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異世界から帰還したら地球もかなりファンタジーでした。あと、負けヒロインどもこっち見んな。2
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異世界から帰還したら地球もかなりファンタジーでした。あと、負けヒロインどもこっち見んな。2

著者:飯田栄静 イラスト:桑島黎音

【プロローグ】 魔界じゃね?

 ――魔界、某所。
「今日も小梅ちゃんは可愛いなぁ。見てみろよ、俺の天使を」
 白いスーツに身を包んだ、中年男性がスマホを片手にだらしない顔をしていた。
 その男性とは魔界と魔族を統べる魔王サタンだ。
 本名はルシファー・太一郎。
 神に逆らい堕天した後は、サタンを名乗っているのだ。
「魔王様。小梅が美しい天使だということは全世界が、いえ、数多の並行世界の果てまで知られていることです」
「あ、うん、そこまで言ってないけど、あ、はい、すみません。睨まないでください」
 サタンさえ怯える眼光の持ち主は、息子であり魔界の幹部のひとりでもあるルシフェルだった。
 灰色のクラシカルなスーツを着こなし、ブロンドの髪を七三分けにしている美青年のルシフェルの本名はルシ
ファー・一心だ。
 今でこそキラキラネームは数多く存在するが、祖父であるゴッドによって「絶対に未来で流行りますから」と紀元前に名付けられて以来、グレて堕天した経緯を持つ。
 ちなみに彼は現代でも「ぴゅあって……ぶふっ」と部下に笑われてはルシフェルの名にふさわしく大暴れしている。
 傲慢を司るはずが、暴れる度に憤怒も司っているのではないかと疑問視されている。
 そんな彼は、ルシファー家の長男に生まれ、名前のせいで堕天するまでは天使たちの学校でも首席で生徒会長まで務めていた。
 今でもその優秀さから、魔界に飽きてしまった父サタンの補佐をしている。
「……ところで魔王様。小梅のSNSに一緒に乗っている少年と青年はどなたでしょうか?」
「少年のほうは人間だろう。顔つきからして日本人だな。イケメンのほうはわからん。アメリカ人っぽいな……なぜかニューメキシコ州ロズウェルで見かけそうな顔をしているな」
「私が気にしているのは彼らがどこの誰で、小梅とどんな関係かということです!」
「そりゃ、お友達だろう?」
「ははははは! 魔王様も面白いことを言いますね。小梅は淑女ですよ。異性の友達など、まだ早いっ!」
 ルシフェルから魔力がほとばしり、サタンの邸宅を揺らした。
 上級魔族が一〇〇〇人がかりで攻撃してもびくともしない邸宅をたったひとりの魔力で揺らすのだから、ルシフェルの力がとんでもなく強いことがわかる。
「本当にお友達というのなら、菓子折りを持ってご挨拶に行かなければなりません。あの気弱な小梅と純粋に仲良くしてくれているのであれば、兄としてお礼を言いたいですしね。しかし! もしも不埒な想いで近付いているのなら――残念ながら日本ごと消えてもらいましょう」
「範囲がでけえな! 待て待て、落ち着け。魔族でも特に力が強い中級以上の者は人間界に勝手に行っちゃ駄目なの」
「建前でしょう。神々や魔族が人間界で老後の生活を楽しんでいることは知っています。ご丁寧にSNSにまでアップして、みっともない。特にゴッドです。なんですか、あのゴッドは。『コーヒーショップで列に割り込まれてぷんぷんです、もう少しで天罰しちゃうところでした。』とか呟いているんですよ!」
「ゴッドはゴッドだから放っておけ」
 サタンが苦労して、部下であり息子であるルシフェルを宥める光景はいつものことだ。
 普通は逆なんだろうが、割とサタンは苦労性だった。
「しかし、家に引きこもって本ばかり読んでいた小梅が人間界にいるとは……神界には堕天した身で入れませんが、人間界なら可能ですね。よし。久しぶりに小梅に会いに行きましょう。そして、この一緒に楽しそうにしているご友人たちにもご挨拶しましょう」
「お、おい、待――」
 サタンが止める間もなく、翼が羽ばたく音がするとルシフェルが消えていた。
「まったく馬鹿息子め。小梅ちゃんだって人間的には行き遅れだからパパは気を遣ったんだけど……面倒なことになりそうな予感しかしねぇ」
 サタンは大きくため息をつくと息子を追いかけ日本に向かった。
第一章 新たな刺客が現れたんじゃね?
 由良夏樹が異世界から帰還して五日目の朝。
 宇宙人と出会い、天使と喧嘩して、土地神を殺すなどと慌ただしく濃厚な日々を送ったものの、朝食の席は穏やかだった。
 昨晩、友人と飲みに行った母はそのまま友人宅に泊まっているので、朝食は夏樹と銀子が簡単に作ったものをみんなで食べていた。
「そういや夏樹くんはこれからどうするっすか?」
 半熟の目玉焼きを、ほかほかのご飯の上に乗せて醤油をかけていた夏樹に、休みだからとトーストにジャムとコーヒーだけの銀子が問いかける。
「まだ中学生なのはわかっているっすけど、これから高校受験もあるっすよね?」
「そうだよねぇ」
「霊能力者を育てる高校があるの知ってます?」
「ま?」
「行きたいっすか?」
「全然行きたくない!」
「ですよねー!」
 銀子は夏樹の返事を予想していたため、聞くだけ聞いてみたという感じだ。
「夏樹が教育機関に通ったところで成長せんじゃろうて。格下に教わってなんの役に立つんじゃ」
「小梅さんはそう言うっすけど、実力的には下でも教えるのが上手い方もいますからね」
「銀子はその学校に行っとるんか?」
「もちろんっすよ! 私は才能ありまくりでしたから、推薦入学っすよ。……夏休み明けに退学になったっすけど」
「何しとるんじゃ、お前は」
「どうしても魔剣が欲しかったので、臨時講師で来ていた魔剣使いをボコして奪ったんすよ」
「強盗じゃろ、それ」
「正式な決闘っす! でも、お偉いさんの息子だったみたいで、だっせーことに親に泣きつきましてね。面倒だったんで、親ごとボコにしたら、退学っす。ひどくないっすか!?」
「俺様も暴れん坊じゃが、銀子も大概じゃな」
「ちなみに、そのときゲットしたのが魔剣花子です」
「その名前は決定なんじゃな。ネーミングセンスなさすぎて絶望レベルじゃろうて」
 銀子と小梅のかけ合いを聞きながら、ご飯を頬張る夏樹は考えていた。
 霊能力者を育てる学校があるのは、ファンタジーらしくて良いが、今さら教わることがないというか、夏樹は霊能よりも魔法だ。勇者の力と聖剣の力を使って高火力で敵をぶっ飛ばすというシンプルな戦闘を好む。
 基礎とかそういうのは異世界で自称仙人に教わったが、基本的に敵より早く動き、高火力でぶっ殺せ、という結論になった。
 脳筋といわれたらそれまでだが、それが一番早いのだ。
 魔王くらいになると戦う時間も比較的長かったが、力がある者同士の戦いほど早く終わる。
 魔王も一〇分くらいしか戦っていなかったし、魔神は二分ほどだ。
 実を言うと、夏樹は長期戦をしたことがない。する必要がなかったというか、魔王以上に長引いた相手はいない。
(俺って長期戦で戦えるのかな?)
 不意に疑問が浮かぶが、考えても仕方がないことだと疑問を頭から消す。
 なんにせよ、せっかくのんびりした生活を送る予定なのに霊能力者を育成する学校なんかに行きたくない。
 どうせラノベみたいに名門一族の御曹司や御令嬢に喧嘩を売られたり、秘密設定が盛りだくさんのクラスメイトを悪の組織が襲ってきたり、気が付いたら戦いに巻き込まれてしまったりと大変な予感しかしない。
 そういうのは異世界召喚だけでお腹いっぱいだった。
「ご馳走様でした。さてと、俺は学校行ってくるけど、みんなはどうするの?」
「私は宇宙船の修理状況を見に行く予定だ。船から家族に連絡もできるので定期連絡もしておきたい」
「私もですね」
「そっか。修理が早く終わるといいんだけど」
「気にすることはない、親友よ。もともと婚前旅行は一〇年ほどの予定だったので、旅行が終わる頃には問題なく直っているだろう」
「旅行って期間じゃないよね!?」
「そうだろうか? 友人はふらりと二〇年ほど旅行していたが?」
 おそらく寿命の違いで時間の使い方も違うのだろう、と無理やり納得した。
 きっと母はジャックとナンシーが一〇年居候していても構わないだろうし、もしかすると彼らも次の街や国に移るかもしれない。それまでは楽しく一緒に生活していたいと思った。
「私は一日中ゴロゴロしていたいっすね。明日から、水無月家のお手伝いに駆り出されるんすよ」
「手伝い?」
「あー、夏樹くんが斬っちゃった家とか山を都合よく処理するためのお手伝いっす」
「なんか、ごめんなさい。よろしくお願いします」
「いえいえ、お気になさらずっす。裏方も私の仕事っすから」
 ほっぺにジャムをつけて胸を張る銀子に夏樹は感謝した。
 夏樹がやらかしたことを仕事とはいえ、処理してくれるのはありがたい。
「俺様は、酒屋に行くぞ! 無論、銀子の運転で、じゃ」
「えー!?」
「春子ママさんのお酒を飲んでしまったのじゃから、買い足しておくのが礼儀じゃろう! あと、せっかくじゃからビール以外にもいろいろ買って飲みたいのじゃ! 今までずっと定住せずフラフラしとったんで、暖かいお家で晩酌をしたいんじゃ! ちょっと良いお酒で酔いたいんじゃ!」
「はいはい。好きにしてくださいっす」
「とりあえず銀子の金でクッソ高いウイスキーかブランデーを買ってやろう!」
「今、ちょっと良いお酒って言っていたのに、なんで急にクッソ高くなるんすか! というか、私の金で飲むつも
りっすか!?」
「何を言っておるんじゃ、俺様たち家族じゃろ」
「……都合の良い家族っすね。わかりました。五〇〇〇円なら出してあげます」
「馬鹿もん! 昨今の酒類の値上げを知らんのか!」
「知っているからこそ、五〇〇〇円で買える範囲にしてほしいっすよ!」
 お酒のことはよくわからない夏樹は、ちょっとスマホで検索してみる。
 確かに、少し前に比べてビールもウイスキーもワインも、ブランデーも値上がり傾向にあるらしい。
 お酒だけではない。電気代から食料品まで値上がりしている。
「なるほど、つまり――ゴッドが悪いってことか」
 ゴッドに責任をなすりつけることにして、スマホをしまおうとしたとき、メッセージが送られてきた。
「ん?」
 送り主は一登だ。昨日、いろいろあったし、彼にも何か影響がなければいいのだがと考えながらメッセージを開いて。
「――ぶっは!」
 夏樹は吹き出した。視線が集まる中、夏樹は呼吸困難になりそうなほど笑う。
 一登のメッセージは簡潔だった。
『――クソ兄貴が勃たなくなったみたいです』
 夏樹の目論見通りに封印が効いていることを確認できて、笑いが止まらなかった。
 小梅、銀子、ジャックとナンシーに見送られて家を出た夏樹。
 思えば、異世界から帰還後、中学校にまともに行っていないし、授業に出た記憶もない。
 夏樹の通う中学校は、厳しい先生こそいるが、校風は緩めなので口うるさく言われることはあまりない。生徒と教師の関係も良好だ。
 担任の顔は思い出せないが、クラスの席くらいは覚えている。
 異世界で殺伐とした日々を送っていたからこそ、学校に通うという当たり前を楽しもうと思った。
 思い返せば、異世界では字が読めない子どもも多く、計算ができない大人もいた。
 魔族との戦いと、貴族たちが平民に時間と金を費やさないこともあり、平民の生活水準はかなり低かった。
 対して魔族たちは、貴族に相当する魔王軍幹部という立場の魔族たちがいたが、それぞれ未来のために子供を、民を大事にしていたことを覚えている。
 放っておけば、いずれ異世界は魔族主体の世界になるだろう。
「にしても、狙ってやったとはいえまさか優斗の奴が本当に勃たなくなっちゃうなんて、ウケるんですけど。散々、使ったようだからもういいっしょ。思春期に発散できないのは辛いかもしれないけど、今までしていたことを考えれば安い安い」
 たとえ、優斗に今後、心から愛する人ができたとしても、生涯を共にしようとする人が現れたとしても、今までの行いを悔い改めたとしても、封印を解くことは絶対にしない。
「きっと反省も何もしないんだろうけどさ。問題は、魅了が切れたことで、今まで優斗に夢中だった女の子たちがどう出るかなんだけど……やべぇ、どうでもいいわー。興味が湧かねー」
 個人的に、優斗ハーレムの面々に興味はない。関わりもない。
 好き勝手されたのだから復讐されても自業自得だ。復讐する価値があるのかも疑問だが。
 そもそも優斗の魅了はさして強くなく、女の子側も自己判断で優斗の傍にいたことは間違いないので、本当に勝手にやってほしい。
 一登が巻き込まれたら助けるが、優斗だけの問題でしかないのなら放置一択だった。
「ねえ、夏樹!」
 ふわぁ、とあくびをする。
 昨晩は、みんなで盛り上がりすぎたせいで少し寝不足だ。
 とくに小梅と銀子が良い感じに酔っ払って、どちらが美脚か勝負するために生足を披露したり、お互いに自信のある身体の部位を見せ合ったりしていたので、悶々としてしまったのは内緒だ。
 大変良いものが見られてありがとうございます、とお礼を言いたくなってしまうほどだった。
「ねえ、夏樹ったら!」
 うへへ、と脳内で小梅と銀子の昨晩の姿を再生していると、いきなり通学用バッグが掴まれた。
 バッグを掴んでいたのは、ボーイッシュな雰囲気を持つショートカットの少女だった。短めのスカートの下にス
パッツを履いた、いかにも運動ができますという感じだ。足を惜しげもなく出しているのは自信があるからかもしれないが、小梅の美脚の足元にも及ばない。
「なんですか、急に?」
「無視しないでよ、夏樹!」
「あの、どちらさまですか?」
「え?」
「知らない人に、呼び捨てにされるとか怖いんですけど。防犯ブザー鳴らしてもいいですか?」
 夏樹も中学生だ。変質者が怖いので、防犯ブザーを持っている。
「知らない人って、ふざけないでよ! あたしだよ、松島明日香だってば! わざとやってるでしょう! 小さい頃遊んだじゃん! 幼馴染みのこと忘れるとか、あり得ないでしょう! ていうか、この間だって話したばっかりじゃん!」
 夏樹は大きく首をかしげた。
 日本に帰還してから、こんな子と話したことはないので、おそらく異世界召喚される前だ。夏樹にとっては体感時間で六年以上なのでかなり前のことだった。
 幼馴染みと言われても、女の子の幼馴染みはいない。
 夏樹にとって、幼馴染みと呼べるのは三原一登だけだ。
 しかし、不意に思い出した。
 いろいろあって忘れていたが、一登が注意するよう言っていた相手の名が松島明日香だった気がする。
「思い出した、バスケットボール部の」
「何言ってんの? そういう冗談はいいから! そんなことよりも聞いてよ。優斗ったら、朝からいきなり勃たなくなったかもしれないから試させろなんて連絡してきたんだけど」
「はぁ」
「ていうか、ちょっと顔が良いから付き合ってあげてたけど、なんであんな奴が好きだったのかよくわかんないんだよね」
「そうっすか」
「あ、付き合うっていっても気軽な関係だったんだけど、どうしてあんな男と気軽にでも関係持ったのかわからな
いっていうか」
「大変っすね」
「そうなの! 別に好きでもなんでもないから! そこは誤解しないでほしいの。それに、あいつって色々な女の子と関係持っているけど、あそこが小指より小さいんだから」
「ぶっはっ!」
 勝手にしゃべっている明日香を適当にあしらっていた夏樹だったが、明日香の爆弾発言に我慢できず吹き出してしまった。
(な、なんで、一登といいこの子といい、優斗の股間事情を俺に話すんだよぉ!)
「んで、君は俺にどんな用事があって来たの?」
「あ、ごめんごめん。優斗とはもう関係ないから、そろそろ夏樹と元通りになってあげてもいいかなって」
「んんん?」
「優斗にはいろいろさせちゃったけど、代わりに夏樹に悦んでもらえることたくさん知っているから、ね?」
 何が「ね?」なんだろうか、と夏樹は悩んだ。
 真面目に相手をするべきか、放置するべきか。
 そもそも元通りと言うが、幼い頃に少ししか遊んだことがないのに、何を元通りにするのかもわからない。
 もっと言うと、優斗と『いろいろ致した子』とこうして会話しているのも嫌だ。
「あのー、じゃあ、学校行きますんで。さようなら」
「あ、うん。さような――っじゃなくってさ、ああ、まどろっこしいなぁ! あたしが付き合ってあげるって言ってるの! そのくらい察してよ!」
「……なんで?」
「なんでって……ほら、あたしって優斗の相手をしてあげているときに、理由はわからないけど夏樹にひどいこと
言っちゃったでしょう? だから、お詫びっていうか、ごめんねの代わりっていうか」
「えー。普通に謝ってくれればいいんですけど。いえ、その前に、特に気にしていないんで。もういいです。はい、じゃあ、そういうことで」
 正直、引いていた。
 明日香は以前、夏樹と優斗を比べる発言を多々していた。明らかに見下す態度もあった。それに関して『ひどいことをした』という実感と罪悪感があるのは良いことだと思うが、お詫びで付き合うとかあり得ない。
 正直言って、明日香のことは幼い頃に遊んでいたときも男子だと思っていたし、女子だとわかっても「へー」くらいにしか思わなかった。
 ボーイッシュで人当たりの良い明日香は、年頃の少年たちには受けが良いだろうと思う。しかし、夏樹的には『ない』の一択だ。
 興味がない。関心がない。
 今の夏樹は、小梅と銀子という美女と一緒に楽しい生活をしているのだ。同級生の女の子に魅力を感じられるかと問われると、残念ながら難しい。
 魅力的な年上のお姉さんであると同時に、家族同然に、長い付き合いの友人のように、遠慮なく明け透けに接することのできるふたりとの時間がとても大切なのだ。
(悪いと思っているのも本当だと思うけど、この子の目はさ……俺を利用した異世界人と同じなんだよねぇ。こんな気持ち悪い目をしていながら、俺が靡くわけねーじゃん)
「ちょっと、もういいですって何よ!? あたしが何度男子から告白されたのか知ってるの? あたしは夏樹がいいって思っているんだから、それに応えてくれてもいいじゃない?」
「遠慮しますー」
「夏樹って女の子と付き合ったことないでしょう? 女の子が気持ち良いってこと、たくさん教えてあげるから、ね?」
「いいですぅー」
 しつこい勧誘を断るように、バッグで身を守りながら夏樹はそそくさと去っていく。
 明日香が追いかけてきたため、夏樹が走り出すと、さすがに追いかけてはこなかった。
(何あの子、怖い! 中学生なのに、なんか嫌! エロいとかなんも思わないんですけど。むしろキモいんですけど! おえぇ!)
 明日香が優斗に未練も何もないことはいいことだと思ったが、代わりにこっちにくるとは思いもしなかった。
 夏樹は明日香に覚えた生理的嫌悪を払うように、中学校にたどり着くと、唯一事情を話すことができる一登に泣きつこうとしたが、途中で教師に見つかった。
「くぉら、由良ぁ! お前、何日学校サボったと思っているんだ!」
「ごめんなさーい!」
 新たな自称幼馴染みが現れるし、教師には怒られるし、散々な朝だと夏樹は肩を落とした。
「由良くん、おはようございます!」
「あ、都さん。おはようございます」
 教師に謝罪して職員室から出てくると、いつの間にか待っていたらしい水無月都がにこにこ笑顔を浮かべて挨拶をしてきた。
 異世界にいたせいで存在を忘れていたクラスメイトとの再会をしたとき、第一印象はお世辞にも良いものではな
かった。
 最悪にならなかったのは、やりたい放題の優斗と、自分勝手な杏の存在がいたからだ。
 紆余曲折あり、都から謝罪を受けた夏樹は、クラスメイトということもあり良い関係を築いていこうと思っていたのだが、
「さっそく鞄をお持ちします!」
「ちょ、いいって、いいですから、鞄をぐいぐい引っ張らないで」
 監視者という話も出ていた都だが、まるで舎弟のように夏樹のスクールバッグを持とうとする。
 もう学校にいて、教室まですぐということころでスクールバッグを持ってもらう必要などないし、中身はすっかすかなので重くもない。
 和風美人の都に、クラスメイトの男子が鞄を持たせているところなどほかの生徒に見られたりしたら、どんな悪評が立つかわからない。
「鞄はいいんで、ね、お願いだからはーなーしーてー」
 バッグを取り返すと、抱きしめて守る。
 少ししゅんとした都だったが、すぐに気持ちを切り替えたようで夏樹と一緒に教室に向かって歩き出す。
「改めて昨日はどうもありがとうございました。お姉ちゃんとちゃんと向き合うことができたのも由良くんのおかげです。昨日も、一緒に寝たんです。お姉ちゃんってスレンダーなのに柔らかいんですよ、ぐへへ」
「女の子がしちゃいけない顔してるよ」
「おっと、失礼しました。ところで、由良くんは朝だというのに何やらお疲れな顔をしていますね。やはりみずち様との件が、尾を引いているのですか?」
 心配してくれる都に、「違う違う」と苦笑する。
 みずちは強かったし、力もそれなりに出したが、翌日に持ち越すほどではない。
 原因はもちろん、松島明日香にあった。
 夏樹は、都を見て、ちょうど良いと思った。あまり関心のない明日香のことを都に聞いて見たら、何か知っているかもしれない。特に、女子視点なら男子にはわからない何かを教えてくれる可能性がある。
「朝からいろいろあったんだよ。都さんは、松島明日香って知ってる?」
 自称幼馴染みは放置でもよかったのだが、放置したせいで面倒なことになったら嫌なのでなんらかの対処ができれば、と思い尋ねると、都ははっきりとわかりやすい嫌悪を顔に浮かべた。
「松島明日香ですか? もちろん、あのクソビッ――ですよね」
「え? 今、すごく汚い言葉を使わなかった?」
「気のせいです」
「で、でも」
「気のせいですよ。それで、そのビッ――じゃなくて、松島さんがどうかしましたか?」
「やっぱり汚い言葉使ってるよね!?」
 清楚な見た目の都から聞きたくない言葉が出てきて、夏樹はドン引きだ。
 しかし、都が汚い言葉を使うほど、明日香への印象は悪いのだろう。
「えっと、何か知ってるの? 俺さ、朝からうざったく絡まれたからさ」
「そういえば、松島さんは由良くんの幼馴染みらしいですよね。よく言っています。必ず、その次に三原優斗と比べてどうこうという発言を繰り返すので、女子はスルーですが」
「ちっちゃい頃、少しだけ一緒に遊んだって幼馴染みなのかなぁ?」
「少しだけってどのくらいですか?」
「一か月くらい」
「……それって、ただの知り合いでは?」
「だよねぇ!」
 第三者からただの知り合いだと認定してもらえて、夏樹は心底ホッとした。
「しかも、遊んでいたときは、男の子だと思っていたんだよ。あとで女の子だって知っても、へーって感じで」
「……そうなんですか?」
 都は少し驚いた顔をしていた。
「なんで驚くのかな?」
「いえ、あの、松島さんは、由良くんが自分に気があると常日頃から言っているので」
「――あいつ許せない!」
「だ、大丈夫ですよ。誰もまともに相手にしていませんから。ですが、松島さんとは関わらないほうがいいと思います。彼女と親しくすると、誤解されると思いますので」
「もうすでに気があると誤解されているんですけど。うわぁ、憂鬱」
「そうじゃなくてですね……その、非常に言いづらいのですが、松島さんは一部の男子と、とくにバスケ部の男子と仲が良いんです」
 都の言いたいことがわからず夏樹は首をかしげた。
「バスケ部の女子がバスケ部の男子と仲が良いのって普通じゃないの?」
「言葉が足りませんでしたね。松島さんは、バスケ部の男子と『だけ』仲が良いのです」
「んん? それってどういう?」
 どこか遠回しな言葉に、夏樹が怪訝そうな顔をする。
 すると直接言わなければ駄目かと思ったようで、なぜか少し顔を赤くした都が夏樹に耳打ちした。
「松島さんはバスケ部の男子の一部と、その、関係があるそうです」
「……関係ってあの?」
「あの、です」
「うわぁ」
 詳しく聞くつもりはなかったが、女子の中では結構有名のようだ。
 優斗とお盛んであることは知られており、悪ノリした男子が優斗と付き合っていないのなら自分にもチャンスがあるのではないかと誘ってみたところ、見事に行為に至ったという。その男子が武勇伝のように語るので、次から次に男子がアタックし、関係を持ったそうだ。
 一応、明日香にも好みはあるようで断られた男子もいたようだが、一部の男子と女子たちの中では松島明日香の評判は相当悪い。
(優斗ぉ、つなぎ止めておけてねーじゃん! あの女も、俺を優斗と比べたりしていた割にはほかの男と関係を持つとか――っ、これが破廉恥)
 と、話を聞いたところで、最近の若い子はやーねー、くらいにしか思わなかった。
 襲われたとか、脅されたとかならいざ知らず、お互いに合意の上なら問題ない。もちろん、不特定多数の相手とそういうことをするのはいかがなものかと思うが、人の趣味嗜好に口を出すような趣味はないのだ。
(でも相手に困っていないなら、なんで俺を誘ってきたんだろう。あ、駄目だ、考えられない。もう興味が、なくなるぅ)
「そんなことよりも聞いてください。今度の日曜日、お姉ちゃんと遊園地デートしてくるんです!」
「そうなの? 姉妹が仲良くて何よりだよ」
「本当はお母様も一緒に行けたらよかったのですが、なんでももうみずち様の代わりに土地神として来てくださる神様がお決まりのようで」
「昨日の今日でもう?」
「ええ、神界の上層部の方からお電話があったそうです」
「……神託とかじゃなくて電話が来るんだ。がっかりすぎるだろ」
 神様たちが現代社会に順応していることに驚くと同時に、ちょっと残念だった。
「水無月家は、今、変わりつつあります。みずち様はいなくなってしまいましたが、新たな神様と一緒に向島市の守護に励みたいと思っています。私も次期当主としていくつか仕事を任されました」
「大変ねぇ」
「そのひとつが……三原優斗の再調査です」
「あいつの?」
 すでに優斗に関しての調査は終わっていると聞いていたのだが、なぜ今さらと首をかしげた夏樹に、都は補足するように続ける。
「と言っても、調査はほぼ終わっているんです」
「あ、そうなの?」
「はい。理由はわからないのですが、五日前に、過去に三原優斗の調査に当たった霊能力者たちが彼と肉体関係を持ってしまったと上に告白したそうです。その場限りの関係だったようですが」
「なんでまた急に?」
「それはわかりません。三原優斗に手を出されていたのか、その霊能力者たちが彼に手を出したかまでは私にはわかりませんが、調査に不備があったことが認められました」
 どうやら優斗を調査するために近付いた女性たちは、優斗と一回限りではあったが肉体関係を持ってしまったそうだ。だが、まずいとわかっていたのだろう。なかったことにして、問題ないと院に報告した。
 しかし、なぜか五日前に突然、自白をはじめたそうだ。
 罪の意識があったのか、ほかの理由があったのか。夏樹にしてみたら、不思議なこともあるものだ、と思うくらいだ。
「ていうか、本人たちはなんて言ってるの?」
「三原優斗が好みだったから手を出してみた……とのことです。それ以外はわかりませんし、もうわかりようがありません」
「どういうこと?」
「調査を担当した人間にはペナルティーが与えられました。霊力を破壊されたようです」
「それはまた、なんていうか」
「院は無駄にプライドが高いですから、院の霊能力者としてふさわしくないと判断して即処分です。院は大きな組織ですが、ほかにも組織がないわけではないので、外面を気にしたのでしょう」
「めんどくせ」
 本当です、と都は肩をすくめた。
「ここ数日で、もう一度調査員が調査をしたところ、女性に魅了を使っていることを確認できたそうです。力としては微弱ですが、力の重ねがけができることと、肉体的に強い接触を……そのエッチなどをすると快感が大きいやら、三原優斗を魅力的に見せるなどあるようで」
「依存性が強いってこと?」
「こればかりはかかってみないとわかりませんが、自分から魅了にかかる人間はいませんので」
「だよね」
「ただ、一般人でも、霊能力者よりに近い……ざっくりですが、きっかけがあればこちら側に足を突っ込むことができる潜在能力がある人間ほど彼の力の影響を受けやすいと判断されています。ただし、霊能力的に抵抗ができれば大した力ではないようです」
「なんだろう、もやっとする。つまり、優斗と相性が良ければ魅了もよく効くし、相性が悪ければなーんも効かないしってこと?」
「その認識でいいと思います。そもそも力の制御をしていない人間の力なんてそんなものです。だからこそ、今まで危険視されていませんでしたし、少しくらい力があっても放置なんです。魅了も能力として把握したうえで鍛えている人が本気で使えば、抵抗力のない人は殺人すら喜ぶでしょう。死ねと言われれば喜んで死にます。本来はそれほどのものなんです」
「つまり、優斗は雑魚でした、と」
「言い方は悪いですが、はい。ただ雑魚でも、被害者はいるでしょうから私が調べることになりました。もちろん、ほかの霊能力者と協力の上です」
 ただ、と彼女は続けた。
「被害者ってほどの被害者がいないんです。例えば、あのビ――いえ、松島さんは三原優斗に入れ込んでいますが、彼以外にも男子と関係があります。もともとそういう子だったとしか判断できません」
「だよねぇ」
「数人、やはり五日ほど前に体調を崩して休んでいる人もいますので、まだ全貌はわかっていませんが……ちょっと大変そうです」
「ケアとかはするの?」
「いえ、私たちはあくまで調査です。仮に力を使わされて無理やりの場合や、証拠を残されていて脅されているのであれば、警察にいくように誘導します。私たちの存在は隠して、ですが」
「そっか。優斗に関しては?」
「すでに由良くんが三原優斗の封印をしちゃいましたよね? なら、もう放置です。今まで通りにしようとしてもできなくておかしいと思えばそれでいいですし、気付かずに痛い目に遭うのも彼次第ですから」
 夏樹は賛成も反対もしない。
 優斗はもちろん、優斗が手を出した子たちにもさほど興味はないのだ。
 自分にさえ関わらないでいてくれれば、それでいい。
 冷たいようだが、赤の他人のことをなんとかしようと思うほど善人ではない。
「現時点では、三原優斗と関係のある人はあまり素行の良い方ではないですね。高校生、大学生、社会人。補導歴がある人もいます。三原優斗を都合のいい遊び相手として扱っている人もいるそうです。女性たちにもわかるのでしょう。相手が遊びだとわかっているので、こっちも遊んでやろうと、一時的な快楽を求めて……嘆かわしいですが、珍しいことではないと思われます」
「優斗が逆に遊ばれているパターンもあるんだ」
「由良くんも少し気を付けてくださいね」
「え? 俺?」
「三原優斗は由良くんを幼馴染みと公言していますし、綾川杏さんや、松島明日香さんもよく由良くんの名前を……決して良い意味ではありませんが口にしています。勘違いして、三原優斗の関係者だと思われる可能性がありますので」
「うん、わかった。何かされそうになったら容赦なく――」
「違います! 一般人が突っかかってきても手加減してあげてほしいとお願いしたいのです!」
「えー」
「あの、本当に、土地神様を倒せるほどのお力で一般人に何かしたら、それこそ問題になってしまいますから」
「わかりましたー」
「由良くんも、三原優斗には関わりたくないでしょうから、今後はお任せください。調査し、必要なことはしておきますので、由良くんはいつも通りに生活していただければと。あくまでも、私が調査をすることをお伝えさせていただいただけですので」
「わかったよ。頑張ってね」
「ありがとうございます。では、教室に向かいましょう」
 今後、優斗はどうなるかわからないし、興味もないが、一登や家族に迷惑をかけないようにしてもらいたいと夏樹は思う。そして、脳裏から優斗のことを排除した。
 放課後の教室で、サボった罰の課題を片した夏樹はうーんと背伸びをする。
 少し離れた席には、都が夏樹の邪魔をしないように読書をしている。彼女は監視という名目があるので、学校に夏樹がいる間は近くにいるようだ。
 都は、姉と一緒に行く遊園地のガイドブックを眺めている。あまりにも集中しているので、声をかけていいものか悩む。
(そういえば、澪さんはどうしているんだろうね。ちょっと気になるな)
 体面上の監視役として澪も名を連ねているので、そのうち会えるのかなと期待する。
 そろそろ帰ろうと思い、都に声をかけようとした時だった。
「あー! いたいた!」
 朝と同じ軽いノリで松島明日香が教室に入ってきた。
 夏樹はとっても嫌な顔をしたが、彼女は気付いていないのか、気にしていないのか、構わず近付いてくる。
 都が警戒心を強くして立ち上がるが、「大丈夫」と目で制す。
「探しちゃったよ。一登に夏樹の連絡先聞いても絶対に教えないってウザいし、知ってそうな杏や優斗は連絡取れないし。靴があったから学校にいることはわかっていたけど、教室でプリント?」
「君には関係ないでしょう。何か用でも?」
「あ、そうだった。夏樹って、これから暇? 暇じゃなくても付き合ってほしいんだけど」
「嫌です」
「即答!? でも、絶対来たほうがいいよ? 来なかったら後悔するよ?」
「いえ、いいですー」
「そんなこと言っても気になるくせに」
「お話ちゃんと聞こう? 俺の声聞こえてますかー? 会話のキャッチボールしよう?」
 何を言っても明日香には夏樹の言葉が届いていない。
 実に面倒くさい人間だ、とため息をつく。
 やはり夏樹の態度に気付かない明日香は機嫌よく近付いてくると、
「これからバスケ部の男子たちといいことするんだけど、夏樹もおいでよ」
 よろしくないことしか察することのできない言葉を吐いた。
「おえ」
 同時に、夏樹に吐き気が込み上げてくる。
(よくも、まあ、都さんがいるのに堂々と……というか、複数人でのお誘いとか嫌ぁ! きんもー! 思春期でお盛んな男子中学生にとっては女神のような存在なのかもしれないけど、俺には気持ち悪くてしょうがない)
 口元を押さえながら、夏樹は異世界でとある貴族の令嬢から告白されたことを思い出す。初心な反応をする可愛らしい子だったが、裏では奴隷を侍らせて口にするのもおぞましい行為を好むような子だった。
 もちろん、初めから夏樹は相手にしなかったが、性癖を知って以来近付きもしなかった。
「ちょっと、おえって何よ。あ、恥ずかしがってるんでしょう? 男子って最初こそ嫌がるフリをするけど、興味津々なのわかってるんだから。ほら、ね?」
「無理です」
「え?」
「いや、本当に無理です。勘弁してください。お金ですか? お金払ったら勘弁してくれますか? まじ無理ですから。本当に無理ですから。きもいきもい。おえ」
 夏樹も男子中学生なので性欲はあるし、女性にも興味がある。
 しかし、明日香は生理的に受け付けない。
 優斗の魅了に影響されていないにもかかわらず、軽いノリで誘ってくるような明日香に夏樹はひどい嫌悪感に襲われるのだった。
「いい加減にしなさい!」
 ぐいぐい来る明日香に唖然としていた都は、夏樹を守るために大声を張り上げてくれた。
 しかし、明日香は都を一瞥すると、すぐに興味を失ったのか背を向けてしまう。
「由良くんが迷惑そうにしているのが、いいえ、はっきり拒絶しているのがわからないんですか?」
「水無月さんだよね。男子から人気があるくせに、興味ありませんみたいな態度の人にはわからないみたいだけど、男子って恥ずかしがり屋さんだから。フリだから、フリ」
「……今の由良くんを見てそう思えるのなら、お医者様にかかったほうがいいでしょう。被害者かと思って黙って見守っていましたが、もともとの素質があるようですね」
「意味わからないけど、幼馴染みとの会話を邪魔しないでほしいなー」
「ふふっ。笑わせないでください。幼少期に少し遊んだだけの、しかも男子と間違えられていたような人が」
「かもしれないけど、今は女の子じゃん? 男子だってみんな認めてくれてるし」
 もう面倒なのでスクールバッグを持って、さっさと学校から出ようとした。
「帰りましょう、由良くん。私もお姉ちゃんと早く会いたいですし」
「水無月さんのお姉ちゃんて、ギャルっぽいのに陰気臭い人だよね?」
 姉妹の仲を修復中の都に対し、明日香は言ってはいけないことを言ってしまった。
 ぷちーん、と都の中で何かが切れるような音がした気がした。
「――貴様っああああああああああああああっ! 私のお姉ちゃんを馬鹿にしたなぁああああああああああああああ! 表に出ろ、このクソビッチがあああああああああああああああああ!」
 ブチ切れた都が虚空から霊刀を抜こうとしたのを察し、彼女の手に魔力をぶつけて阻んだ。そのまま彼女の背後に回って、「失礼します」と一言かけてから羽交い締めにする。
「どうどうどうどう、ステイステイステイステイ!」
「放してください! この不届き者を斬り捨てて、烏の餌にしてやります!」
「お姉さんのこと急に好きになりすぎぃ!」
「私は元からお姉ちゃんが大好きだったんです!」
 感情が昂ったら我を忘れるのは相変わらずなようで、夏樹が止めていなければ、殺しこそしなくても都は明日香に飛びかかっていただろう。
 当の明日香は、自分が危機的状況に陥っていることなどつゆ知らず、ケラケラ笑っている。
「斬り捨てるとか、何それ面白いんですけど。水無月さんって時代劇好きなの?」
「こ、殺す、この女殺す! 由良くん、雲海様をお呼びください! 雲海様なら、お姉ちゃんがディスられたとわかれば、快感が激痛になるような呪いを施してくださるはずです!」
「うわー。何、時代劇好きで、霊感あります系な人なんだ。引くわー」
「ちょ、お前も余計なことを言わないで、男子たちとのお楽しみ会にさっさと行けよ!」
 火に油を注ぐ明日香に、夏樹はもう勘弁してくれと思った。
「はーい。じゃあ、夏樹も絶対来てよね? もし、そこの変な女と関係があっても、私は気にしないから!」
 明日香はにこやかに返事をして手を振ると、気分良さげに教室から去っていく。
 これだけブチギレている都を前に、動揺も困惑もせず笑っていられる精神がすごいと素直に思ってしまった。
 都は、近くにあった机を蹴り倒してから、ようやく冷静さを取り戻す。
 ふー、ふー、と呼吸を繰り返し、息を整えている彼女をそっと放す。
「あの何を言っても聞いてない感が疲れる。優斗や杏よりも面倒くさい」
 もう関わることさえ嫌だ、と疲れた顔をした夏樹に、
「簡単です」
 呼吸を整えた都が提案をした。
「呪うのとかは駄目だよ。いや、別にいいんだけど、都さんの立場的によくないでしょ」
「申し訳ございませんでした。しかし、冷静さを取り戻した私はそんなことはしません。する必要もありません。あのような女など、もっと確実に対処する方法があります」
 ごくり、と夏樹は唾を飲んだ。
「そ、それは?」
「先生にチクります」
「ええー?」
「男子といやらしいことをしている最中に先生が突撃すれば、言い逃れができないでしょう。ペナルティも下るでしょうし、親にだって連絡がいきます。普通の親なら激怒するでしょう」
「それだあああああああああああああああああああああ!」
 夏樹は感心した。
 都の言う通り、教師に密告すれば一発でアウトだ。
 バスケ部男子たちと何をするかなど、明日香の言動からよくわかった。ならば、教師にその場を発見させればいい。
 学校の外のことならあまり口を出さない教師たちでも、学校の中で不純異性交遊をしていれば注意しなければならないだろう。
 都が考えているように、大事にならずとも親に連絡がいくことは間違いない。
 これはいける、と夏樹は頷いた。
「松島さん、あなたが悪いんですよ。地上に降臨した天使よりも天使なお姉ちゃんをディスったことを後悔すればいいんです。くけけけけけけけけけけけっ!」
「都さん、都さん。笑い方が邪悪。とても邪悪」
「くけけけけけけっ……おっと、失礼しました」
「今の都さんとなら、いい友達になれそうだよ」
 にやり、と悪い笑みを浮かべた夏樹と都はがっちり握手を交わしたのだった。
 さっそく教師にチクろうとした夏樹と都だったが、肝心の明日香がどこにいるのかわからない。
 明日香も夏樹を誘った割に、どこで何をするのか言わないあたり、抜けているのか、冗談だったのか、不明だ。
 だが、居場所がわからなければチクることができないので、都が簡易的な式神を飛ばしてみたところ、ものの五分で明日香は見つかった。
「――おえっ」
 市松人形を思わせる整った顔立ちをした都からはあまり聞きたくない、えずく声だった。
「体育館にある空き部屋に、おそらく元はロッカールームだったのでしょう。そこで、松島さんと――」
「あ、説明は聞きたくないです」
「私も見たくはありませんでした。中学生でそういうことをするのは本人の自由ですから、とやかく言うつもりはありませんが……あの女はおかしいです」
 すでに明日香はお楽しみのようだった。
 ならば、あとはするべきことをするだけだ。
 ふたりはすぐに職員室に向かうと、悍ましい物を見たかのように顔色を変えて、吐き気を我慢するように演技しながら教師に縋った。
 もっとも、都は演技ではないようだったが。
「由良くんと水無月さんですか。珍しい組み合わせですね。……ふたりとも青い顔をしていますが、どうしましたか?」
 夏樹たちにすぐに気付いてくれたのは、学年主任であり日本史を担当する月読だった。
 すらりとした長身で、丸眼鏡をかけた温和そうな男性だ。
 特徴的なのは、髪が真っ白であることだ。本人曰く、生まれつきのようだ。
 年齢は四〇代のようだが、三〇前後にしか見えない。
 生徒思いの良い先生であり、進路相談をする生徒も少なくない。
 夏樹の記憶にはないが、彼は怒ると静かだが、噴火前の火山のように恐ろしいという噂だ。
 明日香たちのことをチクるにはちょうど良いと、夏樹は内心で笑みを深めた。
「あ、あの、とても言いづらいんですが……どうしていいのか、わからなくて、その、でも」
「俺も、どうやって説明していいのか。いや、そもそも先生にこんなことを言っていいのかどうかわからなくて」
 演技派のふたりは、大きなショックを受けた生徒を演じきっていた。
 月読はふたりに穏やかな笑みを浮かべると、落ち着くように言ってくれた。
「大丈夫ですよ。何か問題があるのなら、力になりましょう。学校以外のことでも、親に相談できないことでも。しかし、教師は生徒からちゃんと言葉にしてくれなければ動けないこともあるのです。ですから、頑張って言ってみてください」
 本当に親身に寄り添おうとしてくれる月読を利用しようとしていることに、少し胸を痛めながら夏樹は静かに告げた。
「その、女子バスケ部の松島明日香さんが」
「彼女がどうかしましたか?」
「体育館の空き教室で、男子バスケ部の男子たちと、その」
「まさか煙草でも吸っているのですか?」
「いや、煙草じゃなくて、不純異性交遊といいますか、なんというか」
 異世界で魔王と魔神を倒した勇者も、数人の教師たちの視線が向けられた職員室ではっきり口にするのは躊躇いがあり、もごもごしてしまう。
 だが、月読は『不純異性交遊』で察してくれたようだ。
「権藤先生、すみませんが、少しよろしいでしょうか」
 静かに立ち上がると、強面の体育教師権藤の名を呼んだ。
「月読先生? どうかしましたか?」
 こちらに来た権藤に月読が小さく耳打ちをした。
 刹那、権藤の顔が憤怒で真っ赤に染まる。
(あ、そういえば権藤先生って確かバスケ部の顧問だったような気が)
 えらいこっちゃ、と思う夏樹の肩を力強く権藤が叩いた。
「由良、水無月。言いづらいことだったとは思うが、よく言ってくれた。あとはこっちでなんとかするから、お前たちは帰りなさい。親御さんに……言うのは止めないが、できればほかの生徒には言わないでほしい。いいな」
「わかりました」
「こんなこと言えません」
「だよな。すまん。じゃあ、あとは任せろ」
 権藤はそう言って体育館に向かう。
「待っていても良いことはないでしょうから、ふたりとも帰宅してください。もしかしたら事情を聞くために電話するかもしれません。その時は、お願いしますね」
 月読も権藤を追っていく。
 夏樹たちは「失礼しました」と礼をして職員室を出ると、暗い顔をして下駄箱に行き、上履きから靴に履き替える。
 校舎を出て、校門をくぐろうとしたとき、
「貴様らぁああああああああああああああああ! 何をやっているぅううううううううううううううううううううう!」
 権藤の怒号が聞こえたので、演技の暗い顔をやめて満面の笑みを浮かべると、「いえーい」とハイタッチしたのだった。