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小説 もめんたりー・リリィ~Precious Interludes~ 1
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小説 もめんたりー・リリィ~Precious Interludes~ 1

文:八薙玉造 挿絵:syuri22 原作:GoHands×松竹

プロローグ

 空がおかしくなって。
 人を消してしまう機械がやってきた。
 
 街の光景はいつもと変わらない。
 都心から離れた街並みは彩りにあふれている。駅前から続く大通りは再開発できれいに整えられ、おしゃれな
カフェ、華やかなコスメショップ、親しみある看板のチェーン店などさまざまな店が並んでいる。
 青い空の下に桜の花びらが舞う。
 その街には生きたものが存在しなかった。
 朝、通勤や通学のために足早に行き交う人たちも。
 昼、買い物や散歩でのんびりと歩く人たちも。
 夜、家路を急ぐ人も、家々から聞こえる笑い声ももうない。
 代わりに奇妙な物体がいくつも走り回っている。
 人の掌大の金属球に手とタイヤがついたようなもの。大きなひとつ目をきょろきょろと動かして駆け回る姿は愛嬌たっぷりだった。
 ころころと走り回る変な機械たち。それらがふと動きを止めた。ひとつだけの目が同じ方向に向けられる。
 どこからか奇妙な音が響く。近づいてくる。
 人間でも動物でも絶対に発することができない奇怪な音。獣の甲高い叫びを電子音で再現しようとしたかのような、しかし、人間の心を内側から掻きむしる不快さに満ちた音だった。
 ビルとビルの狭間、通りにいくつかの影が落ちる。
 異常な音を上げるそれらは空から来た。大型車両よりもさらに大きな円盤状をしているが、いわゆる空飛ぶ円盤のようなかわいさはない。
 何に使うものかわからない楕円状の金属塊という言葉が相応しい。それが発する異音と同じく、人間が理解できない形だといえた。 
 変化は一瞬だった。円盤上の塊を頭部とする形で下へ向かって肉体が現れた。光の塊かゲルのようなもので作られた肉体は二本の腕と二本の脚を持つ人に似た身体をしている。だが、それもただ人の形を真似ただけでのっぺりとしたものだった。
 ビルに近い巨躯を持つ人型が街へ降り立った。
 着地の風圧に、道路脇の柵に引っかかっていた誰かの衣服が吹き飛ばされた。
 小さな機械たちもよろめき、慌てふためいて手をバタバタしながら、高い電子音を上げて物陰に駆け込む。
 歪な巨人たちが降りた街にはもう誰もいない。
 大通りの向こうからゆったりと歩いてくる少女たち以外は。
「見つけたよ、ワイルドハント」
 先頭に立つ女の子が白い歯を見せた。
 少しクセのある金色の髪を揺らしながら、高校の制服の上にまとったかわいいコートを翻して河津ゆりがやって来る。友達と駅前に遊びにきたような足取りでブーツの足音を弾ませる。
 ゆりの手には自分の身体よりも大きく、肉厚の刃を持つ剣が握りしめられている。
 巨人たち――ワイルドハントが彼女たちに身を向ける。奇怪な音が高く響いた。それは威嚇の雄叫びにしても不快なものだ。
 ゆりが手にした剣の各部が巨人の咆哮に呼応して光る。
「人を消す音、ドンドン効かないんだよね」
 ゆりと少女たちはかまわず前に出る。
「じゃあ、ドンドンドンやっつけるよー!」
 ゆりがスカートを翻して地を蹴った。少女たちが続く。
「作戦は――」
「反撃させずに集中攻撃」
「そう、それー!」
 指示を出したのはほかの少女だったが、ゆりたちは一糸乱れぬ連携を展開していく。
 巨人の腕が金属の塊をまとう。作り出された巨大な刃が、絶大な質量という単純無比な破壊力を伴って振り回された。
 切っ先でビルを紙のように裂きながら、刃はそのままの勢いをもって少女たちへ叩き込まれる。
 だが、その一撃はぴたりと止まっていた。
 ワイルドハントの攻撃を受け止めたのはおっとりふんわりした雰囲気を持った女の子だった。包み込むような笑みのまま巨人を見返す。
 ほかの女の子と比べて長身の彼女が手にするのは大型の盾だった。盾は光の力場をまとい、ワイルドハントの巨刃を難なく受け止めている。
「あらあら。こんなのおねえちゃんにはぜーんぜんよ」
 おねえちゃんがおっとりした微笑はそのままに眉を上げる。
「そびえ立て、《ミズガルズ》」
 大盾《ミズガルズ》がさらに厚い光の力場をまとう。彼女の踏み込みが力場によって食い止められたワイルドハントを押し返し、揺るがした。
「いいわよいいわよ!」 
 スタイルのいい身体をしなやかに躍動させて、おねえちゃんは巨人を押し込む。
「まあまあ。この程度かしら? おねえちゃんはカッチカチなのに!」
「ボス戦やんならデバフと状態異常からだろ」
 小柄な女の子がワイルドハントの足元を駆け抜けた。
 巨人の下へ滑り込んだ彼女の眼鏡がほのかに輝く。かわいらしいネコモデル。
 ほっそりした両手にはほかの女の子の武器と比べて小さなダガーが握りしめられていた。
「スタンとマヒとスリップダメージだ。まとめて食らっとけ!」
 ゲーマーっぽい言葉と共にワイルドハントへダガーを突き立てる。巨躯に対してはかすり傷にもならない攻撃だ。
 しかし、ゲーマー少女はニタリとした。
「絡め取れ《グレイプニル》」
 ネコモデルの眼鏡が明滅する。
 それに合わせてワイルドハントの身体がビクリと震えた。
 頭部の金属塊が放つ光がでたらめな点滅を繰り返し、全身が動きを止める。さらに金属塊の内側から火花が散り、黒煙が噴き出した。
「ハッキング成功」
 若干の息切れをしつつもゲーマー少女はさらにもう一撃ダガーを放つ。
 先端まで鮮やかな色に染めたツインテールがリボンと一緒に風で揺れ、ナチュラルどころじゃないしっかりメイクが映える。丁寧なケアで睫が立った目元、大きな瞳が眼下の敵をまっすぐに見据えていた。
 ビルの屋上にいるのは狩人のような眼差しを持つギャルだ。彼女は膝立ちで巨大なクロスボウを構えている。
 ツインテールのギャル少女は戦闘開始と同時にクロスボウから射出したワイヤーを使い、ビル壁面を駆けて最善の狙撃ポイントへ到達していた。きらきらとした瞳に映り込むのはワイルドハントの巨大な姿とその急所である装甲の隙間。
「ガチ好機到来じゃん! マジ当たって、グングン!」
 クロスボウ、グングン――《グングニル》が放たれた。
 連射された矢が彼女に気づかず無防備なままのワイルドハントに突き立つ。大型の矢は頭部の同じ箇所に次々と着弾し、炸裂した。
「てか、ガチめの風林火山。動くことマジ雷霆の如し」
 ギャルの目は続けてワイルドハントのもうひとつの急所である関節部を見据える。
「汝は殺戮者。数多の命を奪ったその行為、まぎれもなく悪鬼羅刹」
 高らかと告げたのは後ろで結った黒髪をなびかせる少女だった。眼鏡の奥、凜とした瞳が睨みつける。
 一切着崩していない制服のしわひとつないスカートを翻して彼女は疾駆する。その姿は黒髪の一筋からローファーの爪先まで完全無欠の委員長だった。
 委員長がふた振りの刀を抜き、ワイルドハントへと迫る。
 巨人が放った反撃の拳がアスファルトを軽々打ち砕く。しかし、それは彼女のポニーテールを軽やかになびかせただけだった。
「自分にはもはや躊躇も容赦もない。殺戮者よ、悪鬼よ」
 眼鏡の奥の瞳が静かに燃えた。
「汝らには断罪あるのみ!」
 両手に構えた二刀が走る。刃が赤熱する。
「傲慢、憤怒! 汝が罪は我が咎にて裁く! 溶断焔刃《スルト》!」 
 燃え上がる刀《スルト》はワイルドハントが繰り出した腕を焼き、溶かし、そのまま切断した。
 ビルにも匹敵するワイルドハントのさらに頭上にその女の子はいた。
 彼女は大きすぎる槍に座っている。推進器を備えた槍は少女を乗せたまま空を飛んでいた。
「よ、よ、よーし」
 おどおどした内気な様子の女の子は上空の風で肩までの髪を揺らしながら、ワイルドハントに向けて旋回し、降下を始める。
「だ、大丈夫。いけます」
 大きく息を吸った内気少女のポケットから何か落ちた。
「あー! 後でチョコと合わせて割烹しようと思ってたアーモンドー! 終わったら拾います!」
 目尻に涙を浮かべながらもグーというお腹の音と共に決意する。
 大槍の推進器が一際強い光を放った。
 一転、内気少女の表情から動揺が消える。
「いきます」
 静かに告げると空を行く大槍が加速する。
 内気腹ぺこ少女は大きく身をひねり、座った状態から両手で槍を構えた状態へと姿勢を変える。
 ワイルドハントが迎撃しようとするが、彼女は止まらない。
「割烹!!」
 腹ぺこな叫びと共に突撃した内気少女は巨人の防御ごと巨躯を貫いた。
「おっけードンドンドーン!」
 ゆりはビルの中、かつてオフィスだった部屋にいた。屈伸し、飛び跳ね、すでに準備運動はばっちりだ。
「じゃあ、みんなでやっつけようね!」
 ゆりがいるオフィスはワイルドハントのちょうど上に位置している。
 作戦を交わさなくても、ゆりにはみんながこの位置で敵を止めることがわかっていた。
 だから戦いの最初からこの瞬間を待っていた。
 手にした巨剣の重さなんて感じさせない身軽さで駆け出し、窓を突き破る。
「ドーン!」
 真下にいるワイルドハントはゆりの仲間たちの攻撃ですでに満身創痍だ。装甲が砕け、腕も落とされている。しかし、巨体ゆえにまだまだ動くことはできた。
「ドーンドーン!」
 ゆりが巨剣を振り上げる。彼女の意思に応じて刀身から光の力場が噴き上がる。
「ドーンドーンドーン!」
 目の前の敵を倒さなくてはいけないと、ゆりは思う。笑顔の内、心の奥底で彼女はワイルドハントに怒っていた。
 何故現れたのか、どこからやってきたのか、何もわからない。機械を取り込み、兵器を取り込み、何の意思も見せずに、変な叫びを上げてただただ人間を消していく人の形だけ真似した機械。
 ワイルドハントはゆりたちの世界を壊した。かけがえのない人たちを消した。そして今もほんの小さな「楽しい」を奪う。
 ゆりの脳裏に焼きついているのは、いなくなった大切な人たち、そしてここにはいない少女の姿だった。
 そんなのはもうイヤだよね。
 大剣《ティルフィング》が長大な光の刃を作り出す。その光の飛沫は華にも似ていた。
「《ティルフィング》ドーン!!」
 力任せに振るった一撃がワイルドハントを直撃する。
 光の剣は傷ついた頭部を引き裂き、そのまま胴を割った。
 ワイルドハントの巨躯が崩れ落ち、爆裂する。
 軽やかに降り立ったゆりは爆風に金色の髪を乱しながらも、ほかの女の子たちのもとへ戻っていく。
 駆け寄ってくる少女たち、大切な仲間。
「おつかれー!」
 ゆりたちはパン! とハイタッチした。
   
 そして、パーティをする。
 以前と変わらぬ夜を迎えた街。街灯に照らされた明るい街中で、ゆりたちはカフェのオープンテラスに集まって楽しい声を上げていた。
 テーブルの上には人が消えた世界には似つかわしくないお鍋。携帯コンロで調理されたそれがトマトと魚、チーズが入り交じった食欲そそる匂いを立てている。
「ドンドンドンおいしー! ほんとおいしいよー!」
 ゆりがドンドンぱくつく。
「割烹するなら、みんなで食べるならやっぱりお鍋ですよ!」
 内気腹ぺこ少女がほっぺたを紅潮させる。
「トマトとチーズの組み合わせチートすぎるだろ。うっま」
 ゲーマー少女が信じられないものを見るように目を丸くしている。
「あらあら。いっぱいいっぱい食べておっきくなってねー」
 おねえちゃんがお鍋を大量にゲーマー少女によそおうとして、「取りすぎ! 自分でやるから!」と止められていた。
「てか、サバもガチじゃん。缶詰組み合わせて。トマトとサバがマジ如魚得水って思わねーし。お肌にも効いてきたんじゃね?」
 ギャルはうっとりしながらほぐした魚を口に運ぶ。
「ギルティだ。栄養素はそんなすぐに吸収されない。……だが、お昼がたいへんだったから、身に染みるな」
 委員長も眉を下げていた。
「えへへ。とにかく栄養たっぷりですよ」
 内気少女が心底おいしそうに食べる。
 ゆりは幸せそうな仲間たちを見回していく。自然と目を細めている。
「楽しいねー。ドンドン楽しい」
 目の前の幸せを噛みしめ、胸の奥からの言葉を告げた。
「今日が楽しいし、今までもいーっぱい楽しいことあったね」
「楽しいことばっかりじゃねーが。こんな世界だぞ」
 ゲーマー少女が言うと、ほかの女の子たちは苦笑した。だけど、表情に曇りはない。
 人がいなくなった世界でゆりたちは笑っておしゃべりして鍋を囲む。ときどき戦うこともある。
「ドンドンドンって楽しいんだよ!」
 これはゆりたちの、ほんの小さな、だけど大事なお話。

第一章 冒険!夜の街

 自分一人しかいない街。誰もいない道を歩いて行く。
 曲がり角からあの機械が姿を現すかもしれない。数秒先には自分は消されて何もなくなっているかもしれない。
 何よりも、このまま先に進んでももう誰かに会うことはない。
 昼下がりの太陽の下だけど、道の先にはよく晴れた絶望しかない。
 それが怖くて、寂しくてしかたなかった。
「ん、割烹……」
 五十連割烹の夢から醒めて、お腹を一度ぐーと鳴らした後、内気割烹少女――れんげは重たい瞼を擦りながら周囲を見回す。
 寝ぼけた頭のまま、今まで感じていた孤独や不安がないことを不思議に思い、それから周りで女の子たちが寝息を立てていることに気づいてようやく理解する。
 れんげがいるのは仮の宿としているカフェのフロアだ。外におしゃれなオープンテラスがあるお店で、店内も落ち着いた内装にかわいらしい小物が飾られていて負けず劣らずすてきだった。しかも、二階は居住スペースでお風呂まである。
 人がいなくなった世界を転々としていくれんげたちにとっては、これ以上なく住みやすい場所だった。
 ほとんど照明の消えたフロアでは、長ソファーに寝袋を敷く形で女の子たちが眠っている。パジャマ姿の彼女たちは安心しきった表情をしていた。
 誰かがいる。穏やかで、孤独じゃない夜。
 れんげは頬を綻ばせるともう一度目を閉じようとした。
 不意にカフェのドアが軋んだ。
 思わず声を上げそうになって口を塞ぐ。視線を入り口に向ける。
「……ドンドン、こっそりドンドン」
 小声で呟きながら思い切り左右を警戒して首をブンブン振っている――これ以上なく不審な動きをしているゆりがいた。いつも着ている上着の下は、パジャマのままだ。
 ゆりはほかの女の子が眠っているのを注意深く確認すると、そっとドアを開けて外へ出ていった。
 とっさに寝ているふりをしてやり過ごしたれんげがぱっと身を起こす。
「ゆ、ゆりちゃん。どこに……?」
 寝る前、ゆりは何も言っていなかった。用事があるとしても、お風呂も洗面所も必要なものはこのカフェに揃っているので、外に出る必要はない。
 人がいなくなったから、夜の街を女の子が一人で歩いても危険はない。ワイルドハントが近づいているという情報もない。
 でも……一人は心配です。
 誰か起こそうかと考える。だけど、みんな気持ちよさそうに眠っている。
 れんげは身を起こすと、ゆりと同じくパジャマのままで上着を羽織った。ワイルドハントと戦うための武器アンドヴァリが姿を変えた小さな結晶も忘れずポケットに放り込む。
 ソックスをはいて愛用のスニーカーに足を入れると、音を立てないように注意しながら店を出た。
 カフェの外には夜の街が広がっている。
 並ぶ街灯がカフェのある大通りを照らしていて、オープンテラスも店先も繁華街のように明るい。
 れんげはごくりと息をのんだ。
 ワイルドハントから逃げるために、一人で歩き続けた街の光景が蘇る。
 明るさは孤独も恐怖も拭ってくれない。むしろ、光のもとにできる影が不安を形にしていく。
 ワイルドハントがいる。服や靴のような消えてしまった人の痕跡がある。そんなことばかり考えてしまう。
 昼の街は怖くて、夜の街は悲しい。
「ゆりちゃんを追いかけないと」
 怯えそうになる心を首を振って追い払うと、れんげは歩き出した。
 ときどき、小さな金属球のようなロボット――ラットとすれ違う。
 掌大の身体にコミカルなひとつ目と、アンバランスな腕とタイヤを持つそれは『整備チュー』と、街の壊れた箇所を修理していた。
 ワイルドハントと同じ時期に現れたが、害を為さない変なロボットに心の中で「いつもありがとう。何のためにいるのかわからないですけど」と告げつつ、ゆりが向かったほうへ通りを進んで行く。
 交差点に差し掛かったが、金色の髪は見えない。
 車も走っていないそこでは信号機が変わらず青と赤を繰り返していた。
 れんげは足を止めてきょろきょろと周囲を窺う。
「ゆりちゃんどこに……」
「れーんちゃん」
「ひゃふぁっ」
 れんげの喉からおもしろい声が出た。
 街路樹の陰からゆりが姿を見せる。髪が街灯の光の下で煌めいていた。いつもの輝くような笑みを浮かべて、ゆりは弾む足取りでれんげのもとへやってくる。
「えへへ。ドンドンバレちゃった?」
「あ、え、え、えっと。わ、わざとじゃないんです」
 れんげが両手をブンブンと振り回す。
「割烹し放題の夢から目を醒ましたら、ゆりちゃんが出て行くのが見えて、ついていったらいけないかなーって思ったけど、やっぱり心配で、それで……」
 れんげの顔が真っ赤になる。「ぷ、ぷしゅ……」と気絶寸前の声も出る。
「ドンドン!? お、落ち着いて!」
 ゆりがれんげの手をつかまえて、両手で包み込む。
「心配してくれて嬉しかったから。ついてきてるってわかったから、ここで待ってたの」
「え、え、えっと……」
 両手を包み込まれたまま、れんげは目をぐるぐると回す。辛うじて気絶はしていない。
 ゆりは「あははは」と苦笑する。
「あのね。ときどきなんだけどね。眠れなくなることがあるの」
「ゆりちゃんが? あんなにドンドンなのに? あ、へ、変な意味じゃなくて」
「そう! いつもはドンドン眠ってそうなわたしが! 実際よく寝る子なんだけど」
 少しだけゆりの視線が逸れた。
「今日は眠れなくて。いろんなことがあったからか、さすがに緊張しちゃってるのか」
 ゆりはもう一度れんげを見た。れんげの瞳にいつもの明るいゆりの顔が映り込んでいる。
「ねえ、れんちゃん。よかったらだけど」
 ゆりは片方の手を離した。もう一方はれんげの右手を握ったままだ。
「わたしと一緒にドンドン冒険しちゃう? 夜の街」
 悪戯っぽいウィンクと共に、ゆりは交差点の向こうを指差した。
 街路樹が並ぶ知らない街の夜がそこにある。
 悲しいだけの夜の街。だけど――。
「うん! 一緒に行きます!」
 人見知りのれんげは迷うことなく返していた。
 
「ふーんふふふふふーんドンドーン♪」
 ゆりが鼻歌混じりに大通りを行く。道路を叩くブーツの足音もリズミカルだった。
 その後をれんげが追いかける。
「れんちゃん! どこに行こう!」
 ゆりが振り返り大きく腕を広げた。
 街灯の光の下で踊るような仕種に金色の髪が舞う。
「きれい、です」
 れんげは思わず呟いていた。
「だよね! この街、夜もドンドンきれいなんだ。昼よりドンドンドンかも」
 ゆりが目を細めて白い歯を見せる。
「う、うん」
 ゆりがきれいだったと訂正しようとして、そんな風に見たことがバレたらめちゃくちゃ恥ずかしい! 絶対気絶する! と、れんげは黙っていることにした。
「え、えっと。どこに行くかは……ゆりちゃんの行きたいところに行きたいです」
「ドンドン遠慮してるー?」
「う、ううん。あたし、この街のことはまだあまり知らなくて」
「あ、そっか! ゴメンね」
 ゆりが手を合わせる。
「じゃあ、わたしが案内するよ。オススメスポット!」
「は、はい!」
「おっけードンドン!」
 ゆりがスキップする。自然とれんげの足取りも軽くなっていた。
 夜の街はゆりが言うようにきれいだった。
 街灯のきらきらとした光がショーウィンドウを照らし、飾られた服や装飾品を煌びやかに映し出す。
 ゆりの影と街灯の影、それにれんげ自身の影も混じり合い、変化する絵画のようにも見えた。
 雲のない夜空には暖かな色の月が輝き、澄んだ色の星々が共に瞬いている。
 れんげは不思議に思う。
 今までずっと悲しかった夜の街は今、きれいで楽しい場所だった。
「れんちゃん、こっちこっち」
 いつの間にか先に行っていたゆりを追う。
 一瞬見失った姿を捜せば、ゆりは公園にいた。
 街中の小さな公園。会社員たちがちょっとした休憩に使う程度の、いくつかのベンチと、ささやかな遊具があるだけの小さな空間だ。
 そんな公園の滑り台の上にゆりは立っていた。
「ゆ、ゆりちゃん」
「ドンドンドーン!」
 そして、滑った。子ども用の滑り台を。
 お尻をぽんぽん叩いて立ち上がると、目を輝かせてれんげを見る。
「大きくなってから突然滑り台で遊びたくなったこと、れんちゃんもない?」
「え、えっと」
「思ったことない」
「あ、あるかも……?」
「ドンドンやっちゃおう! 今なら滑り放題だよ! 高校生なのに滑り台使ってるーって、小学生に指を差されることもないよ!」
 世界がこうなる前にやったことあるのかなー……と思いつつも、れんげは促されるまま滑り台に上る。意外と高い。
 ゆりが「ドンドン!」と腕を上げて応援している。
「か、割烹!」
 かけ声と共にれんげは滑った。
 ほんの少しの浮遊感を覚えた時には滑り終えている。意外とお尻の摩擦が気になった。
「どうだった?」
 ゆりがすぐ近くから覗き込んでくる。
 れんげは首をかしげて少し考えた。
「うーん。意外と怖かったかもです」
「だよね! ドンドンわかる! 高くてびっくりしちゃった。もう一回滑る?」
 れんげは少しだけ考える。正直、思ったほどすごい滑り心地でもなかった。
「い、一回でいいです」
「ドンドンそれもわかるー!」
 ゆりとれんげは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
 二人は公園を出て並んで歩いて行く。
「れんちゃんは世界がこうなっちゃう前、夜の街出歩いたことある?」
「うーん。記憶がないから、憶えてないです」
「そうだった! ごめんね」
「う、ううん。ぜんぜん、ぜんぜんです!」
 慌てて首を振る。
 実際、れんげは記憶喪失だった。世界がこうなる前何をしていたのかも、世界がこうなった後のこともほとんど憶えていない。
 ある日、誰もいない街でふと我に返ったような感覚だ。
 だけど、常識や経験自体はなんとなく失われていない。ワイルドハントに人間が消されたことも理解できた。
 何かのきっかけで一部の記憶だけが欠落しているのではないかと考えている。
「でも、たぶん、夜の外出ってあんまりしてなかったと思うんです」
 れんげはもう一度夜を見据える。
「今すごく新鮮だから」
「えへへ。わたしも」
 ゆりの瞳に街灯の光が落ちる。
「こんなふうに夜に出かけるのって、ドンドン大人になってからだって思ってたよ」
 光をはらんだ眼差しがれんげを見る。
「……れんちゃん。わたしと大人になってみない?」
「ひゃふっ」
 れんげが目を瞬かせる。続けてみるみるうちに真っ赤になっていく。
「まずは! 大人じゃないと行かないような、ちょっと危うそうな路地にドンドン入っちゃおうー!」
 大通りから外れる細い道へとゆりが元気よく躍り込んでいく。
「お、大人ー?」
 混乱しながられんげも勢いで続いた。
 通りを外れると夜の街は別の顔を見せた。
 街灯の数は少なく、ビルとビルの狭間にある道は狭い。周囲の壁も通りには出さない排気口や窓、パイプのような無骨なものが目立つ。人が消えてなお動いている機械の音が低く反響していた。
 雑居ビルがいくつも並んでいるせいで、路地裏の道は意外なほど長い。
「……ちょ、ちょっと怖いかも、ですね」
 何かが潜んでいそうな雰囲気は大通りの影とは違う、純粋な物陰の多さによるものだ。
 れんげはきょろきょろとしながらも足早にゆりを追う。
 そんな彼女の前でゆりが立ち止まっていた。
 背を向けたままで表情はわからない。彼女は何かを見てじっとしている。
「……ゆ、ゆりちゃん?」
「れんちゃーーーん!」
 振り向いた顔は半泣きだった。
「ど、どうしたんですか!」
「思ったよりドンドン怖いー! 怖いよー!」
「お、大人は!? 大人だから、危うい路地裏は平気なはずじゃ!」
「大人はドンドン早かったよー! きゃあっ!」
 さらに怯えて後ずさる。
「れ、れんちゃん……! なんか神社っぽいのがある! たぶん異次元にドンドン繋がったりするやつだよ!」
「え、えっと……」
 れんげが確かめればビルとビルの隙間に小さなお社のようなものがあった。
 覗き込めば優しい顔のお地蔵さんが祀られている。
「きっと、このお地蔵様がビルより先にここにあったんじゃないですか。だから、そのまま残っているとか」
 言いながら、記憶がなくてもそんな知識は残ってるんだ……と、れんげはしみじみ思う。
「オバケが出るかもー!」
「そ、そんなこと言われたら、あたしも怖くなってきました!」
 途端に路地裏の影に何か蠢いているように思えてしまう。
 ワイルドハントのような形を持ったものではない何か。
 一人ぼっちだった時には怯えることも忘れていたもの。
「れんちゃん、くっついていい?」
「は、はい」
 れんげとゆりは身を寄せ合い、手を重ねて恐る恐る路地を進んでいく。
「オバケって、ドンドンいるのかな」
「こ、これ以上怖いこと言わないでくださいー!」
「でも、オバケがいるならホッとしない?」
「な、何がですか」
「消された人もまだここにいてくれるんだって。そう思うことができるから」
「それは……」
 れんげは周囲に目をやる。
「姿は見えなくても、見守ってくれてるなら……嬉しいですね」
 かつてはこの路地にも、さっきのお地蔵様の前にも、大通りにも、ビルの中にも確かに人は存在した。
 それはそれとして、ラットが通り過ぎて二人は「きゃっ!」と思わず声を重ねる。
「やっぱり怖いものはドンドン怖いよー!」
「そ、そうですー!」
 ゆりとれんげは必死に路地から駆け出た。
 二人の前にあるのは開けた通りだった。雑居ビルを隔てて大通りと平行に延びる商店街だ。少し古い店が並ぶが、ここもかつては多くの人が行き交った場所なのだろう。
「えっとね。大人じゃないと行かない場所っていうのは、こっちが本命なんだよね。ドンドンここまでは遊びみたいなー?」
 息を整えて目を逸らしつつ、ゆりが言う。
「そ、そうなんですか」
「そうだよ! れんちゃん、こっちこっち」
 言われるまま、れんげはゆりについていく。
「必要なものを探しに来てうろうろしてた時に見つけたんだよね」
 ゆりがドアを開けて、れんげが続く。
「わぁ……」と、思わず声が出た。
 黒と白を基調としたシンプルな装飾の店内だった。
 カウンターには椅子が並び、数人がけのテーブル席もいくつかある。
 ゆりたちが拠点としているカフェよりも小さなフロアとやけに落ち着いた店内。そして、カウンターの向こうに並ぶたくさんのお酒のボトルやグラスの数々。
「オシャレなバー。これこそドンドン大人」
 ゆりはいつの間にかカウンター席に座り、流し目を送りながら「ふふふん」と鼻を鳴らした。ただし、服装はパジャマと上着だ。
「これがバーなんですね! 見た記憶はあるけど、きっと漫画とか映画なんだと思います。すてきです!」
「かっこいいよねー。わたし、大人になったら、こういうところに来て、ドンドンかっこいい感じのことしたいんだよね」
 ゆりはこれもまたいつの間にか手にしていたロックグラスを傾ける。匂いを嗅ぐような仕種を見せた。
「ふふ。いい香りだ。これはつまりドンドンいい香りだね」
 それからロックグラスをカウンターに置いて、滑らせるふりだけする。
「あちらのお客様からドンドンです」
「お、大人です!」
 れんげはゆりの大人ムーブに興奮しつつカウンターの向こうに入ってみる。
「お酒……調味料に使うと割烹の幅が広がります。お肉を柔らかくしたり、香りをつけたり……。大人になって飲むことができるようになれば、割烹と飲み物の組み合わせもたくさんです。人、それをマリアージュと呼ぶ」
 瓶を手に取って眺め、キッチンの調味料を興味深げに確認し、残っている保存食も探す。
「あ、前に来た時、保存食は持って行っちゃった」
「……そ、そうですか」
 れんげのお腹が切ない音を立てた。
 カウンターを挟む形のまま、二人は改めて並ぶボトルに目を向ける。
「お酒は長持ちするんだよね」
「そ、そうですね」
「じゃあ、わたしたちが大人になってからでもまだ飲むことはできるね」
 ゆりは空のロックグラスを飲み干したかのように揺らす。
「れんちゃん。二十歳になったら一緒にお酒飲も」
「はい! れんげもお酒に合う割烹を考えてます」
 ゆりがカウンターに置いたロックグラスに、れんげは栓を開けないままでボトルを傾けてそそぐふりをした。
「ドンドン楽しみ」
 ゆりの指先がグラスを撫でた。
「ねえ、れんちゃん。帰る前にもうひとつだけ、行ってみたい場所があるんだ」
「れんげも行きます」
 迷うことなく応えた。
   
 エレベーターの照明は薄暗く、その代わりパープルやブルーの光がどことなくムーディーな雰囲気を醸し出していた。階層表示は二十階を超えている。
「高いビルですね」
「うん。このあたりだと一番大きいんじゃないかな」
 ゆりに連れられてれんげがやってきたのは駅前にあるビルだった。レストランやアパレルショップなど複数の店舗に加えてオフィスも入った場所らしい。エレベーターの中にはかつて賑わっただろう店舗の情報が写真と共に載っている。
 二人は最上階でエレベーターを降りる。
 人のいないビル内だが、落ち着いた雰囲気の照明はそのままだった。
 先ほどのバーに負けずとも劣らないほど大人向けのレストランが並ぶ。
「ここですか?」
「ううん」と、ゆりは唇の端を上げた不敵な表情を見せる。
「ドンドン上」
 天井を指差して、階段へ向かう。
「エレベーターはこの階までなんですね」
「そうみたいだね。多分、この階段で屋上に出ることができると思うよ」
 客が使うことを想定されていない階段は、ここまでのエントランスやエレベーターとは違い、やけに簡素に見えた。
 数階分、階段で上がっていく。二人の足音だけが淡々と響く。
「ゆりちゃん、ここにはよく来るんですか?」
「ううん。実は初めて」
 えへへ、とゆりが返す。
「下までは何度も来たんだけど……。人のいないビルってドンドン怖くない? しかも、エレベーターもあるんだよ!」
「確かに怖いです……。オバケ出そう」
 エントランスもエレベーターも一人ぼっちだった場合を想像して、れんげは思わず身震いした。
 階段が途切れ、ゆりが目の前の鉄扉を開ける。
 気持ちいい夜風と共に、れんげたちの目の前に光が広がった。
「わぁ」と、れんげだけではなく、ゆりも声を漏らす。
 客が入ることを想定されていないビルの屋上には最低限の落下防止柵があるだけで視界を遮るものはほとんどない。
 ゆりとれんげの前には一面の夜空が、眼下には街の夜景が広がっている。
 人が消えて空気の汚れが減った夜空は以前よりも明るく、月も星もくっきりとしている。
 星の海の下にある夜景は人が作り上げた星々だ。
「ドンドンきれい」
 ゆりがぽつりと言う。
 屋上の端へ歩み出したゆりの表情はれんげから見えない。
「わたしね。夜景って好きなんだ。帰るのが遅くなった日に学校から見た家の光。冬の夕暮れに電車の中から眺めた行ったことない街の光。家族で出かけた帰りに、高速道路から見た都心の光」
 その声はいつもと同じように明るい。
「街の光のひとつひとつに誰かがいて、たくさんの幸せがあるんだって考えるのがドンドン好きだったんだ」
 ゆりは夜景を見詰めたまま首を横に振る。
「今はもう誰もいないけど。ただ光が残っているだけなんだけど」
 呟いた背中は何も変わらないはずが、やけに寂しげだった。
「ゆりちゃん!」
 れんげの声にゆりが振り向く。金色の髪の輝きが夜空の星と共に流れた。
 彼女は笑っていた。とびっきりの笑顔にさっき垣間見えた寂しさはもうない。
「来て、れんちゃん」
 言われるまま、れんげはゆりの隣に並ぶ。
 人の営みが喪われた街の光の中、その中にあるほのかな輝きをゆりが指差す。
「みんなのカフェです!」
「ドンドンそう!」
 オープンテラスのあるカフェはビルの屋上からでもわかりやすい。みんなが眠りに落ちても窓からはうっすらとした明かりが見える。ほかの家々の明かりよりも弱くても、確かにそこには大事な人たちがいた。
「世界がこうなって、大好きだった夜景が変わっちゃった。でも、みんながいる場所を外から見たら、わたしの好きな夜景はまだあるんだって思うことができるかなって」
 ゆりの目尻がかすかに光る。涙のしずくがビルからこぼれて星と街の光に混じる。
「大切なみんな。友達になることはできないけど」
 れんげが初めて会った時、ゆりは「友達にはなれない」と言った。友達がいなくなってしまうと寂しい。だから彼女はそう決めている。それでもみんなが大切な仲間なのは間違いなかった。
「大切な人がいて、帰る場所があるって。すっごくドンドンドンだね!」
「うん! ゆりちゃん! れんげもドンドンドンです!」
 二人の肩が重なる。
「確かめたかったんだ。れんちゃん、ありがとう」
「ううん。れんげもです」
 ひとりぼっちの街も、夜も寂しくて怖かった。
 だけど、今はみんながいるんだとれんげもまた実感できた。
 ゆりとれんげは何も言わず、仲間たちのかすかな輝きを見詰める。
 長い時間が過ぎる――かに思えたが、夜風に揺れた髪がゆりの鼻先を擽り、「くしゅん」とくしゃみがこぼれた。
 揃って思わず噴き出す。
「そろそろ帰らないと。前にドンドン遅くなって。あっちゃんにドンドンドンって怒られたんだよね……」
「そ、それは急がないとです」
 ゆりはまだ少し見ていたいという様子ながら階段のほうへ向かおうとする。
「あ! ゆりちゃん。れんげもやりたいことができました!」
 れんげはポンと手を叩く。
「うん。ドンドンしよ! 何しちゃう?」
「え、えっと……。じゃ、じゃあ……アンドヴァリ・エクステンド」
 ポケットから取り出した結晶を振り回し、起動の言葉を口にする。
 ワイルドハントの残骸が姿を変えた、ワイルドハントを倒すための武器アンドヴァリが輝きの中から姿を見せる。
 れんげの手が握りしめるのは彼女自身よりも大きな槍だ。
「ゆりちゃん、乗ってください! これでショートカットして帰ります」
「ドンドンすごい! うん!」
 れんげが槍に跨がり、ゆりがその背に身を寄せる。
 推進器が光を放ち、れんげの大槍は夜空へ舞い上がった。
 二人はビルの屋上から星と街の輝きへと滑り出す。
 目に映るすべてが星のようだった。
「ドンドンドンのドンドンドンドンだよ! こんなの忘れられない!」
「れんげもです! れんげも絶対忘れません!」
 無数の光の中、ささやかな、だけど大切な光に向かってれんげとゆりは進んでいく。
 槍のアンドヴァリの上、身を寄せ合う二人は互いのぬくもりと息づかいを確かに感じていた。