組み、腕を組み、その目は探るように、俺をじろりと見つめていた。
 さあどこから話そうかと思考を働かせる前に、俺の口は動いていた。
「なあ兄貴、俺は屑だ。最低の人間だ。自分だってわかってるんだ。兄貴が死んだ時、俺は泣きさえしなかった」
「何を言っているんだ? お前は屑ではないし、私は生きているだろう」
 俺は首を横に振る。
「違うんだ。兄貴の、知らない俺がいるんだ。そいつは本当にどうしようもない人間で、自分のことしか愛してないし、誰のことも信用してない。でも、わかったんだ。本当は、ずっと愛していたことに。ただ馬鹿みたいにいじけて、愛していないふりをしていたんだって。そういう風に、気づかせてくれた奴がいるんだ」
 今のセラフィナはそのことさえ知らないが、俺の中には確かに思い出が刻み込まれていた。
「なあ兄貴、俺さ、兄貴とセラフィナのためなら、なんだって、できるよ。どんな最低なことも、どんな悪いことも、できるんだ。二人のためなら、どんなことだってさ。だから、聞いてほしいんだ――」
 意を決し、俺は語った。
 前に話した時、ショウは俺を頭の病院に詰め込もうとした。だが、今俺の目の前にいる兄貴は、俺が語る、俺が経験してきた三度の未来の話を黙って聞いていた。
 クソのシリウス。クソの叔父上。クソのシャドウストーン。可愛いセラフィナ。可哀想なショウ。俺が語り終えた時、兄貴の眉間の皺は、かつてないほど深くなる。
「魔法使いの間では、常識なのか。時が、戻るという話は……」
「まさか。セラフィナの桁外れの魔力がなせる技だ」
「私が処刑されたと言ったが、裁判を待たずに処刑できるわけがない。この国には法律があるだろう」
「だけど特例だってあるだろう。確か条文の最後にこう書かれていたはずだぜ。『帝国首長が必要と認める場合は、この限りではない』ってさ」
「まさか、叔父上が私を殺すはずがない」
「殺すんだ」
 俺の言葉を否定するように、兄貴は首を横に振る。
「血の繋がった人間だ。絆がある」
「いい加減にしろよ! いつまで血の繋がりに固執する気だ!」
 俺は怒鳴り立ち上がると、座っていた椅子を蹴飛ばした。兄貴は座ったまま、驚いたように俺を見上げる。
「俺たちとあいつらの間に絆なんて存在しない。兄貴、前に言ってただろ、親父の死に際を夢に見るって。どんなにひどい有様だった? 俺はおしゃべりな外野から聞いたことがある。三日三晩のたうち回って、死んだって。それはそれはひどい死に際だったって。わかってるんだろ、俺たちの父親を殺したのは、皇帝ドロゴだってことに。あいつが毒を盛ったんだ。俺の母親と兄貴の母親も、あいつが奪っていった」
 だが兄貴はどこまでも冷静だった。
「そんなことを言うのはよせ。父上は突然の病に倒れ亡くなった。誰かが殺した確証など、どこにもない」
「誰だって噂してる。皆思っているんだ、ドロゴならやりかねないって。あいつは親父と共闘してユスティティア皇帝家を打ち破ったが、本当は誰よりも欲まみれだ。自分が皇帝になるためなら、肉親だって殺める奴だ。いいや実際、あいつが親父を殺したかどうかなんてさして重要じゃない。重要なのは、腹のうちじゃ、国中の人間が思ってるこっちの方だ。愚王ドロゴじゃなくて、ローグの優れた長男が皇帝に相応しい。つまり、兄貴が皇帝になるべきということだ」
「私は皇帝になるつもりはない」
「ショウ、いいかよく聞け。言ったろ、俺はなんだってできるって。兄貴とセラフィナのためだったら、できないことなんて何もない。だから、俺を信じてくれよ。……頼むから、シリウスとドロゴなんて、信用しないでくれ」
 窓の外で、鴉が鳴いている声がした。鳴き声は近く、目を向けると、曇天の空の下、不気味にそびえる「兄貴の木」の上で、やたらとでかい鴉が、不吉の象徴のように鳴いていた。
「……くそったれ」
 連れて行くな、ショウを、どこにも連れて行くな。連れて行かせるものか。たとえショウが望んだとしても、ショウはどこにも行かせない。
 無性に腹が立ち、俺はショウに向き直ると、その胸ぐらを掴んだ。
「いい加減、気づけよ! なあショウ、あんたは、ドロゴや俺なんかよりも、もっとずっと、遙かに価値のある人間なんだよ! 俺は兄貴が好きだし、尊敬してる。なのにみすみす、死んだりするな。俺にあんたを救わせてくれよ! あんな木に固執してるからだめなんだ! 皇帝になれば、この国のすべてが兄貴のものだ。木なんて、好きなだけ、腐るほど城の庭に植えられる! いいからショウ! 黙って俺に従え! 皇帝になると言え!」
 兄貴は押し黙っていた。相変わらず窓の外では、鴉がやかましく鳴いている。やがて静かに、兄貴は言った。
「泣くな、アーヴェル」
 ちくしょう、俺は泣いていた。兄貴は俺の手を首元からゆっくりと離した後で、椅子に座らせると、まるで幼子に諭すように穏やかに言う。
「お前が何を言っているのか、本当は半分だって理解していないが、本気で言っているのは、わかる。昨日まで話さえしようとしなかった弟が、今日は私を想ってくれているということもわかる。話も、筋が通っているように思える。実際に、あり得なくはないかもしれないと思うほどには、理路整然と、している。……だが、理解する時間をくれ。すぐには無理だ」
 兄貴の手が慰めるように俺の肩に触れる。応じるように、俺もその手をとった。瞬間だ。無意識だった。魔法を放った覚えはなかった。ただ伝わってくれと、願っただけだ。俺の手から、火花が散った。
「うおっ……!」
 兄貴はのけぞり、椅子から床へと転げ落ちる。
「おいどうした! 大丈夫かよ!」
 驚いて駆け寄り、助け起こそうと体に触れた時、兄貴は床へと吐いた。
「うわっ」
 ちょっと浴びてしまった。肩で息をしながら、兄貴は俺を睨み付ける。
「アーヴェル、私に、何をした」
「何って、何もしてねえよ!」
 困惑しているのは俺の方だ。ショウに一体何が起こったのか見当もつかない。
「……ば、馬鹿な。非人道的だ。お前、なんて最低なことを。黒幕を探るために、私を処刑させたのか? くそったれ。セラフィナを、無理に私とくっつけようと画策しただと? くそっ、なんだこれは。腹が立つ」
 呆気にとられる俺の横で、口元を拭い、兄貴は再び額に青筋を立てながらそう言った。
 なんだって? 思わず自分の両手を見た。俺は自分の記憶を魔力に変換し、ショウの頭へと植え付けたのか? この一瞬で? そんなこと、世界で一番魔力の強い魔法使いでも不可能だ。馬鹿な。そこまで俺の魔力は上がっているのか?
 兄貴が俺を信じるなんて、絶対にあり得ないと思っていた。だがあり得ないことが、起こってしまった。これはひとつ、時が戻った恩恵かもしれない。
 兄貴は数度頷いた。
「にわかには理解し難いが、おそらくはお前の経験した記憶が、私の中になだれ込んできた。……はは、私が死んだ時、泣きもしなかったというのは嘘だな。大泣きじゃないか」
 二度目、三度目の兄貴の死で、俺は確かに泣いた。記憶を共有したということは、俺の羞恥や情けなさもすべて兄貴に露見したということだ。
「お前が本気で私とセラフィナを案じてくれていたということは、わかったよ。だがお前のやったこと、どうにも腹が立つな……もう一発殴らせてくれ」
 それは兄貴の冗談かと思ったが、俺はきっちりと殴り飛ばされた。
 座り直し、俺とショウが過去の記憶についてあらかたの認識を共有し終えた頃、外はすでに薄暗かった。
「中央に、喧嘩を仕掛けよう。やられる前に、先手を打つんだ。ドロゴとシリウスを排斥して、兄貴が皇帝になる。今度こそ、今度こそ俺たちの勝利だ」
「……北と中央で、内戦になるぞ」
「内戦にはならない、その前にカタをつける。俺の魔力は、さらに増してる。見てろ」
 俺が視線を窓の外にやると、兄貴もつられるように見た。兄貴の木には、白い花が無数に咲き乱れた。兄貴は口をぽかんと開けて、その花を凝視していた。以前セラフィナが使った魔法を俺も使ったのだ。
「わかったか、俺は今、この国の魔法使いの誰よりも強い。争いになったとしても、すぐに終わらせてやる。それに、戦力は俺だけじゃない。アテがある。聞いてくれ――」
 そうして俺は、考えていたことを口にする。推論と願望が含まれた予測ではあったが、あながち無謀とも思えない。
 聞き終えて数度頷いた後、兄貴は言った。
「覚えているか。私がまだ子供で、お前がほんのちびだった頃、よく二人で、使用人に悪戯を仕掛けたな」
 兄貴は当時のような子供じみた笑顔で、にやりと笑った。
「その頃みたいに、久しぶりにわくわくしているよ。いいさ、やってやろうじゃないか。私だって死にたくはない。中央相手に、人生をかけた悪戯を仕掛けても、悪くはないな」
 なんということだろうか。頭の固いショウが、俺の話に乗ってきた。
「やってやろう! 北から中央への、逆襲開始だ!」
 いつかやったことがあったように、俺たちは、拳をがちりと合わせる。どれほど困難な道であるかなど、想像さえできなかったが、俺と兄貴は顔を見合わせ頷いた。
 それから、これだけは伝えておかなくてはならないと思ったことを、口にする。
「あのさ、兄貴。兄貴はセラフィナのことが好きだったと思う。セラフィナも多分、兄貴のこと、結構好きだったんだ」
「お前の記憶を通して見たが、実感はないな。あくまで『お前の思い出の中の私』のことという感覚だ。私は彼女にそこまでの感情はない。私の中にあるのは、記憶の中のお前が、狂いそうなくらい彼女を愛していたという事実だけだ」
「……俺さっき、兄貴のためならなんだってできると言ったけど、ひとつだけ、欲しいんだ。セラフィナが欲しい。俺、あいつのことが、本気で好きだ。愛してるって、はっきり言える。自分よりも何よりも大切だって思ってる。だから、あいつと俺の、結婚を許して欲しい」
 兄貴は眉を寄せる。
「彼女はまだ幼い。愛していると、本気で言っているのか。お前との婚約を嫌がるかもしれないぞ」
 俺は当然本気で言っていた。
「だったら待つよ。あいつがその気になるまで待ってるよ。セラフィナがいない人生なんて、もう俺には考えられない」
「彼女は、お前にとってなんなんだ?」
「宝だよ」
 即答すると、兄貴は眉を下げて小さく笑った。
「そこまで深く人を愛することができるというのは、少し、羨ましい気がするな」
 本音を言うと、兄貴に対してもほとんど同様の思いを抱えていたが、それを口にするのはあまりにも気色が悪いため、黙っておいた。

 セラフィナが北壁フェニクス家に留まって三日目。朝食を食べた直後、彼女は俺に飛びついて手を引っ張り、椅子から立たせた。
「アーヴェル! おさんぽに行こう!」
 目が眩むほど輝く笑顔で、嬉しそうに彼女は言った。
「ねえねえ、アーヴェル。いつ結婚するの? いつ? 明日? 今日? ねえ、いつ?」
「あのさあ」
 確かに言った。俺は言ったけど。その気になるまで待つってさ。だけどいくらなんでもその気になるのが早すぎるだろ。数ヶ月とか数年とか、そのくらいの単位で考えていた。悪女セラフィナ、怖いくらいにちょろすぎる。
「フィナって、かわいい? ねえ、かわいい?」
「世界一可愛い」
「アーヴェルも世界一かっこいい! アーヴェルの髪って、きらきらしてて、お月さまみたい! すきぃ!」
 まあ……決して悪い気はしない。
「アーヴェル、フィナのこと、すき?」
「うん、好きだよ」
 いつも言えなかった言葉を、俺も存分に口にする。
「大好きだ」
 セラフィナは顔を真っ赤にして満面の笑みになった。
「フィナもアーヴェルのことだいすき! すき! あいしてる! えへへへへ」
 側で見ていた兄貴が、笑いを堪えるように口元をぴくつかせる。
「お似合いだ。本当に。微笑ましいよ」
 ――くそ!
 セラフィナとの仲を順調すぎるほど深める一方で、俺は兄貴と長時間書斎に閉じこもり、今後について話し合っていた。
「忠誠などクソ喰らえだ。私は本当に反逆者になってしまった」
 半ば投げやりにショウは言う。
「中央に気取られないようにしなくてはなるまいな。表向き、私たちはよく躾けられた犬のままでいなくては。特にアーヴェル。お前は短気だから心配だ」
「俺の短気は治りつつあるぜ」
 どうかな、と兄貴は笑う。
「だが確かにショウ、危険な橋には変わりない。第一の関門はシャドウストーンだ。奴らとの関わりが、俺たちの命運を分けると言ってもいい」
「お前はシャドウストーンが北部にこだわっていると思っているようだな。北部に本当にそれがあるのか」
「間違いない。魔導石はあった」
 散々考え、奴らが手に入れたいとしたら、それしかないと結論づけた。場所の見当は付いていた。シリウスが魔導武器を配置した山だ。だから俺は、前の世界で北壁と呼ばれる山へと出向き、我が国最北の小さな村に滞在し、その村で禁足地となっている場所に入り込み、それを発見した。
 手付かずの魔導石。俺が見たのは一部だったが、北部の山には、まだまだ埋まっているに違いない。なんの資源もない僻地が、実は金脈だったのだ。
 そもそも大昔、奴らが繁栄したきっかけになったのは、その魔導石が大量に採掘される地を見つけたからだ。だが近年その量と質は低下していると聞いたことがある。ならば地位を確保するために、奴らは新たな採掘場を血眼になって探しているはずだ。そうしてどんな経緯かは知らないが、北部に産出地があると知ったのだろう。
 兄貴は窓の外に目をやり、山々を見つめた後、視線を戻す。その目を見返しながら、俺は言った。
「動機が北部への恨みでないとするなら、やりようはあるはずだ。とはいえ信用ならん奴らであることには変わりない。敵対したら確実に詰む。ショウ、あんたも俺から離れるなよ」
 これじゃあどちらが兄かわからんな、と肩をすくめた後でショウは言った。
「セラフィナが時を戻したいと思っても詰みだな。アーヴェル、不満の隙がないほど彼女を愛しまくれ」
「わかっ……てるよ」
 言葉が喉につっかえそうになる。
「それに、あれが呪いだとしたら、あいつには魔法を与えないようにした方がいい」
「まあ、そうだな」
 歯切れの悪い兄貴に驚いた。
「おいおいおいおいおい、まさかセラフィナが呪いを受けた方がいいって思ってるわけじゃないだろうな?」
「いいや、まさか。ただ彼女の桁外れの魔力がないと、お前は過去には戻れないだろう。やり直しは二度とできない。危惧するのはそのことだ」
「もう過去には戻らない、ここですべて終わらせるんだ」
 俺が断言すると、兄貴も数回頷いた。
「ああ、私ももちろんそのつもりさ。気弱になったな、すまん。……私はしばらく、外回りをしてくるよ。父上の部下だった者たちに、会いに行ってくる。だが、本当の味方は少ない。私とお前の、ほとんど二人だ」
「それで十分だ」
 しばし思案したような間の後で、兄貴は言った。
「ひとつ、思ったことを言っていいか。お前は未来から精神だけ戻ってきたと言ったな。だがお前の記憶だと、お前を起点にして、世界自体が過去に戻されたように感じる」
「それの何が違うんだよ。同じだろ」
 人を過去に戻すのと、世界がそいつだけ残して戻るのは、結果として同じはずだ。
「さあな」
 さあなってお前。
「ただ、思ったのはこういうことだ。時間が巻き戻るのではなく同一線上にあるのだとしたら、何かのきっかけがあれば、記憶が戻ることもあるのかもしれない」
「兄貴の記憶が戻ったみたいに?」
「私の記憶はお前の記憶で、自分自身のものじゃない。見たくもないものまで見ているんだ、同情してくれよ」
 確かに俺の記憶には人に言えないようなものも、多少は含まれている。それに関してはすまないとは思う。
 いずれにせよ、直近の壁となるのがシャドウストーンであることには変わりない。セラフィナが領地に帰る時、俺とショウは付いて行く。それから無事に北部へ戻れるかどうかは、俺たちの腕にかかっているのだ。

 セント・シャドウストーンへの帰宅の日、セラフィナはいつになく沈んでいた。
「……帰りたくないなぁ。フィナだけここにいちゃ、だめ?」
 目を潤ませる彼女をなだめるのは心が痛んだが、彼女がいなくては、俺とショウは屋敷に入れてさえもらえないだろう。
「さっさと話して、とっとと戻ってこよう。そうしたらお前も、これからもこっちで住めるようになるからさ」
 俺の服を引っ張り、セラフィナは必死に訴える。
「アーヴェル、ずっと一緒にいてくれる? 家で、フィナと絶対に離れないでいてくれる?」
「いるよ、ずっと一緒にいる」
「じゃあ、帰る……」
 セラフィナは、しぶしぶそう言った。
 馬車でも、休憩中でもセラフィナは俺にべったりとしがみつき、離れようとしなかった。それが愛情でないことくらい、俺だって気がついていた。虐げられ続けた彼女は庇護者を求め、そうして俺がそこに収まっている。それだけだ。それでもいい、今はまだ。
 なあセラフィナ。不幸などもう忘れてしまえ。楽しさと喜びだけを、感じていればいいんだ。俺は彼女を幸せにすることを、彼女自身に誓ったのだから。
 夜も深まる闇の中、俺たちは屋敷に到着する。
 過去の記憶の通りにジェイドが現れ、セラフィナの腕を掴もうとする。だが奴が掴めなかったのは、俺ががっちりとセラフィナを抱いていたからだ。ショウは俺とセラフィナを庇うように一歩進むと言った。
「折り入ってご相談があります。君の兄上か父上はご在宅だろうか」
「あいにく二人とも留守にしています。話なら、俺が聞きますよフェニクス公」
 クルーエルはいるはずだから、これはジェイドの嘘だろう。
「少なくともクルーエルさんにお話がしたい」
 兄貴が言うが、明らかにジェイドは不服そうだ。お前じゃ交渉相手にならんのだよ。俺の出番だった。
「セント・シャドウストーンの底が知れるなあ、皇帝一族がわざわざやってきたというのに、家に招き入れないとは!」
 屋敷中に響き渡るほどの大声を出すと、セラフィナの体が、腕の中で硬直するのがわかった。
「……こいつ、頭がおかしいのかよ」
 ジェイドがそう呟いた直後に、別の声がする。
「アーヴェル・フェニクス、ショウ・フェニクス。弟が失礼した」
 セラフィナに似ているが、片眼鏡の奥の瞳は冷ややかだ。玄関先の不穏を感じ取ったのか、クルーエルが出てきた。シャドウストーンの長兄は、ジェイドのように単純ではなさそうだ。
 ふ、と侮蔑したような笑みを浮かべると、兄貴に顔を向けた。
「お話があるとのこと、私が相手をいたします。どうぞ客間へ」
 こうして、俺たちはシャドウストーンの屋敷に再び足を踏み入れることとなったのだ。
 客間に通され、席に座る。
 俺たちが上座であるのは、一応奴らも表面上は下に見てはいないことを示しているのだろう。話を聞く態度も持っているようだ。セラフィナは俺から離れようとしないので、子供に聞かせるような話ではなかったが同席させていた。
 俺たちの前にシャドウストーン家兄弟が座るなり、単刀直入に兄貴が言った。
「北部をあなた方に譲りましょう。代わりに、私が皇帝になる手助けをしていただきたい」
「はぁ?」
 頓狂な声を上げたのはジェイドだった。せっかく座ったのに立ち上がり、テーブルを叩く。セラフィナがびくりと体を震わせ、俺のシャツにしがみついた。
「兄弟ともども頭のいかれた奴らだ。北部など田舎者の集まりだろう! 意味のない場所だ。兄上、話など聞く必要はない。追い返そう」
「馬鹿な奴だな、話はこれからだろう。ジェイド、座れよ」
 俺が親しげに話しかけたのを不審に思ったのか、ジェイドは訝しげな表情を浮かべる。俺からするとそれなりに関わった相手だが、この世界では初対面だから順当な反応だ。
 ショウは鞄の中から袋を取り出す。
「あなた方に、利のあるお話だと思いますよ」
 袋を机に滑らせると、中身がこぼれ出た。乳白色の石の欠片だ。クルーエルとジェイドの顔色が変わった。
「我が領土で採掘された魔導石です。ほんの一部を切り取り、お持ちしました」
 クルーエルは石の欠片を手に取ると、凝視し、しばらくの間の後で言った。
「確かに本物だ。混じりけもなく、純度も高い。しかし、にわかには信じられませんな。これを北部のどこで?」
「今ここで、場所を言うことはできません。これは我々の命綱と言っていい、大切な交渉の道具ですからね。場所は私とここにいるアーヴェルだけが知っている。ひとつだけ言えるのは、あそこには、手の付けられていない魔導石が、無尽蔵に眠っているということです。これをあなた方に、まるごと差し上げましょう」
 クルーエルの態度は露骨に変わる。身を乗り出し、兄貴を見つめていた。
「先ほど、皇帝になりたいとおっしゃったか。普通に考えれば狂気の沙汰だ。現皇帝は、北部を恐れている。貴殿らが怪しい動きをすれば、難癖を付けて、いつだって排除するだろう。やるならば綿密な計画を立て実行しなくてはなるまいが、そう易々と勝てる相手でないことはご存知のはずだ。勝機はどれほどあると見込んでいるのです」
 叔父上がショウを殺したくてうずうずしているのは承知の上だ。ショウは言った。
「北部の諸侯は父の忠臣が多く、私が北部に追いやられた際に、共に付いてきた者たちです。私とアーヴェルに忠誠を誓っている。彼らに背後を任せ、ここにいるアーヴェルと、そうしてあなた方がいれば、中央の制圧は難しいことじゃない。アーヴェルの魔力にはお気づきでしょう。おそらくは、今世紀出現した魔法使いの誰よりも強い魔力を持っています」
 よくもまあこんな場で笑えるものだと思うが、ショウはシャドウストーンの兄弟に向け、優しささえ感じさせる表情で柔和に微笑んだ。
「勝機はどれほどとお尋ねになりましたか。間違いなく、勝てると見込んでいます。中央と南部にも、ローグを信望する者は未だに多いですからね。私の支持も高い。多くの国民にしたら、皇帝が叔父でも甥でも大した違いはありませんから、反発もない。まるで午後のティータイムのように、和やかに反逆は終わりますよ」
 はったり半分だ。俺は黙って、ショウの交渉を見ていた。
 魔導石のある北部をまるごとくれてやるのは、確かに危険がある。ショウが皇帝になった後、シャドウストーンに国を支配されかねない。実際、中央と戦いになったとして、勝機があるかも未知数だ。だがその未知数をぎりぎりまで高めなくては、俺たちは生き残れない。
 魔導石を見て、クルーエルはかなり揺れている。それだけ価値のあるものなのだ。
 束の間の沈黙が訪れた。おそらく彼らの頭の中で、急速に計算が行われているのだろう。
「しかし、こうは思わないのかね。北部に魔導石があるのなら、ここで貴兄らを殺して奪った方が、どう考えても早くリスクは少ない」
 突如として声が、部屋の外から聞こえてきた。驚いて顔を向けると、初老の男が入ってくる。物腰は意外にも柔らかそうな印象だが、睨んだだけで鴉が死んだとも噂される鋭い眼光は隠せない。
 こいつ、いたのか。セラフィナの父、ロゼッタ・セント・シャドウストーンが、姿を現したのだ。セラフィナの体が、がたがたと震えはじめた。俺とショウは立ち上がる。我慢できずに俺は言った。
「俺たちが数日帰らなければ、さらに死んだともなれば、北部はシャドウストーンに対して蜂起する。北部じゃ未だに、皇帝ローグを盲信しているからな、ショウの言葉に絶対的に従う。北部の田舎じゃ、ユスティティア家の支配から解放したローグのことを神だと思っているし、その息子たちも同様だ。そんな奴らを怒らせて、北部相手に戦争をする気か? 勝てたとしても、疲弊は目に見えている。お前らの目的は、権力を得続けることだろう。無駄な争いは、望んでいないはずだ」
 そこまで言って、俺は兄貴に頭をはたかれた。
「弟の無礼をお許しください。後で叱っておきますから。ですが、まあ、私が言いたいのも、概ね同じようなことですよ。利がどちらにあるかなど、目に見えているかと存じますが」

 すぐに返答が来るとは、もとより思ってはいなかった。
 夜も遅く、そのままシャドウストーンの屋敷に泊まることになった。それぞれに部屋は与えられたが、俺たちは一部屋に固まった。腐っても敵地だ。ショウもセラフィナも一人にさせたくなかった俺の提案だった。
「上手く、いくだろうか」
 セラフィナが眠った後で、窓辺に立つショウがぼそりとそう言った。ソファーに座っていた俺は、顔を上げる。俺たちは眠れずに、燭台の明かりの中で夜を過ごしていた。
「ショウ、いつになく弱気だな」
「お前と違って、私はいつだって弱気なんだ。今も不安で頭がおかしくなりそうだ」
 それは兄貴の弱音だった。なんてこった、あの兄貴が俺に向かって弱音を吐いているのだ。なんとなく、むず痒い。俺の思いに気づいたのか、兄貴は苦笑した。
「お前が否応なく私に本音を流し込んだからな、私も素直になってしまった。それに、人生を経験した年数でいえば、お前の方が長いだろう?」
「変な兄弟だよな」
 俺が言うと、兄貴は笑う。
「ともかく奴らがどう出てくるかだな。死体で帰ることになる前に、お前の魔法でなんとかしてくれよ」
 ショウがカーテンを開くと、にわかに部屋が明るくなった。ぽかりと浮かぶ月が、眩しいくらいに俺たちを照らしていた。
 窓辺に佇む兄貴と健やかに眠るセラフィナを見ながら、俺はかつての自分を思い出していた。本音を何重にも嘘と虚栄で覆い、自分でも本心がわからなくなっていた愚かな男は、禄に向き合うこともせずにセラフィナを遠ざけた。兄貴の死に、本当は立ち直れないほど傷ついていたにも関わらず、別の道に逃げ気づかぬふりをしていた。それで得られたものなどせいぜい人間不信くらいなものだというのに。
 深く愛すれば愛するほど、失った時につらくなる。だから俺は、いつも逃げた。最低のくそ野郎、それがまさしく俺だった。だが思いも寄らないことに、人生をやり直す機会を得た。嘘と虚栄は引き剥がされた。残るのは、一人では何もできない俺だった。
 シャドウストーンが魔導石欲しさに敵対するのなら、その前に味方に引き込んでしまえばいい。信用ならない奴らだが、情がなく欲に忠実なのは、俺たちにとって好都合で、悪い手ではないはずだった。

 奴らもまた、眠れぬ夜を過ごしたのかもしれない。翌朝になり、ロゼッタが提案したのはこうだった。
「私が北部へと出向き、魔導石の調査をしよう。その間、ジェイドを貴兄らの屋敷に置く。代わりに、そちらの次男を預かりたい」
 流石誰も信用しないロゼッタ・シャドウストーン。その目で確かめたいということだろう。言葉に出さないまでも、ジェイドは見張りだ。そうして俺は人質だ。だがジェイドもまた人質だ。そうして俺もまた、見張りであった。
 俺とショウは、その提案を受け入れた。
 そこで俺は、この屋敷にしばらく滞在することになった。せっかくの機会を逃す手はない。幸いなことにシャドウストーン家の連中は俺に興味がないようで、客人に構うことはなく、翌日から屋敷の中を歩き回ることができた。
 目指すのは、あの井戸だ。井戸の中に封じられていた呪いで、セラフィナは魔法を得た。力を与える呪い。そんなことが、あり得るのだろうか。
 そもそも誰が誰を、なんの目的で呪っているんだ。シャドウストーンに恨みを持つ人間は多い。俺だってそうだ。
 呪いの性質は単純で、解くのにそう手間取るはずがない。シャドウストーンが、呪いに気づかないはずもない。ならば呪いは彼ら以外に向いたものか――あるいは、容易く解けないほどに、強力な魔力が井戸に封じられているのか。庭を通り抜け、井戸の前に立った。周囲では、雑草さえも枯れている。
「材質は魔導石か」
 独り言が漏れた。偶然か、それとも狙ったのか。魔導石に魔力が固着され、呪いが残っているようだ。井戸全体が、呪いを溜める魔導具になっている。セラフィナが呪いを受けなかった場合、彼らはどうやって、この呪いを消すつもりだろうか。
「そんなところで、何をしている」
 背後から声をかけられ振り向くと、クルーエルが無表情で佇んでいた。
「別に、散歩だよ。最近セラフィナとも毎朝庭を歩いていたんだぜ、聞いていないか?」
 聞いているはずもないだろう。兄妹の間に愛情はない。
 笑いかけても、クルーエルの態度は軟化しない。諦め、俺は井戸に向き直った。
「この井戸の中には何がある?」
「何も」
 クルーエルは即座に答えた。
「何もないなら、なぜ封じているんだ?」
「枯れた井戸で、誰かが落ちないようにするためだ」
「ここに、呪いを閉じ込めているんじゃないのか」
「何を言う。馬鹿げたことを」
 クルーエルは言うが、俺はさらにたたみかけた。
「ここから確かに、負の魔力を感じるんだ。魔力が固着されているのは間違いないだろう。たかが井戸だ。複雑な魔法は発動しないことを考えると、魔法として形作られさえしない呪いだろう。問題は、誰がここに魔力を封じ込めたのかだ。セント・シャドウストーンの人間が、自らを呪っているとは考えにくいが、外部の人間が敷地内で呪っているのもあり得ないだろう?」
 そうして俺は、ひとつ前の世界で調べたことを投げつける。
「エレノア・シャドウストーンが、死んだのはなぜだ」
 それはセラフィナの母親の名だ。直近でシャドウストーンの屋敷で亡くなったのは彼女だけだ。その死には、不審な点がある。彼女もまた呪いによって死んだのか、あるいは彼女こそが、呪いの根源なのか――。この家には、謎が多すぎる。 
「母は産褥死だ。セラフィナを産んですぐに亡くなった」
「エレノア・シャドウストーンが亡くなったのは、セラフィナ誕生から半年も経った頃じゃなかったか。出産に本当に関係があるのか?」
 それもまた、ひとつ前の世界で調べたことだった。シャドウストーンで当時使用人をしていた人間にあたり、金を握らせ聞き出した。
「アーヴェル・フェニクス。探る腹などないのに探られるのは、いい気はしないな。言いたいことがあるのならば、はっきり言ってはどうだ」
 明らかにクルーエルは苛立っていた。これ以上踏み込むのは危険だと思い、俺は一歩引く。
「別に、俺としても色々お近づきになりたいだけさ」
「私は君と友人になった覚えはない」
「まあ友人じゃなくて家族だからな。だろう義兄さん、長い付き合いになるんだ、仲良くしようぜ」
 握手をしようと差し出した手は、見事に無視される。まあいいさ。寛大な俺は許してやろう、感謝したまえ。
 数週間後、ロゼッタは調査を終え、北部の山々に純度の高い魔導石が未だ手つかずで眠っていることを、結論づけた。
「君が示した場所に、魔導石があることを確認した。よく突き止めたものだな、アーヴェル。その手腕、確かに素晴らしい」
 父親から報せを受けたらしいクルーエルが言う。魔導石があるとわかったからだろうか、クルーエルの態度は軟化する。
「まあ俺は天才だからな」
 残念ながら実際は違う。前の世界でシリウスによって魔導武器が配備された山を、調べろと言っただけだ。
 その時のシリウスはそこに魔導石があると知っていたに違いなく、さらにシャドウストーンと繋がっていたはずだ。両者が手を組み、俺たちを排除しようとしていた。だから奴らが見つけた魔導石を、再び発見させただけだった。優秀なシャドウストーン家は、この世界でも見事、魔導石を見つけ出してくれた。
「採掘は待つと父上はおっしゃった。ショウ・フェニクスが皇帝になってから、時間をかけて行えばいい」
 話がわかりすぎて気色が悪いくらいだ。まるでショウを皇帝にすることなんて、シャドウストーンにしてみれば朝飯前のような口調だ。実際にこいつらの意向によって権力者が変わっているのだとしたら、恐ろしい奴らである。だが言っておかねばならないことがあった。
「俺とショウは、この反乱に数年かける気でいる。あんたらにもそのつもりでいてもらわなきゃ困るぜ」
「数年待てという、それなりの根拠があるのだろうな?」
 探るようにクルーエルは俺を見た。想定通りの反応で、回答は準備している。
「数年後、北部に魔導武器が配置される。それを俺が奪うんだ」
 魔導武器は建前だ。今から数年後にもなれば、国民が戦争に疲弊しはじめ、表だっては口に出さないものの、皇帝への反感が高まる。そこでショウの登場だ。反戦を掲げるショウが、皇帝をぶっ倒す。国民たちはショウへの信望を強めるだろう。だが未来の話をこいつの前でするつもりもない。
「中央を追われた君たちに、なぜそんなことがわかる」
「腐っても俺たちは皇帝一族だぜ、中央の情報は入ってくる。それがたとえ、一級の軍事機密でも、教えてくれる人間はいる。叔父上に近い人間にも、ショウに味方してくれる者は存在しているからな」
 これはもちろん嘘だ。中央に味方なんていないが、そう思わせておいた方がシャドウストーンへの牽制になる。
「魔導武器と共に中央に行けば、いくら兵がいようとも、制圧など造作もない。ドロゴの味方が挙兵する前に、すべてを終わらせることができる。あんたらも一緒に――いや、手を出さないでいてくれりゃあ、それだけでいい」
「いや、我らも味方に加わろうアーヴェル。新たな皇帝にシャドウストーン家が恩を売るのも、悪くはない話だ」
 クルーエルが本当の意味で味方になるとも思えないが、少なくとも両家の敵意は薄れ、俺は無事に北部へと戻れることになった。だが、フェニクス家とシャドウストーン家。互いに慣れはしたが、互いに心を許したわけではなかった。
 
 俺とジェイドの交換は、双方の家の中間地点の街の、小さな宿屋で行われることになった。シャドウストーン家からはクルーエルが、フェニクス家からはショウとセラフィナがやってくる。俺を見た瞬間、セラフィナが飛びついてきた。
「アーヴェル! 会いたかったよー!」
 セラフィナの歓喜はそれはそれは凄まじかった。俺の服に顔を埋めてすり寄せる。
「ほんとうに、すごくさみしかった。アーヴェルもさみしかった? フィナに会いたかった?」
「ああ、寂しかったし会いたかったよ」
 言うと、セラフィナは満足げに笑い、それから俺に抱きついて、離そうとしなかった。その様子を、クルーエルは無感情で見つめ、ジェイドはため息を吐いて顔を背けた。
「こちらは問題なかったよ」
 ショウがねぎらうように俺の肩を叩く。
「ああ、こっちも特にな」
 それは嘘だが、後でゆっくり話し合えばいいだけだ。
 周囲には親族の集まりだと思わせながらも、実際はもっと陰鬱とした会食を、俺たちは行った。特に盛り上がるはずのない昼食を全員でとった後、それぞれの家へと戻ることになっていた。
 ジェイドが便所に立った瞬間、後を追うように俺も続く。この宿屋の便所は外にひとつ設置されているのみで、俺にとっては都合が良かった。
「ジェイド」
「うわっ!」
 背後から声をかけると奴は驚愕の表情で振り返り、俺を見ると明らかに不愉快そうに目を細めた。
「なんだ、貴様か。声をかけるなら場所くらい弁えろ。セラフィナには手をあげていない。危惧しているなら本人に聞いてみろ」
 ジェイドは腕を組み、不服ともとれる表情を浮かべながらそう言った。
「違う」
 ジェイドが大人しくフェニクス家に留まっていただろうことは、セラフィナの様子から容易に想像できた。長くおしゃべりをしているとクルーエルに怪しまれるだろうと思い、手短に伝える。
「ジェイド、井戸を探れ。エレノア・シャドウストーンの死には、何かある」
「貴様、母を愚弄する気か!」
 怒りは想定内だ。だが付き合ってやる時間もない。
「真面目な話だ。お前は信用できる。だから言うんだ。井戸を探れ。だが開けると多分死ぬから、気をつけろ。あの井戸に、呪いがかけられていることは間違いないんだ。それが誰によるものか、どんな性質なのかを知りたい」
「なぜそんなことを言う」
 ジェイドは声を低くする。俺の話に興味を抱いた証拠だ。
「わかるだろ、俺たちは家族になるんだ。家族のことは知っておきたい。だが、父親と兄には気取られるなよ」
 ぎょっとしたようにジェイドは目を見開く。
「何を……」
「同情はする。お前も被害者といえばそうだ。俺ん家も普通じゃねえが、お前の家もおかしいぜ。息子が娘に、弟が妹に暴力を振るって、それを怒らずにいるのはどう考えてもまともじゃない。お前の苛立ちを父と兄が受け止めず、幼いセラフィナで解消させているのがおかしいって言っているんだよ。次に会う時は、セラフィナに謝れよ。じゃないと、俺がお前を殺すぜ」
 と言って笑いかけると、ジェイドは青ざめた顔をして黙り、用も足さずに戻っていった。

 準備は、着実に進んでいた。セラフィナの十歳の誕生日が過ぎた頃、俺は北部の魔法専門高等学園へと入学した。当然魔力だけでいえば、前のように一発で卒業するだけの能力はあったが、目的は勉強にはない。極東統括府長の娘、リリィ・キングロードに近づくことが、俺の目的だった。
 学園の研究棟の一角に、彼女はいた。白衣姿で研究に没頭するリリィは、俺を見るとにこりと笑う。
「あら、アーヴェル。あなたがこっちに来るなんて珍しいわね」
 はつらつとした笑顔は相変わらず綺麗だ。心の奥で情と罪悪感が疼いたが押し込める。今の彼女との関係は良好で、互いに抱くのは友情だけでいい。世間話をいくつかした後で、俺は問いかけた。
「父親と連絡は取っているのか」
「お父様? ええ、長期休みの時はいつだって会っているし、仲良しよ。……お父様に何か用なの?」
「いいや別に、親父とも仲が良かったって聞いたことがあったからさ」
 はぐらかしながらも、俺は言った。
「今度俺の家に来いよ。兄貴の誕生日が近くてさ、お祝いをしてやろうと思ってるんだ。人数が多い方がいいだろ」
 適当に考えた口実だったが、聞いたリリィは優しく目を細める。
「噂はあてにならないものね」
 言葉の意味を図りかねていると、リリィは続けた。
「北のフェニクス家の兄弟仲は良くないって、聞いたことがあったから。つまらない噂だって、よくわかったわ」
 実際、仲が良くなかったのだから、噂というのは存外あてになる。
 じゃあ日が決まったらまた誘いに来ると告げ、立ち去ろうとした時だ。リリィのからかうような声がした。
「なんだ、本当にただのご招待だったのね。口説かれるのかと思ったわ」
 なんと答えていいのかわからず、肩をすくめてみせた。
「俺には婚約者がいるからな。もしいなかったら、そうしていたかもしれないけど」
「セラフィナ・シャドウストーンね、もちろん知っているわ。アーヴェルは彼女が可愛くて仕方ないのね?」
「まあ、もう愛しちゃってるからさ」
 もしセラフィナと他の誰かの命、どちらかを取るという状況に陥ったとしても、迷わず俺はセラフィナを取るだろう。俺の返事を聞いたリリィは楽しそうに笑っている。
「いい関係なのね。確かに、不思議なんだけど、わたしがあなたと恋人になっても上手くいかない気がするわ」
 邪気の欠片もないその笑みに、罪悪感を覚えないわけではなかった。キングロード極東統括長を抱き込むことができれば、俺たちはさらに勝ちに近づく。リリィと親しくするのは、その足がかりだった。
 リリィにショウの誕生日会を開くと言った手前、何もしないわけにもいかず、夏が始まりかける頃、開催することになった。
 セラフィナはうきうきで、使用人と一緒に家中を飾り付ける。そんなことをしなくても、俺が魔法で適当にやっとくよと言ったら、彼女は大きなため息を吐いた。
「こういうのはセンスが問われるんだよ? アーヴェルの魔法がどんなにすごくたって、センスがなくっちゃ意味ないもん」
 最近セラフィナは生意気だ。外見にも気を遣うようになってますます可愛くなったし、俺と兄貴とで、セラフィナが欲しいと言ったものはなんでも買ってやるから図に乗っている。それでいいと、俺たちも思うままに彼女を甘やかしているのも一因ではあるのだが。
 とはいえまだ子供ではあり、初めて会う人間に、そわそわと落ち着かない様子も見せていた。飾り付けの邪魔になるからと部屋に押し込まれたため、ソファーで適当に暇を潰していると、準備を終えたのか、セラフィナがやってきて隣に座った。
「リリィってどんな人? 仲良くなれるかなあ」
「なれるさ。前の世界じゃ、すごく仲良かったんだぜ」
「アーヴェルもリリィと友達だったの?」
「ああ」
 度々、眠れないと言っては夜になると俺のベッドに潜り込んでくるセラフィナに対して、寝物語にと語って聞かせていた過去の話は、適度に脚色し、都合の悪い部分は伏せていた。リリィと俺が婚約していたこともそうだし、ショウとセラフィナが恋人だったことも言っていない。いつかは告げるかもしれないが、今ではないのだ。
「誕生日会、楽しみ。アーヴェルの誕生日も、いっぱいお祝いしようね!」
 抱きついてきたセラフィナを膝に乗せると、目線が同じ高さになり、丁度いい位置にきた額にキスをする。彼女の顔が真っ赤になった瞬間、部屋の扉が開き、ショウがやってきて、俺たちを見て苦笑した。
「取り込み中のところ悪いが、客人たちがやってきたぞ。さあ、パーティ開始だ」
 客としてはそれなりに多くの人が集まったが、来てほしかったのはリリィただ一人と言っていい。招待客を北部にいる人間に限ったのは、でなけれは皇帝一家に声をかけなかった理由が立たないからだった。
 屋敷へと来たリリィは、学園の様相とは異なり、一際の美しさを放っている。俺とショウを見て丁寧な挨拶をした後で、同じ時刻にやってきたらしいジェイドを見て言った。
「ジェイド、あなたもいたのね?」
 じろりとジェイドはリリィを見る。
「いては悪いのかキングロード」
 ジェイド・シャドウストーン、こいつもいるのだ。
 ジェイドは再び、北部の学園へと入学していた。北部に来た理由を尋ねると奴は言った。「父上の提案だ。北部に近い場所に俺がいて、親しい交流が続いているように見せれば、父上や兄上が北部に調査に出かけても、回遊だと思われ怪しまれることはないからな」と。つまりそれだけのために、ロゼッタは息子を北部へ派遣した。父親に顎でこき使われる状況をジェイドがどう思っているのか、俺は知る由もない。
 ジェイドの言葉を聞いたリリィは吹き出した。
「いていいに決まってるでしょう。そうじゃなくて、どうせ学園の寮から来たんだったら、一緒に来れば良かったなと思っただけよ」
 朗らかに笑うリリィに、彼女が男女共に人気がある理由がわかった気がした。捻くれた性格のジェイドでさえ、悪い気はしていない様子だ。ショウが進み出て、リリィに笑いかける。
「キングロードさん、弟から話をいつも聞いていますよ。学園でアーヴェルが迷惑をかけていませんか?」
「まさか、いつも仲良くしていただいていますわ」
「よろしければ、後で屋敷を案内しますよ」
 リリィも微笑み返した。パーティは滞りなく進んでいく。セラフィナも子供なりに客をもてなしていたし、俺と
ショウも、客たちに一通り挨拶して回った。
 そうしている中、ふとジェイドの姿が見えなくなったことに気がついた。姿を探すと、生け垣の陰のベンチで一人いるのを発見する。
「おうジェイド、さぼりか」
「人が多い場所は好かん」
 そっけなく答えるジェイドに、察しがついた。
「お前の親父に、俺たちの目的でも探れと言われたか。それで良心の呵責にいたたまれなくなって、一人脱出したってところか?」
 ジェイドは驚いた表情で俺を見た。図星か。俺はジェイドの隣に腰掛けながら言った。
「これは本当にショウの誕生日を祝いたかったから開いただけだ。お前は俺の義理の兄になるし、学園じゃ声をかけ合う仲だし、友人だと思ってる。だから呼んだ。それだけだ」
 それだけじゃないが、そう言った。
「ああ」
 腑抜けた返事をしたジェイドに、俺は再び話しかける。
「……なあジェイド。時が戻ると魔力が高まるかどうか、お前ならわかるか」
 疑問に思っていたことである。ジェイドは優秀な奴だし、俺以外の魔法使いの考えが知りたかった。じろり、と睨まれる。
「大馬鹿なのか貴様。時が戻るなんてあり得ない。暑さで脳がついに溶けたか」
「仮定の話だよ。もしも遊びって、子供の頃やらなかったか?」
「やらなかった」
 確かにこいつは友人が少なそうだ。
「じゃあやろうぜ」
 舌打ちをしつつ、ジェイドは言った。
「お前からやれ」
 ならば、と俺は持論を語る。
「考えられるのは、精神の連続性だ。魔力は精神力に比例するから、時が戻って精神力が増し、魔力が強くなるん
じゃないか」
 む、とジェイドは唸った。
「それだけじゃないかもしれない。時が戻ったという記録は、たった一例だけあるだろう。古代の眉唾ものの歴史書だが、その記述を信用するならば、他者にしか効果のない魔法だ。自分ではない誰かに魔法をかけさせることになるだろう? 他者の魔法がつなぎになって、さらに自己の魔力が上乗せされる――結果魔力は倍々になり、だから時が戻れば戻るほど、強まるんだ。どうだ?」
「未来でかけた魔法が時を越え、過去に継承されるなんてあり得えちゃうの?」
 術者が死ねば、魔力は消える。魔導具は例外だが、人は魔導具ではない。
 ジェイドは俄然乗り気になってきた。こいつもバレリーと似ているところがあり、本性は生粋の魔法馬鹿で、この手の話題が好きなのだ。
「例えば、こうは考えられないか。肉体にかける魔法と精神にかける魔法があるのだから、精神にかけられた魔法は、肉体が消失しても、精神にひっついて時を超えるのかもしれない」
「肉体よりも精神にかける魔法の方が、遙かに高度だろう。そうほいほいとできるのか?」
 俺の問いに、ジェイドは眉を顰めた。
「仮定の話だろう? そう真剣に問われても、俺にはわからない」
 よもや俺が過去に戻ったなどと気取られるはずもないが、これ以上興味を持つと、怪しまれるかもしれない。雑談はこれくらいにして、ジェイドに再び問いかけた。 
「ところでジェイド、井戸は探っているんだろうな」
「ああ。だが父と兄に怪しまれないようにするのは骨が折れる。そう簡単には進まないんだよ」
「頑張れよ。人の背後を取るのは得意だろう?」
 意味がわからないらしく、一瞬だけジェイドは薄気味悪そうに俺を見た後で、言った。
「あそこにあるのは死体だ」
 驚く俺に、ジェイドは口元をわずかに歪めた。笑ったつもりなのかもしれないが、ぎこちない笑みだった。
「……冗談だ。だがどうやら母があそこに身投げしたらしいことは、辞した使用人から聞き出した。あれは母の墓も同然だ、死者の秘密を暴きたくない」
 井戸の調査を進めない理由は、そちらの方が本音に思えた。
「自死したのか?」
 あまりのことにそれ以上の問いが重ねられない俺に対して、ジェイドは別のことを言う。
「なあアーヴェル。セント・シャドウストーンの人間が、なぜ皆、魔法が使えるかわかるか」
「魔法使いじゃなかったら殺すんじゃないか」
 ジェイドの顔が引きつった。
「……恐ろしいことを言うな。セラフィナは生きているだろう。そんなことをするはずがない。あれは――」
 と、ジェイドが言いかけた時だ。生け垣がガサリと音を立て、俺たちは会話を中断する。だが現れた人物に警戒を解いた。息を弾ませたセラフィナがやってきて、俺を見て目を輝かせた。
「アーヴェル! ここにいたの!」
 だがセラフィナの視線がジェイドに動いた時、彼女は黙り込んだ。ジェイドにしても、何も言わずに立ち去った。奴がいなくなったのを確認してから、セラフィナは俺の隣に座る。兄妹間の感情は俺の知らないところが多い。ジェイドの去った方へ目を向けたが、すでに奴の姿は見えなかった。
 パーティもお開きになり、宿泊以外の客を見送っていた時だ。帰る間際に、リリィは親しげにショウに言う。
「今度、父にも会ってください。ローグ様がいかに素晴らしいお方だったか、父はいつも自慢するんですよ。ローグ様の部下でしたから、今でも尊敬しているんです。それにショウさんのお話もとても面白かったもの、きっと盛り上がると思います」
「ええ、ぜひ。私もリリィさんに、またお会いしたいですから」
 あれ、朝は姓を呼んでいたよな。言われたリリィは、ぽっと顔を赤くする。んん? ちょっとリリィちゃん、俺にそんな顔見せたことあったっけ。
 彼女が馬車に乗り込むのを確認した瞬間、俺は兄貴に言った。
「手、出してないだろうな?」
「ああ、もちろんさ」
 爽やかな答えだが、実に疑わしい。
「すけこまし野郎め」
 俺の言葉に、愉快そうに声を上げてショウは笑った。
 
 俺たちが今までの世界とはまったく違う動きをしているせいだろうか。変化はまだ起こっていた。
 その日、俺たちはロゼッタに呼び出され、セラフィナを北部に一人残し、彼らの屋敷へと赴いた。シャドウストーン家の面々は、客間に皆揃っていた。だがいたのはそれだけじゃない。クルーエルの隣で、ぽつんと所在なげに立っていたのは、あろうことか天才少年バレリー・ライオネルだったのだ。
「はじめまして、ショウさん、アーヴェルさん」
 この世界では、当然ながら初対面だ。緊張しているのか、表情は硬く、まだ子供の彼の顔には、幼さが残る。
 バレリーがなぜここに? 疑問を口にする前に、クルーエルが言った。
「彼はあと少しで中央の学園を卒業する、バレリー・ライオネルだ。彼の魔力は確かで、役に立つだろう。我々に加えようと思う」
「正気かよ、まだ子供だぜ」
 俺の驚愕を、ロゼッタは鼻で笑う。
「君とジェイドも、同じようなものだろう。問題があるのかね?」
 確かに俺の体はまだ子供だ。だが精神は大人である。ジェイドは生粋の子供だが、シャドウストーン一族の一員で、他人のバレリーとは勝手が違う。俺が困惑のままさらに口を出す前に、バレリーが言った。
「僕は、皇帝が誰であろうと興味はありません。でも、時の為政者に従って、反乱に自分が巻き込まれるのはごめんだ。シリウス様は僕を買ってくださるけれど、彼の側にいて僕もあなた方の敵だと思われるなら、初めからこちらの仲間になっていた方がいいと思ったんです。帝都の鋭敏な人間は皆悟っていますよ。最近、北部とシャドウストーン家の距離が急速に近くなったって。これから先、北部に味方する人間も多く出てくるはずでしょう。誰しも乗りたいのは勝ち馬の方だ」
 なんて大人びた奴だろうか。俺はショウと、思わず顔を見合わせた。
 反乱の動きに気づかれやすくなる諸刃の剣かもしれないが、帝都でそう思う人間がいるのならば、こちらに寝返る人間も、早い段階で出てくるかもしれない。
 すでに話がされているなら、俺たちにどうこうできるはずがない。だが相談もなしにほいほい協力者を増やされて面白いはずがなかった。
 俺たちの気も知らず、バレリーは微笑む。
「皆さんは、中央にいつ挑むおつもりですか。まさかすぐってわけじゃないでしょう? だけどまごついていたら、勝機を逃す」
 仕方がなしに、俺が作戦の概要を話すと、バレリーは神妙な面持ちになる。
「数年後、魔導武器が北部に……」
 魔導武器は言い訳にすぎず、本当は国民意識の醸成を待っているのだが。
 魔導武器は北部を見張るために配備されたものでもあり、それが配備されるということは、北部に魔導石が埋まっているとシリウスが突き止めたということだ。シリウスが今回同じように突き止めてくれるかはわからない。だが、気づいてもらえなければ、上手く誘導する他ない。
「でも一方で、時間をかければかけるほど裏切りが出ると思います」
 バレリーの言葉に、俺は周囲を見渡した。確かに裏切りそうな奴しかいない。この場で本当に信頼できるのはショウだけだ。
「それで何が言いたいんだね、少年? 我々が背信するとでも?」
 バレリーはロゼッタにも怯むことはなかった。
「可能性は誰にだってあります。だって数年ですよ? 人間関係も考えも変わる。目指すのは完全な勝利でしょう? 裏切りが出たら、せっかく準備した意味がない」
「だから貴様、何が言いたい!」
 声を荒げる短気なジェイドに、バレリーはにこやかに答えた。
「血族の誓約」
 ふいに、窓の外が陰り、部屋の空気が冷えたように感じた。誰もが一瞬黙り込む。
「僕は古代の魔法について調べるのが趣味で、誓約を完全に再現することができます。もっとも、皆さんには釈迦に説法かもしれませんけど」
「……病気になりそうで嫌だな」
「貴様が一番怪しい」
 俺の感想に舌打ちをしたジェイドは、窺うように自身の父親を見た。
「父上、いかがされますか」
「いいだろう、やろうではないか。これで私たちが味方であると、フェニクス兄弟も信じるだろう?」
 ジェイドは表情を曇らせた。
「しかし、父上。ショウ・フェニクスは魔法使いではないでしょう。誓約はできない。この男が俺たちを攻撃しない保証はありません」
 ショウが眉を顰めてジェイドを見た。クルーエルが侮蔑したような声を出す。
「魔法が使えない人間が、我々を攻撃できるはずがないだろう。彼が加わらなかったとしても、なんら問題はない」
 馬鹿にしたようなクルーエルの言葉を、俺は苛立ちを抑えながら遮った。
「俺たちを忘れてもらっちゃ困るぜ。俺たちフェニクス家に意見を聞いてないのに、ぽんぽん話を進めるな。この戦いの主役はショウ・フェニクスだぜ」
 俺たち不在で話を進められるのは不愉快だった。だが兄貴は、困り果てたように俺を見ている。
「聞いてもいいか、『血族の誓約』とはなんだ?」
「古い魔法で、強い魔力がないと発動しない。だが俺たちならいけると思う。……血と魔力を水に込めて、それぞれ飲み合えば完成だ。飲んだ人間は、互いに攻撃できなくなるのが利点だ」
 潔癖な俺はそれだけで恐ろしい。誰が好き好んでこいつらの血を飲みたいのだろうか。
「攻撃するとどうなる?」
「死ぬ」
 ショウが目を細め、魔法使いたちを見回し「なるほど」とそれだけ言った。
 現代じゃこんな魔法、誰も使っていない。つまるところ、互いの頭に拳銃を向け合うと同義であり、信頼関係がまったくないと、表明するようなものだ。だが絆などない俺たちの間に、この誓約は確かに効果的だろう。ロゼッタが薄く笑いながら俺を見た。
「それでアーヴェル・フェニクス。君の答えは?」
「まあいいぜ、やろう」
 これでシャドウストーンからの安全が確保されるならば、確かに悪くない提案に思えた。「結局同じじゃねーかよ」と、ぼそりとジェイドが呟いた。
 グラスに入った水に、順番に血と魔力を込めていった。まず言い出しっぺのバレリーが飲み、次いでロゼッタ、クルーエル、ジェイドが飲んだ。
「お前の番だ、アーヴェル」
 差し出されたグラスの中の水は、それぞれの血に濁っている。何も考えないようにして、鼻をつまみ、液体を飲んだ。彼らの魔力が体に流れ落ちてくるのを確かに感じ、おぞましさが全身を駆け抜けるが、吐き出さないように気を鎮めながら口元を拭う。満足そうに、バレリーは言う。
「誓約は結ばれた。僕らは、これで誰も攻撃できない。北部に魔導具が配置されるのが、作戦開始の合図ですね。それまではモラトリアムだ」
 心なしか、ほっとしているようにも見える。この場でバレリーの味方はおらず、一番安全が確保されたのは、こいつなのかもしれない。
 帰る間際になって、シャドウストーン家の奴らの眼を盗み、俺はバレリーに話しかけた。
「ありがとうなバレリー。協力してくれて」
 今日が初対面になる彼だが、どんな時も俺は友人だと思っている。振り返った彼は、ぎこちなく微笑んだ。
「礼なんていりません。両家に恩を売っておけば、今後、自分の利になると思ったからここに来ました。僕は皆さんと違って後ろ盾なんてない。我が身を守れるのは自分だけなんです」
 でも――、と今度は心から笑った、ように感じた。
「アーヴェルさんと友人になりたいのも本心です。これからよろしくお願いします」
 もちろんだ、と俺も答えた。彼が味方でいてくれるのは、心強いことだった。