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目の前の惨劇で前世を思い出したけど、あまりにも問題山積みでいっぱいいっぱいです。2
著者:猫石 イラスト:茲助
序章 あまりにも問題山積みでいっぱいいっぱいですからね?
私の名前はネオン・テ・トーラ改め、ネオン・モルファ(十八歳)。
我が国の三大公爵家の一つテ・トーラの惣領娘として生まれ、父親(クズ)のせいで、八歳で公爵家を追い出されると、市井の酒場兼宿屋で働きながら、家族と暮らしていたわ。
だけど十八歳になったある日、私たちを捨てた公爵家(ドクズども)から政略結婚で(いえのために)嫁に行けと命じられ、家族の安寧と引き換えに、公爵家当主(くそじじい)と当主夫人(くそばばあ)による鬼の貴族教育を施され、南方辺境伯爵で辺境伯騎士団団長のラスボラ・ヘテロ・モルファ様(二十七歳)に嫁がされたの!
本当は激しく嫌だったけど、家族のこともあって大人しく嫁に行ったし、初夜も覚悟した。けれどその夜「お前とは白い結婚だ! お飾りの妻になれ!」と旦那様に言われた私は「はい喜んで!」と承諾、笑顔で契約書を作り、屋敷の離れに引きこもった。子作りも家政もノータッチ、社交も最低限、しかもそれで毎月お給料をくれるなんて、これ以上楽なことはないもの。
離れでの生活は、花を愛で、茶をしばき、本を読んでと本当に最高だった。けれどある日、使用人と騎士団要人の策に嵌められ騎士団の視察に行ったところで三十人の負傷兵がただ投げ込まれただけの救護院に行きつき、その
ショックから『趣味と生活のためだけに仕事しています! 勉強? 資格とっちゃえばこっちの物! 的お気楽へっぽこ看護師』だった前世の記憶を取り戻したことで、気が付いたら負傷兵に対し看護を提供し、すべての元凶である旦那様相手と罵詈雑言の舌戦を繰り広げ、なぜか南方辺境伯騎士団十番隊医療班隊長なんて肩書と共に、辺境伯騎士団本部砦内に医療院を立ち上げ、看護班六人、物資班十人、私の侍女一人の総勢十七名の部下を抱える医療隊長に
なってしまったの!
しかもこの医療院を運営する建前として、前辺境伯夫人が志半ばで叶えることのできなかった辺境伯領内孤児院の子どもたちへの支援をすることになり、結果、教会でバザーをすることを提案してしまったわ。
(ちょっと待って、この十日間で私を取り巻く環境が様変わりしすぎだわ。もう、心身ともにいっぱいいっぱいなの! なんでこんなことになってるの!?)
そう考えている私の前に、今日も問題の種はにこやかに笑いながらやってくるのである。
一章 第九番隊隊長と、新事業
「物置状態だった兵舎が、随分しっかりした医療院になりましたね」
(夜勤者の兵舎が物置状態だったのは御存じだったのですね)
暢気な声を上げたブルー隊長に、隊員への福利厚生はどうなっているのだと少しだけもやっとしたものを感じて見上げたが、その表情は嫌味や悪気がまったくなく、本当にただ感心しているようで、なんだか毒気を抜かれ、頷いた。
「傷ついた患者が心穏やかに療養するための場ですので、清潔安全に整えられた環境が必要です。そのため隊員たちがみなで頑張ってくれ、このような形になりました。どうぞお座りください」
階段を上った先にある応接室兼執務室に三人を案内し、席を進める。
三人がソファに座り、私もすっかり自分の席となってしまったお誕生席にあたる一人掛けソファに座ると、第九番隊隊長と名乗った壮年の男性を見た。
彼も私の視線に気が付いたようで、柔和な笑顔を浮かべ、頭を下げた。
「改めてご挨拶を差し上げる。南方辺境伯期騎士団第九番隊隊長シノ・ドンティスと申します。南方辺境伯夫人には、結婚式で一度ご挨拶させていただきましたが、どのような場所・姿でも変わることのない美しいお姿は、真実、公爵家の宝石と呼ばれるにふさわしい。この荒々しい地においてはまさに眼福。そのお姿で、この辺境の、特にあまり宮廷式の社交が得意ではない御婦人方と、仲良くしていただければと妻とも話していたのです」
その言葉に、私は少しだけ眉尻が上がった。
(この方は公爵家の『宝石』をご存じなのね……なるほど)
この辺境に来て初めて投げかけられた華やかな社交辞令と『宝石』の言葉に、私は貴族の婦女子として気を引き締め、穏やかに貴族的微笑みを浮かべた。
「結婚式に御参列頂きありがとうございます。ネオン・モルファです。あの日は大変に緊張しておりましたので、皆様に失礼がなかったかと心配しておりました。ですからそのようにおっしゃっていただけて安堵しましたわ。私のことは、ほかの皆様にもお願いしておりますように、ネオンとお呼びください」
「かしこまりました。では、そのように」
こちらの意を組み頷いたドンティス隊長を私は観察する。
拝見した限りでは怖い方かと思ったが、こうして言葉を交わせば、とても穏やかな、前世の言葉で表すならばまさに紳士といった佇まいの方だ。
斑に濃淡のある金の短髪をうしろになでつけ、緑がかった黒い瞳を細めて穏やかに微笑む様子は、辺境の騎士には珍しい柔らかな物腰で、武骨な隊服より宮廷貴族の正装(フロックコート)のほうが似合うだろう。
(騎士団雇用にイケメン枠とかあるのかしら? イケオジに、わんこ、クールビューティーに正統派貴公子……ん? なんか乙女ゲームみたいじゃない?)
そんな考えがふと浮かんでしまうほど、さまざまなタイプのイケメンが多いので、ついついオタクの気質が顔を覗かせる。
(今はそんな暇ないけれど、いつかイケメンを楽しむ余裕ができたら推し活ができそうね)
その時には推し活グッズを作ろうと、とんでもなく無駄なことを考えた私は、気を取り直して突然の訪問者に微笑んだ。
「それで。本日お越しくださいましたのは、どのようなご用件でしょうか? まさか挨拶だけに来てくださった、という事ではありませんよね? 着任のご挨拶は医療院が落ち着き次第伺う予定でしたが、何かお急ぎの用向きでも?」
少々嫌味を含ませ訊ねれば、わずかに眉根を上げた彼は、穏やかに微笑んだ。
「いいえ。騎士たちのために心を砕き働いてくださっているネオン隊長に出向いていただくなど、申し訳が立ちませんよ」
そう笑ったドンティス隊長は、私をしっかり見据えた。
「ネオン隊長の隊長就任と十番隊発足の顛末は、彼らからしっかり聞きました。しかも何やら教会で金銭を扱った慈善事業もお考えとのこと。そのことで、もしかしたら私のような者でも、お役に立てるかと思い参じたまでです」
「バザーの、ですか?」
(あら? 医療院や医療隊のことではないの?)
想定と違う回答に首をかしげると、ブルー隊長が頷いた。
「シノ隊長が勤める第九番隊は、南方辺境伯期騎士団後方支援、簡単に言えば騎士団に関わるすべての物資輸送、軍事経理運営を任された部隊です」
「それは、旦那様からの信頼が厚いお役目ですわね」
「僭越ながら」
遠慮がちに笑んだ落ち着きある姿は、言われてみればたしかに、宿屋によく集まっていた商家のお偉いさんの物腰(それ)に似ている。
そんな彼が出てきたということは、活動資金が雀の涙程度だった医療班にとって力強いと捉えることもできるが、逆に私がどれくらい真剣に医療院、騎士団の事を考えているか、そして力量があるのか確認に来たのかもしれない。
(教会バザーの発端は、医療院を設置するために旦那様を黙らせるための大風呂敷だったけど、医療院を継続して運営するための大切な土台になる辺境伯夫人の慈善事業。令嬢のおままごとだと一蹴されないように気をつけないと)
しっかり自分に言い聞かせ、ドンティス隊長に問いかける。
「それで、ドンティス隊長は、私に何をお聞きになりたいのですか?」
私の言葉に、彼は頷く。
「医療院の為と、概要はうかがっております。ですがネオン隊長。貴女のおっしゃるそのバザー、一体どのように、何を目的として行うおつもりですかな?」
(来た)
「では、詳しくご説明申し上げますわ」
彼の言葉に私は席を立ち執務机に向かうと、勤務の合間に前世の記憶をもとに書きまとめた草案を取り出し、ドンティス隊長の前に広げた。
「まず初めに申し上げますが、これは私が十番隊隊長として行うものでなく、辺境伯夫人として行う慈善事業という事です」
そう前置きした私は、バザーと慈善事業の説明をする。
騎士団医療院設立運営に対し支援を申し出てくれた教会に、運営費捻出のため、人材と場所を貸してもらうという考えから始まったものである事。
前辺境伯夫人が志半ばでお倒れになり頓挫していた、孤児のための慈善事業を引き継ぐ決意をしたこと。
その二つを同時に実現するため、教会主催で医療院設立運営と孤児院環境改善を目的に、教会で手作りした菓子や小物を売り利益を上げ、その収益の原価を除いたすべてを支援する対象である医療院、孤児院の建設運営に当てる事。
バザーの際の安全警備は、辺境伯家の慈善事業として名目があるため、家令を通じて旦那様にお願いするつもりである事を、順を追って説明した。
「なるほど。しかし初回の材料費や売り場の設置、安全警備にかかる金銭はどうされるおつもりで?」
「それはもちろん。私の慈善事業ですから、私が負担しますわ」
ふむ、と、顎に手をやり、しばらく思案したドンティス隊長は、その指先でトントンと書類の一文に触れた。
「原料費などの諸経費を売り上げから差し引くとありますが?」
「慈善事業は本来、収益のすべてを支援先に分配するのですが、私は、いずれ教会や修道院、孤児院だけでこの活動を継続できるようにしたいと思っています。そのため、次回の運営資金とします」
「なるほど」
「奥様」
納得したという顔をしたドンティス隊長の横で、神父様が不安げに顔をのぞかせる。
「我らがその作り手になれますでしょうか」
「もちろんです」
その問いに私は、微笑んで頷く。
「私がお教えする菓子と小物は、決して難しいものではありません。それに、教えを広めるのに一役買うと思いますわ」
「それはどういう事でしょう?」
「こちらをご覧になってください」
心配げな神父様に、私は絵と説明文を添えた紙を渡す。
「清貧を掲げる教会で売るものですので、華美なものはありません。よくある焼き菓子に、よく使う日用品です。ただ特別感を出すため、菓子には砂糖で絵を、日用品には刺繍を入れます。図案は教会のシンボルや教えにまつわる物に絞り、販売の際、その謂れを伝えるのです」
「なるほど! たしかにそれは布教にもなりますね」
表情が和らげた神父様に、私は頷く。
「医療院で出る衣類や医療品を黙々と洗っていただくより、民の前で教えを説き、幼子を導くためのお仕事の方が、神に仕える皆様にお願いするにふさわしいと考えました。
日々のお勤めの合間に小物を作り、菓子を焼き、バザーでそれを売る。乳、小麦、砂糖からなる焼き菓子は、製法も簡単で、子どもも大人も気軽に美味しく食べられますし、野菜を混ぜ込めば体にも優しい。
もちろん、それだけではバザーという華やかな場所で見栄えがしませんので、焼き菓子の表面を砂糖と卵白を使った『アイシング』でかざります。それとは別に、『パウンドケーキ』と『ブランデーケーキ』の製法もお教えします。ブランデーケーキは元となるパウンドケーキにひと手間かけ、男性にも好まれる味わいを出したものです。きっと、バザーの目玉になると思いますわ」
「パウンドケーキとブランデーケーキ……ですか?」
ブルー隊長の言葉に、私は挿絵を入れたパウンドケーキのレシピを取り出す。
「こういった形の焼き菓子です。当家の料理長に試作をお願いしているので、でき上がった際にはご試食と、ご意見をお願いしますね」
「それは楽しみですね」
「ふむ。なかなかよく考えておられる」
嬉しそうに話すブルー隊長と神父様の横で、黙って話を聞いていたドンティス隊長が口を開いた。
「ですが、これで大きな収益になるでしょうか?」
「いいえ」
にっこりと笑った私は、広げていた書類をひとまとめにしながら答える。
「菓子だけ、小物だけではさほどの収益にはならないでしょう。しかしそれは目先の利益だけを見た場合。私が見据えるのはその先」
言い切った私に、ドンティス隊長は面白そうに口角をあげる。
「ほう? その先とは?」
「先代の辺境伯夫人がお考えになっていた事を成し遂げようかと」
「先代の?」
ドンティス隊長の問いかけに頷いた私は、神父様を見た。
「リ・アクアウムの孤児院に子どもは何人いますか?」
その問いかけに、神父様はやや考え、教えてくれる。
「一歳未満の赤子から十歳まで。約二十人程度と確認しております」
(あぁ、想定よりも幼くて多い……)
神父様の返答にザラリとした苦いものを感じながら、私はさらに確認する。
「十歳までとの事ですが、それ以上の子は?」
「体の大きな子、力や魔力で見込みのありそうな子は、早いうちに騎士団へ。あとは働き手として領内の商家や農家へ引き取られます」
その言葉に、苦い気持ちを飲み込む。
「随分早くから働き手になるのですね」
そう言うと、ブルー隊長は不思議そうな顔をした。
「王都では違うのですか?」
「えぇ」
その問いに、私は頷く。
「王都では貧困層の子ども以外、八歳になると読み書きを習うため学校に行きます。孤児院の子も同様です。そうして十六歳で学校を卒業し、初めて奉公に出ます。稀に成績優秀な子がいると、国の奨学金でさらに上級の学校……貴族学院への進学を許されます。……モルファ領ではなぜ、幼い子が働き手となっているのですが?」
「王都と辺境では環境も状況も違いますからな」
私の問いの答えを出したのは、難しい顔をしたドンティス隊長だ。
「王都の孤児の大半は捨て子か訳あり子、流れ者あたりでしょうが、辺境はそうでない」
深いため息と共に、ドンティス隊長は言葉を吐き出す。
「多くの孤児は、魔物や破落戸が無慈悲に村を焼き、牙をむき、剣をふるう中で生き残った子ら。辺境とはそういう地で、そうである以上、孤児の数は増えることはあっても減る事はない……そして増え続ける孤児を十分に養う器もないのです。
学業もまたしかり。読み書きを教える学校はあっても、継続して通えるのは金を得る仕事に就く親を持つ子のみ。農耕、畜産、養殖……辺境の仕事はそのようなものが多く、そういった家の子は大切な働き手として家業の手伝いが優先される。故に学校は常に開店休業状態。裕福な商人や大きな農家の家の子などは、寮か下宿を借りて王都の学校に通うのです」
「なるほど……」
(胸が痛い)
きゅっと、私は胸元を押さえた。
戦いがあれば孤児は増える。
誰かが引き取ったとしても、その村だっていつ戦地になるかわからず、そんな環境では、親は我が子を守るのに必死で、他者の子に情けをかける余裕はないだろう。
幼子が働き手になるのも、納得は出来ないが理解はできる。
前世の様な農耕機器がない世界で、広大な農地を抱える辺境では、すべての作業が人海戦術となる。そうなれば、日々の働き手として子が駆り出されるのは必然で、王都と辺境。親が子を思う気持ちは同じでも、社会環境の根本が違うのだ。
(自分だって、公爵令嬢として生まれ、放逐後も王都で暮らしていたとはいえ、学校には行けてないもの)
なまじ親がいるからこそ、日銭を稼ぐために働き学校へ行けぬ子もいて、それは前世でも今世でも変わらない。
大人の事情や社会事情に、子は振り回されるのだ。
ため息を一つ。そうして落ち込む思考を切り替えるため顔を上げた。
「子を養う器を大きくする必要がありますね」
そう切り出し、私は別の草案を広げた。
「こちらはまだお話しするつもりはなかったのですが、孤児となった子がただ労働力とされるだけでなく、自分の力で独り立ちできるよう、孤児院に学舎を併設したいと考えています。
その学舎では、基本的な読み書きだけでなく、裁縫、製菓や製パン等、仕事として成り立つ技術を教えます」
「技術?」
「はい」
目をまん丸くしたブルー隊長に、私は頷く。
「この地に根付く農業や産業を私は否定しません。ですが強制もしたくありません。人の道から外れぬ限り、本人の意思で生きる道を選んでほしいのです」
「生きる道を選ぶ、ですか?」
「はい」
顔を見合わせた三人に、私は微笑みを向ける。
「学舎ではまず最低限の読み書きを教えます。それができれば、人生のあらゆる場面で一方的に騙され、損をする事が格段に減るからです。そして技術。職業訓練とでも言いましょうか。自分の意志で職を選び、生きるための技術と能力を身に着けてほしいのです。
その第一歩として、学舎で学びながら作り、一定の品質に達した物を、バザーで販売し、お金を稼ぐことを教えます。もちろん挫折も失敗もあるでしょう。しかし子どものうちのそれは、大人が支えてあげればいいのです。
そしてお金。自分の力でお金を稼げたという成功体験を重ねる事ができますし、そのお金は自由に使わせます。好きな菓子を買っても、目標を立て貯めるのもいいでしょう。お金が手に入る事で様々な問題が生じるでしょうが、それもまた学びとなる。まず自分たちで悩み、考え、答えを導き出す。周りの大人はその経過を見守り、解決のきっかけを提示してあげるだけでいい。これらすべてが、子どもが社会に出るための予行練習となるでしょう」
「まさか! 年端も行かぬ子の作った物を売るとおっしゃるのか?」
私の言葉に驚き、わずかに腰を浮かせたドンティス隊長に、私は笑う。
「いけませんか? 刺繍のされたよそゆきの手巾や日常で使う刺繍の鍋掴み、質が良ければ、みな買い求め、使ってくれるでしょう。先ほど言ったとおり、作品の純利益の三割を制作した子どもに返します。どう使うかは子どもの自由。ですが、お金の使い方と管理方法だけは、大人が教えなくてはいけませんね」
(管理には、個別に鍵付きの貯金箱とかどうかしら?)
可愛い物やワクワクする物がいいなと考えていると、ブルー隊長が心配げに眉を下げた。
「しかし、そんなにうまくいくでしょうか?」
その言葉に、私は笑う。
「初めての試みがうまくいくかいかないか、それは、やってみなければわかりません。それは医療院も同じこと。案ずるより産むがやすし、ですわ」
「あ……案ずるより?」
「案ずるより産むがやすし。心配してもしょうがない、やってみたら案外うまくいく、という意味です」
「なるほど」
おっと、これは前世のことわざだった、と笑ってごまかし、私は続ける。
「でもまずはバザーです。これを成し遂げたら、次を考えましょう」
「わかりました! なんでもお手伝いします!」
「なるほど。領主夫人としてのお考えはよくわかりました。しかしこれが騎士団医療院の益になるとは思えませんが、ネオン隊長。なにか他に策がおありか?」
大きなワンコのように尻尾を振って賛同してくれたブルー隊長の隣で、ドンティス隊長が眉根にしわを刻み、低く、静かに問うてきた。
(なるほど、この方の目的はそこなのね)
私が考える慈善事業が騎士団の益にどうつながるのか――ひいては私の存在が、騎士団に、この辺境にとって有益にあるかどうか。
はじめから変わらず穏やかに、しかし先ほどまでと違い、明らかに私を試す意図が見える視線を向けるドンティス隊長に、私は姿勢を正し微笑む。
「もちろん、益ならございます。まずは辺境伯家と騎士団への印象の向上です」
「ほう、それはどういったことでしょう」
眦を少しだけ上げた彼は、音なく腕と足を組んで真正面から私を見据える。
「たしかに教会や孤児への印象は向上するでしょう。そして辺境伯夫人の慈悲による慈善事業ですからネオン隊長の印象も同様。しかし、その印象の向上が果たして騎士団に有益かつ必要なものですかな?」
深くソファに身を預けたドンティス隊長の一連の行動に、私は笑みを深める。
(腕組み足組みふんぞり返り。あれは相手より、より優位に立ちたいお偉い様がやるしぐさ。自分を大きく見せることで交渉の場で優位に立つ、もしくはこっちを怒らせ、没交渉に持ち込むための脅し行動。けど残念。そんなわかりやすい挑発には乗らないわ。こういう時は腹の中でアカンベーしながら、しおらしく、けれどそうと見せず戦うのが正解。小娘相手に大人の男が見え見えの挑発なんて、レッサーパンダかオオアリクイかしら? ふふ、可愛いしかないわ)
頭の中で両手を振り上げて威嚇してくるふわもこを想像し、笑顔で頷く。
「もちろんですわ」
こういう時のために集めた事前情報の一つを手札として切る。
「ブルー隊長や、ここにいる隊員たちから聞きました。戦場に赴き、負傷し、死なずとも、騎士としての将来が潰えた者に対し、騎士団はわずかな慰労金を渡して放り出していたとか。随分惨い扱いをなさったようですね」
「それは……」
私の言葉に、威嚇中のドンティス隊長(オオアリクイ)はもちろん、ブルー隊長(おおがたワンコ)、神父様までもが顔色を変えた。
(そんな顔したっていまさらなのよ)
そんな彼らに、貴族として微笑みながら、心の中で舌を出す。
「名誉の戦死に対しての慰労金。これは家族も納得せざるを得ないでしょう。しかしそうでない者――怪我を負ったにもかかわらず治療どころか放置され、結果、健常な体を奪われた者たち。彼らは皆様の慈悲で再度ここに雇われていたようですが、それでも騎士としてではないため、旦那様に見つからぬよう日陰での雑用を強いられた。
それから、死にゆく仲間をただ見送るしかなかった騎士たち。旦那様にまつわる事情を知らない者たちは、その状況をどう思ったでしょうね。たしかに騎士は辺境では花形で給料も破格。生活のため職を辞せず、表立って文句も言えなかったでしょうが、怒り、悲しみ、憎しみ。様々な感情はその身に降り積もる。そしてそれは、時折吐き出されたはずです」
私の言葉を静かに聞く青い顔をした三人の、特に上層部に身を置くブルー隊長とドンティス隊長は、はたしてその可能性に気づいているだろうか。
(これは前世で一労働者として、そして今世、酒場兼宿屋勤めという下々の社交場で働き見てきた経験から話すのだけど……)
静かに、淡々と告げる。
「井戸端で、自宅で、酒場で。気の置けない家族や友人、仲間が集まり、そこに酒の力が加われば、普段抑え込んでいる気持ちや不満がボロボロとあふれるのは当たり前。そして、それを耳にした家族や店員、聞き耳を立てる者から話は広がるのです。大っぴらには言えないけど、騎士団は騎士を見殺しにするらしい、と」
その言葉に顔をこわばらせたのは、目の前の三人だけではない。
開けたままの扉の向こうで聞き耳をたてている医療隊の隊員(わたしのぶか)もだ。
(私も居酒屋の半個室で職場の愚痴を吐いていたら、偶然隣に上司がいた時はびっくりしたなぁ)
壁に耳あり障子に目ありという奴で、愚痴るのはかまわないが、いつどこで誰が聞いているかわからないからこそ、公の場での会話の内容には気をつけなさいと注意された。
それは前世の超高度情報社会でも異世界の辺境でも一緒……いや、厳格で理不尽な身分制度がある分、こちらの方が気をつけなければならない事だろう。
ふぅ、と私は憂いた顔で息を吐く。
「皆様を責めているわけではありません。ここで責められるべきは旦那様で、その旦那様には私自ら意見を申し上げました。その結果がこの状況です。噂を聞いた領民の方も、言いたいことは数あれど、結局は騎士団に守られているから、家族が騎士団にいるからと心に留め置いているだけかもしれません。しかしここで働く皆様もその家族も、いずれそれが我が身に降りかかるかもという不安を抱える中、さらに性質の悪い話を聞きたくはないでしょう。聞くなら良い話の方がいいはずです。ですから慈善事業という大義名分で、少しでも騎士団の印象を良くする必要があるのです」
はっとして顔を上げたみなに、私は微笑む。
「半年前に王都から嫁いできた世間知らずのお姫様……まぁ私の事ですが。その令嬢が教会で『辺境伯夫人として医療院設立と孤児院支援』を謳い、慈善活動を行えば、興味本位でも領民の皆様は見に来てくださるでしょう。そしてその衆目の中、宝飾で彩った絢爛豪華な貴族令嬢ではなく、隊長服を纏った私がバザーを行う。またそれを警護する騎士の姿を見、言葉を交わし、時には物のやり取りをすれば、徐々に警戒を解き、認識を変えてくれるのではないかしら?」
「まさか!」
その言葉に、慌てたのはドンティス隊長だ。
「司法公の宝石であり、辺境伯夫人でもある貴女を、客寄せ人形のように扱うとおっしゃるかっ!」
「あら?」
眉間にしわを寄せ、そう言ったドンティス隊長に、私は少し驚いて見せる。
「客寄せ人形の何がいけませんの?」
「なっ!?」
驚き、大きく目を開いた彼に、私は口元に手を当て、意識して愛らしく笑う。
「せっかく目立つ容姿なのです。客寄せ人形、大いに結構ですわ。きっかけは何であれ、バザーや騎士団に興味を
持っていただければいいのです。そして大義名分に恥じぬよう、定期的にバザーを行い、医療班の活動を続け、まずはリ・アクアウムに医療院を配置し、孤児院と併設学舎を整備・運営、軌道に乗ったあと、領内全域へこの活動を広げます。
もちろん、バザーで同じ物を売り続ければすぐ飽きられますから、品は定期的に替えます。それと、騎士団の協力が必要となりますが、子どもたち向けに『騎士体験』を行いましょう。そうすればバザーに興味のない子はつられ、つられた子の親や男性も足を止める。騎士団への見識が変わるきっかけの種を撒くのです。
これを継続すれば、辺境伯夫人である私、辺境伯騎士団医療隊、医療院の認知度と好感度が向上し、ひいては辺境伯騎士団、そして辺境伯騎士団長であり辺境伯である旦那様の好感度も上がるでしょう。騎士体験を受けた子どもが、将来騎士になりたいと思ってくれ、そしてそれを許してくれる親御さんも増えるかもしれませんね」
「……なんと」
「そんなことまでお考えに」
「これはたしかに有益だ……奥様は領地領民と騎士団、そして団長の事までお考えになって行動していらっしゃったのですね」
頷き合うブルー隊長と神父様、そして心底感心したと言いながら目頭を押さえるドンティス隊長を、笑顔の私は心底冷めた目でみつめる。
(いいえ。旦那様への好感度は貴方たちにこの話に食いついてもらうための方便で、ほかの騎士様が不当に扱われなければ旦那様の評判なんて、地の果てまで落ちようが、どうだっていいの。というわけで、あと一押し)
コホン、と咳払いをし、三人の視線を集めると、私は熱く語る。
「はっきり申し上げます。現状のままでは辺境伯騎士団は騎士たちに見捨てられ、領民も遅かれ早かれ領地から逃げだすでしょう……ですが」
にっこりと、渾身の微笑みで私は言い切る。
「旦那様の非道を正し、先代の辺境伯夫人の悲願を叶えるべく私が考えた一連の慈善事業。これが成功すれば騎士の志願者は増え、領地領民との信頼関係も築く事ができます。初期投資にお金がかかるのは当然のこと。しかし五年後、十年後のことを考えれば、それは些細なものです。モルファ領民のため、辺境伯騎士団のため、南方辺境伯家のため。ぜひお力をお貸しくださいませ! ……あ」
熱く語る演技が乗りに乗ってしまい、ぐっと握ってしまった拳を慌てて隠す。
(好きなものを語るオタクの如く、つい熱弁をふるっちゃった。しかもちょっとどころか結構な大風呂敷を……。でもまあ、失敗したら前世記憶チートで次を考えればいいわよね? とりあえず今の体裁を整えないと)
「失礼しました、少々熱くなってしまいましたわ。……え!?」
心の中で出していた舌を仕舞い、熱くなった頭を冷やすため、しっかりと淑女の微笑みを浮かべて三人に視線を移した私は、目の前の光景に驚いた。
「ドンティス隊長、どうなさいましたの!? ブルー隊長や神父様まで!」
つい大きな声を上げて立ち上がってしまう。
それもそのはず。目の前の三人が滝のように涙を流し、『あの隊長に! 本当に! 良い奥様が来てくださった!』と手を取り合い、頷き合っているのだ。
「ちょ、ちょっとお待ちください。誰か手巾……って、えぇ!?」
男泣きする三人のため、慌てて涙を拭う手巾を貰おうと開けたままの扉から出たところで、私は驚いて動けなくなった。なぜならそこには、聞き耳を立てていた物資班のメンバーと、さらに看護班ラミノー、エンゼ、アルジが全員で涙しながら、頷き合っていたのだ。
「ちょっと、みんな! 何をしているの!?」
「ネオン様!」
「え?」
驚いて立ち尽くしていると、横からにゅっと伸びて来た細い腕に捕まった。
「旦那様にあんなにひどい仕打ちをお受けになったのに! なのになんて慈悲深い! 患者の事だけでなく、旦那様の事、この辺境の末までお考えだったなんて! 兄も、屋敷のみんなも喜びます! ネオン様が旦那様のお嫁様に来てくださって本当によかった! アルジは生涯ネオン様にお仕えいたします!」
感極まった絶叫と共に伸びてきた細腕に抱きしめられた私が混乱する中、さらに周囲にいる物資班・看護班のみんなの男泣きに紛れいろいろ聞こえるが、残念ながら十人に同時に喋られて聞き分けるなんてできない私は、ただなんとなく感謝されているらしいことだけ、キーン……と鳴る耳鳴りの中で理解した。
(全員、感受性豊か過ぎか……)
額に手を当てため息をついたあと、とりあえず私に抱き着いて泣くアルジの背中をトントンと撫で宥める。
「ありがとう。私もアルジが侍女になってくれて嬉しいわ。みんなも本当にありがとう。でもまだ業務中よ? 顔を洗って仕事に戻ってちょうだいね?」
「……はぁい」
ずびずびと鼻をすすりながら、素直に持ち場に帰っていくみんなを見送って、持ってきた隊員の鼻水や涙が付いていなければきれいなはずの手巾を手に部屋に戻る。
「皆様も、大丈夫ですか?」
室内にいる三人に声をかけると、うんうんと頷く。
中でも一番大泣きしているドンティス隊長が、手巾を渡そうと差し出した私の手を両手で、がしっ! と掴んだ。
「あ、あの……ドンティス隊長?」
「ネオン隊長!」
「は、はい!」
ただただ困惑するしかない私に、彼は先ほどまでとはまったく違う、もう全面的に感動しました! という押しの強い表情で訴えてくる。
「負傷者や領民の事どころか、前辺境伯夫人の気持ち、そして貴女に無体を働いたラスボラにまで慈悲をかけてくださるとは! その慈愛に満ちたお考えと志、大変ありがたく! 不肖、シノ・ドンティス! ネオン隊長の慈善事業のため、いいえ、ネオン隊長のため! 粉骨砕身でお仕えすると誓いましょう!」
「あ、ありがとうございます……?」
「俺も!」
「へ?」
私の手を握り、突然、激重な誓いを叫ぶドンティス隊長に困惑していると、滂沱の涙で顔を濡らすブルー隊長がさらに手を重ね、何度も頭を下げる。
「先日も感動しましたが今日のお言葉もまた心打たれました! ネオン隊長は俺たち騎士団と領民の希望の光、いいえ、慈愛の女神です! 俺も誠心誠意ネオン隊長にお仕えします!」
「え、そんな激重感情いらな……いえ、ありがとうございます。そう言っていただけると心強いですわ」
ドン引きしているのを悟られないよう、笑顔を浮かべながら掴まれた手を引き抜こうと半歩下がると、彼らの後ろで神父様が私に向かって祈るような姿が見えた。
「ありがたい……奥様は、この辺境に降り立った女神様そのものです」
「おやめください、神父様。それはあまりにも恐れ多いです」
一歩、二歩と後退し、ようやく抜けた手を心労で痛む胸に押しあてる。
(なんなの? 全員の気持ちが重すぎるわ! 集団幻覚怖い! はっ!? もしかして私、異世界転生でよくある『魅了の力』があったとか……は、ないな、ないない。あったらこんなに人生苦労してない。冷静になろう、自分)
まず己を落ち着けるために深呼吸をし、渡した手巾で顔を覆いながらソファに座り男泣きを続ける三人のため、紅茶を淹れてお出しする。
「ネオン隊長自ら淹れてくださったお茶……なんてありがたい……これが天上の甘露か……」
「いいえ、公爵領産の普通の紅茶ですわ……」
いちいち気持ちが重すぎて、ちょっと……いや、だいぶ逃げ出したくなりながら、自分が淹れた紅茶に口をつけ、しみじみと息を吐く。
(もう疲れたから、皆早く帰ってくれないかな……)
「ところで奥様」
そろそろ解放されたいと、ぼんやり天を仰いで現実逃避していると、男泣きから復帰されたらしいドンティス隊長が、声をかけてきた。
「なにか?」
にこやかに返答すれば、彼は先ほどまでと違い貴族然とした表情で話しだす。
「それほど崇高な志をお持ちなのでしたら、まずは領地視察をおすすめしましょう。モルファ領最大の街リ・アクアウムに出向かれたことはおありか?」
それに私は首を振る。
「いいえ。ですが視察には是非行きたいと思っています。会場となる教会を拝見し、どのようにバザーを行うか考えたいですし、市場での物流物価の確認はもちろん、市井で民の暮らす様子も確認したいのです。ただまだ医療班が整っておりませんので、もうしばらくはお預けですわ」
(それと、できれば本屋も行きたいのよね。辺境伯家の書庫には、一昔前の軍記や物語、歴史書しかなかったから、医療や魔術の本を手に入れられれば……)
そんなことを考えながら答える私に、ドンティス隊長は頷き、驚きの提案を投げかけて来た。
「おぉ、やはり。しかし、時期をはかっていては好機を逃します。良き行動は思い立ったときに行うのがよろしい。実は明後日、団長がリ・アクアウムへ視察に出る予定がありますので、御一緒されてはいかがでしょうか?」
「……えっ! やだっ! いえ、それは、旦那様のお仕事を邪魔するわけにはいきませんし、私も医療院から離れることはできませんから、今は遠慮させていただきますわ」
(あの旦那様と一緒に行くとか、絶対にありえない!)
ぶんぶん首を振り固辞しまくる私に、ドンティス隊長は食い下がる。
「団長とネオン隊長がお二人で領地を視察されれば、領民は安心します。ちょうどよい機会なのでは?」
「いいえ! 旦那様は医療院設立に反対のお立場。それを私のわがままで好きにさせていただいているのです。これ以上旦那様を煩わせるわけにはいきません。私の慈善事業ですもの、一人でも大丈夫ですわ。お気遣いいただき、ありがとございます」
断固拒否。
微笑みながらもその言葉を前面に押し出し、なんとか! なんとか旦那様との領地視察を阻止して、私は三人にお帰りいただいたのだった。
その、はずだったのよ?