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マスカレイド・ナルキッソス 1
著者:栗木下 イラスト:大空若葉
プロローグ
「「「!?」」」
光が止むと同時に会場全体がどよめいたのがわかった。
周囲の観客席にいる千人近い人間の視線が俺へと向けられて、直後にその大半が自らの意思で視線を遮るか、逸らされる。
観客席にいるであろう幼馴染は……たぶん、しっかりと見ていることだろう。
俺と同じ舞台に立っているほかの九人はフード越しでも動揺しているのがわかるぐらいに体が動いている。
その中には、あの赤髪の少女が混ざっていて、フードの下に僅かに見える顔が紅潮しているのが見えた。
教師たちは唖然とした様子で大きく口を開いている。
どうしてそんな反応をしているのだろうか?
俺は教師の指示どおりに、間違いなく“デバイス”を起動した。
“マスカレイド”の特性上、どんな姿になろうとも、これほどまでにざわつくことはおかしい気がする。
だから俺は自分の姿を目視できる範囲で確認していく。
「ふむ、ふむ?」
まずは前に伸ばした手。
傷ひとつ、くすみひとつない、きれいで手入れが行き届いた人間の手だ。
つまり、何もおかしくはない。
声は……少しおかしいか。
普段よりも少しだけキーが高いように感じる。
視線の高さが変わっていないので、身長は変わらず。
発声や視界を邪魔するものも感じない。
「体は軽い。いや、違和感があるな」
軽く跳ねてみると、マスカレイド発動前に全力で跳ぶのと同じくらいの高さまで簡単に達することができた。
ただ、どうにも違和感がある。
重心がおかしいというか、跳躍に追従するような動きが生じている。
だから俺は違和感のもとに目を向けて……。
「うわ、でっか……」
首を動かした程度では自分の足元が見えないサイズのそれを見て、思わず呟いた。
うん、乳房がある。それも立派なサイズで、張りと弾力が十分にありつつも、柔らかさも兼ね備えた、素晴らしいやつだ。
そして、ここまできてようやく俺は周囲の反応に得心がいった。
そう、今の俺は上下どちらとも身に着けていないというか、一糸纏わぬ姿である事実に思い至ったのだった。
「隠せ隠せ!」
「カメラ止めろ! 放送事故だ!!」
「キャアアアアアアアアアアアッ!」
「誰か布持って来い! 早く!!」
「いや、それよりもだな……」
うん、なるほどな。
馬鹿な俺でも、猥褻物陳列罪は知っているし、こういう公共の場でほぼ成人女性の裸が晒されるのが一般的には良くないというのはわかる。
それを踏まえた上で、今一度、俺は自分の体と感じているものを、捉えられる範囲で改めて認識していく。
舞台に降り注ぐ照明の光は眩しく、肌にうっすらとだが熱さも感じる。
周囲から向けられる視線が本来なら隠されるべき部分に集中しているのを感じて、肌の下を巡る血が熱くなっていくような感覚を覚える。
それは喚声、笑声、罵声を浴びせられることでも同様で、熱いという感覚は昂りに変わっていく。
その昂りが香気となって肌から立ち上り、外気に触れては消えていくかのような感覚がある。
その香気を少しでも抑えるべく、この場に屈んでうずくまりたい気持ちも同居していた。
きっとこの感覚は羞恥という感情なのだろう。
ああ、けれどどうしてだろうか、恥ずかしいという感情以上に見せつけたいという思いが湧き上がってきて仕方がない。この美しさを知らしめたいという想いが止まらない。
俺のこの姿を、俺自身だけでなく、ほかの人たちにも見せつけて刻みたいという猛りが収まらない。
「暴走だ! 暴走をしているぞ!」
「誰か風紀委員会を!」
「それよりもほかの生徒の避難を……」
ああそうだ。そうだとも。今の俺は教師の指示どおりにデバイスを起動しただけなので、これは事故のようなものだ。
マスカレイドとは、どういう結果になろうとも、あるがままに晒されるべきものだとも聞いている。
これらは間違えようのない事実だ。
だから、俺が裸を晒したとて、罪に問われるようなことはないだろう。
そもそも、今の俺の姿は本来の俺の裸ではないのだから、何を恥ずかしがる必要があるのだろうか。
「恩をこのような形で返すとは甚だ不本意ですが。暴走状態と判断して、自衛のために対処をさせていただきます」
赤髪の少女の姿が変わる。
フードを深く被った姿から、当世具足と呼ばれる甲冑を身に着け、薙刀を手にした姿に。
真っ黒の髪をなびかせつつ、薙刀の薄く鋭い切っ先を俺へ向けるその姿は、正に女武者とでもいうべき様相だった。
「刃物とは危ないものを向けてくるな。周りの人間に当たったらどうするんだ?」
その姿を見て少しだけ冷静になった頭が、深く考えるまでもなく危険だと囁く。
きっと俺がこの場から逃げたのなら、彼女は俺を追いかけてくることだろう。
その際に関係ない誰かに刃が当たって傷ついてしまうのは……美しいとは思えないな。
じゃあ逃げずに応じるべきだ。
俺はテレビの見様見真似で、ボクシングのファイティングポーズを取る。
「「「―――――~~~~~!?」」」
観客が沸き立って声を上げる。
その歓声にどこか妙な流れを感じて、不意に思う。
はてさて、どうしてこのようなことになったのだろうか?
俺はただ自らの美しい姿を観客たちと共有したいというだけなのに。
そう思いつつも、俺の頭の中の冷静な部分は今日一日、ここまでに、俺の身に何があったのかを振り返ろうとする。
そうだな、今から三時間ほど前。
ここ、国立決闘学園に入学するべく、幼馴染と共に田舎からやって来て、校門の前に立ったところから振り返ってみるとしよう。
第一章 入学式
本日は二〇二四年四月一日。
場所は国立決闘学園の校門前。
俺の視界には遠くのほうに巨大な校舎が見えるとともに、そこまで真っすぐ続く幅の広い道路、寮を含むのであろう各種建物群が映っている。
ここがこれから三年間通う……いや、中で生活することになる場所である。
「送られてきたパンフレットで知っていたが、本当に大きいな。で、俺たちは街ひとつ内側に持っているような巨大な学園にド田舎の中学から入学して、優れた決闘者になることを期待されているわけか」
「俺たち、というよりはナル君は、かな。私は乙判定だし、そこまで期待はされていないと思う」
「いや、校門を通っているほかの新入生たちを見ればわかる。ここにいるのはどいつもこいつも俺よりはるかに頭が良い連中だ。甲判定ひとつだけで入学が決まった俺のような馬鹿よりも、スズのほうが最終的には優秀な決闘者になる予感しかしない」
俺の名前は翠川鳴輝といい、親しい人間はナルと呼ぶ。
魔力量とかいう、マスカレイドを扱う上で欠かせないものの量が、中学三年生時の全国一斉検査で最優秀の甲判定をもらうほどに多かった。それだけの理由でもって、国立決闘学園へと通うことを強制的に決められた人間である。
正直、魔力量のほかに誇れるものが顔と体くらいしかないのは、俺自身でもわかっているので、場違い感が半端ない。
「だから期待されているのはスズもだ。というより、ウチの地元的にはスズのが、期待されているぞ。確実に」
「そうかなぁ……。うーん、ナル君以外からの期待とかどうでもいいけど、ナル君が期待してくれているなら、私も頑張ってみようかな」
俺の隣に立っているのは幼馴染で、名前は水園涼美、愛称はスズ。
胸元まで伸びた雪のように真っ白な髪に、鮮やかな絵の具で色付けされたかのような紫色の瞳は、ひと昔前までなら人間離れした色の組み合わせといわれるようなものであるが、俺たちの世代ではそこまで珍しいものではない。
女神曰く、魔力に適応した結果のひとつとして、色が変わった程度でしかないそうだ。
それよりも特筆するべきは、その頭の良さだろう。
俺は魔力量ひとつで入ったが、スズにはそこまでの魔力量はなかった。
だから、猛勉強をして、魔力量乙判定をもらった何千人という人間の中から、入学者を選び出す戦争のような受験を経て、ここまでやって来たのだ。
その努力の凄まじさは……内心では少し怖いと思ってしまうほどである。
「さて、いつまでもここで眺めていても仕方がないし、進むか」
「そうだね」
俺たちは桜の舞い散る並木道を、道に散らばる桜の花びらで足を滑らせないよう気を付けつつ、香りと景色を楽しみながら、目的地へと向かっていく。
「えーと、新入生はまず講堂に行って入学式を受ける。その後は大ホールへ移動。そこでデバイスを受け取って、初めてのマスカレイドをするみたい。ナル君は甲判定だから、最初にみんなの前でだってさ」
「最初って、ほかの甲判定者たちと一緒に、という意味か?」
「ううん。違うみたい。本当に最初の最初だって、この資料には書いてあるね。というかナル君、自分宛てに来たものなんだから、自分できちんと読み込もうよ」
「文字が多すぎてどうにもなぁ……。こういうことはスズに任せたほうがよく噛み砕いて教えてくれると知ってもいるし」
ただ、先導するのは俺ではなくスズだ。
こういうことはスズに任せたほうが上手くいくと、昔からのことで俺はよく知っている。
だから俺はスズの後ろをついていく形で歩き続けて……。
「キャッ!?」
「っと」
不意に聞こえた女性の声で振り向き、見えたものから反射的に手を伸ばして、支える。
「大丈夫か?」
「え、あ、はい。すみません。あ、ありがとうございます」
そこにいたのは、炎のように真っ赤な髪の毛をポニーテールの形でまとめ、同じく炎のように真っ赤な目をこちらへと向ける少女。
服装からして、この少女もまた俺たちと同じように新入生であるらしい。
どうやら慣れない靴と地面に散った桜の花びら、走っていたことに慌てていたこと、これらの要素が重なり合って、転びかけたようだ。
で、ちょうどよく俺がそこにいたので、支えることができたと。
「すみません。急いでいるので、お礼などはまた後ほど」
「いやいいよ。お礼なんて。たまたまそこにいて、するべきことをしただけだしな」
「いえ、そういうわけには……っ、すみません。本当に時間がないので、また後ほど」
赤髪の少女はそう言うと勢いよく走り去っていく。
また転びやしないかと、不安になるが、走っていても体のブレがほとんど見えないし、先ほどは本当にたまたま転びかけただけだったようだ。
あの分なら大丈夫だろう。
「今の人、きれいな人だったね」
「だな。俺ほどではないが、世間一般の平均よりは確実に上だと思う」
「ナル君のその自分の容姿に絶対の自信を持っているところは大好きだよ」
そうして赤髪の少女が去っていくとともにスズが話しかけてくる。
なお、俺の容姿についての自信は決して自惚れではない。
個人の好みはあるだろうが、それでも百人に聞けば九十五人くらいはイケメンと返すであろう程度には整っているからな。
これで謙遜していたら、むしろそっちのほうが失礼だと言われるまである。
「それにしても、今の人はなんであんなに急いでいたんだろう。私たちのペースなら問題なく入学式が始まる前に講堂へ着けるはずなんだけど」
「そこは何かしらの事情ってやつだろ? 家族がすでに着いているとか、そういうやつ」
「そうなのかな? そうかも」
「なんにしたって俺たちが気にするようなことじゃないだろ」
俺たちはその後も自分のペースで歩き続け、やがて地元の中学校の体育館並に大きい講堂……入学式の会場へと着いた。
そこで俺とスズは受付を済ませて、新入生のために用意された席のうち、できるだけ後ろのほうへと腰を下ろす。
これは俺の図体が大きくて、前のほうに座ると、後ろに座った人間が二重の意味で見えなくなるというトラブルの火種になるのがわかっているからだ。
そうでなくとも、ほかの新入生に比べれば、俺はやる気がない側の新入生。
後ろのほうでじっとしているのがお似合いだろう。
で、俺の隣には当然のようにスズが座る。
「お隣、いいですカ?」
「どうぞ、かまいませんよ」
「ではさらにその隣、失礼いたします」
「はいはーイ。よろしくお願いしますネ」
やがてスズの隣の席に語尾のアクセントが妙な感じの金髪の少女が。
さらにその隣の席には真っ赤な目に黒い髪の小柄な少女が腰を下ろす。
それから間もなく定刻となって、入学式が始まる。
■■■■■
「人類よ。貴方たちに力を授けましょう。代わりに今後、譲り合うことができない、どちらも正しき事柄については決闘を以って決めるのです」
それは今から六十年と少し前のこと。
当時、冷戦と呼ばれる緊張状態にあった人類の前に、女神を名乗る人ならざる者が唐突に現れた。
女神は“マスカレイド”と呼ばれる力を人類に授けた。
それは、冷戦の時代にはすでにペテンや手品の類とされた、魔法に連なる力。
魔力という、不安定ながらも、個人が持つには大きすぎる力に依存した技術である。
女神はマスカレイドを用いた決闘によって、国と国、あるいは、人と人、その間で起こる争い事に決着をつけるように促した。
そうすることで、世界の滅亡を防ぐとともに、人がただ死ぬことを減らそうとしたのだ。
反発と混乱は……当然のようにあった。
当時の大国の片方は、女神は神を騙るペテン師だと宣い、一方的に攻撃を仕掛け……逆に上層部全員の首が並ぶこととなった。
ほかの神を認めない国は技術すらも拒んだがために、技術だけは受け入れた国によって蹂躙された。
とある独裁者の国では、部下の一人が決闘の体で独裁者を討ち、その部下もまた決闘で討たれ、混乱が続くこととなった。
決闘の決まり事を守らなかった国は、女神とその配下たちによって亡国となった。
決闘の抜け穴を探した者は、やがて孤立して、頭を下げるしかなくなった。
より優れた決闘者を求めて強硬策を採った指導者は、その優れた決闘者によって失脚した。
決闘の天秤を見誤った愚者の巻き添えになる形で、いくつもの部族が姿を消した。
このように女神のもたらした技術によって数多の不幸が起こったことは違えようのない事実である。
だが、明確に良いと断言できることも多くあった。
核戦争などという馬鹿げた戦いによって世界が滅びる可能性は限りなく低くなった。
女神という監督者によって、悪党たちは勢力を落とすほかなくなった。
マスカレイドの技術に端を発する形で、新たな技術がいくつも生まれることとなった。
善と善であれど、明確にしないがゆえに淀んだ話が切り払われた。
世界はたしかに光明へと歩んだのだ。
そして今。
人々はマスカレイドを用いて決闘を行う者を“決闘者”と呼ぶようになった。
優れた決闘者は、そのまま国の力と地位を示すものであるとされ、どの国にとっても決闘者の確保と育成は急務であった。
そのため、国は決闘者のための学園を設立し、そこで国の未来を担う若者たちを育て上げることとなったのだった。
■■■■■
「ふあっ……」
「ナル君、イビキだけはかかないように気を付けてね」
「さすがにわかってる」
始まった入学式は……とりあえず理事の一人らしいおっさんの言葉は、下手な睡眠導入剤よりも効いたが、何とか堪えた。
いやだって、歴史の教科書と入学式の資料で書かれている、俺でも覚えているような内容を、長ったらしく言っているだけだったし。
これで眠くならないのは、眠気を堪えるための工夫を心得ている一部の人間だけだ。
その証拠ではないが、スズも寝るなとは言っていないし、スズの横の二人も見るからに表情を無にして耐え忍んでいる。
『続きまして。新入生代表、護国巴』
『はい!』
そんな催眠攻撃を乗り切ったところで、新入生代表らしい少女が登壇する。
少女は真っ赤な髪を長いポニーテールでまとめており……というか、先ほど転びかけたところを助けた少女だった。
「なるほど。新入生代表。となると、集合時間を間違えかけたとかそういう……それで、あの焦り方だったのか」
「疑問は解けたね。ナル君」
「だな」
赤髪の少女……護国さんは壇上で立派に、堂々と挨拶をしている。
どうやら、俺が助けた後に無事に会場に着いて、何事もなく済んだようだ。
「おヤ、二人は護国巴嬢とお知り合いデ?」
「知り合いというほどではないですよ。彼女が転びかけたのをナル君がたまたま助けたというだけの話です」
「あラ、そうですカ。何か話の種になるかと思ったんですけどネ。あの護国巴嬢ですシ」
「あの?」
と、ここで金髪の少女が口を挟んでくる。
そして、俺の疑問の声に合わせるように、黒髪の少女も口を開く。
「知らない? あの人……護国巴は、我が国の決闘を二代にわたって支え続けている護国家の娘。祖父母の代から魔力量に優れた決闘者同士で血を繋いで、生まれてきた、次代のエース候補。いわゆるサラブレッドなのですが」
「へー」
「眉目秀麗。魔力量甲判定なので受験の際の学力試験は免除されたそうですガ、模試ではトップ三十位以内は確実。魔力量に至っては入学前の時点で二○○○を記録していテ、現生徒会長、現生徒会副会長、現風紀委員長の生徒内トップ三に匹敵すル。という話ですヨ。中学でも有名でしタ」
「そうなんですね」
どうやら護国さんはとんでもなくすごい人らしい。
魔力量も学力もトップクラスとか、ガチの天才という奴だな。
「デ、そんな有名な人をどうして二人は知らなかったんでス?」
「俺は単純に興味がなかったからだな。あー、その、俺は魔力量甲判定ってだけで強制入学になった組だからな」
「私はナル君と一緒の学校に行くための勉強で忙しかったから、そこまで耳目に触れられなかった、かな。本当に急なことだったから、猛勉強しないと間に合わなかったし。あ、でも、さすがに護国家のことは近代史で重要だから
知っているよ」
「……。そうなんですね」
「あ、あー、なるほどネ」
スズの答えに黒髪の少女も、金髪の少女も、若干だが引いているような気がする。
いやまあ、その気持ちはわからなくもないけど。
俺の魔力量甲判定は、言ってしまえば、宝くじの一等に当たった程度の話。
いろいろな人から怒られそうではあるけれども、運が良かったで終わる話でもある。
対してスズの俺を追いかけるための勉強で忙しかったという話はなぁ……。
見方によってはストーカー宣言のように捉えられなくもないだろうし、実際にこの場にいるということは相応に高倍率であるはずの受験を潜り抜けたという話でもあるから……。
人によっては引くのもわからなくはない。
俺はもう、スズはそういうものだとして受け入れているけど。
「しかシ、魔力量甲判定ですカ。となるト、この後にみんなの前でお披露目ですネ。参考までにお聞きしますガ、何番目でス?」
「……。隠しても仕方がないことだから言うが、一番目だ」
「それは!?」
「ワオ。魔力量だけなら護国巴嬢以上ってことですカ。それはすごいですネ」
黒髪の少女も金髪の少女も俺の答えに驚きの表情を見せている。
いやまあ、実際驚きではあるんだろうな。
俺のような容姿が良いだけの男が、次代のエースとして目されている上に新入生代表として壇上に行くような人物よりも魔力量だけなら上なのだから。
「あれ? でもそれならどうして代表に……あ」
「うんまあ、そういうことだな。この学校基準でいうなら、俺は馬鹿の範疇なんだよ。全国偏差値でいうなら五十程度だし」
「全国偏差値五十は真ん中って意味だかラ、馬鹿とは言い難いですシ、ヤバいかどうかは学力とは無縁なんですけどネ」
「それはそう。ナル君は基本的にはお馬鹿さんじゃないから、安心して」
「基本的には?」
なお、学力に関しては完全に負けていることは間違いない。
もしかしなくても、全科目で負けていることだろう。
下手をすれば体育あたりでも負けているだろうな。
うん、俺は護国さんの邪魔にならないように、できるだけひっそりと過ごすことを目標にするべきだな。
次世代のホープなんて言われている人の邪魔をするだなんて、顔と魔力量しか取り柄がない人間のすることではない。
『続きまして。沖田学園長のお言葉です』
「ちなみにですガ、魔力量の具体的な数字ハ?」
と、ここで壇上に立派な白髭を蓄えつつも、背筋がしっかりとしたご老人が現れる。
俺でも知っている『英雄』沖田学園長だ。
齢八十、女神が降臨して人類にマスカレイドが与えられてから今日に至るまで、我が国の決闘を第一線で支え続けている人物。
生来の才能に加えて、その長年の戦いの中で研鑽された技術は魔力量にも現れていて、国内トップクラスの魔力量を持つそうだ。
「三○○○オーバーなのは確定。壇上にいる学園長殿よりもすでに多いそうだ」
そして、俺は現時点でも“なぜか”その学園長以上の魔力を有しているらしい。
あまりの異常な値に、機器の故障や場所の特異性なんかも疑われて、何度も何度も再検査をされて、最終的には検査員たちが頬を引きつらせていたのはよく覚えている。
で、そんな魔力量だから、甲判定の時点で強制入学であるのだけど、念入りに国立決闘学園へ通うように言われて、今この場にいることになったのだ。
「さン……お、おオ、ヤバいって奴ですネ」
「護国さんの一・五倍以上……」
「ナル君はすごいんだよ。でも、それをひけらかさないから、本当にすごいんだよ」
「いやだって、量が多いだけだしなぁ。使い方がわからないお金がたくさんあると言われたって、困るだけだろ」
スズの言葉に応えつつ、同時に思う。
ついさっき、俺はできるだけひっそりと過ごすことを目標にすると思ったが、この魔力量を活かす手段だけは覚えないとまずいというか、もったいないだろうな。
どんな力だって活かし方を知らないのであれば、宝の持ち腐れにしかならないのだし。
せっかく、こんな立派な学園に入れたのだから、そのメリットぐらいは享受して、学ぶべきことは学ぶべきだろう。
あと、スズは騒がないように。
小声で喋るように気を付けてはいるが、気を付けないと周囲から睨まれかねない。
『それでは、これにて入学式を終わります。続けて、魔力量甲判定者に対するデバイスの授与とマスカレイドの披露を行います。場所は大ホールで、時間は……』
と、これにて無事に入学式は終わりになるようだ。
俺たちは順番に講堂を後にしていく。
そして、休憩と移動を兼ねた時間を経てから、マスカレイドの披露になるわけだな。
「ナル君。大ホールの場所はわかってる?」
「心配しなくてもわかっているから大丈夫だ。じゃあ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
マスカレイドの披露では、俺を含む魔力量甲判定者たちは、全校生徒に見られながら、初めてのマスカレイドを披露することになるらしい。
なので、魔力量乙判定であるスズとはここで一度別れることになる。
スズは残念そうにしているが……これは規則の類なので、仕方がないことだ。
なお、金髪の少女と黒髪の少女は、スズと一緒に行くことを決めたのか、俺と別れると三人一緒に動きはじめた。
二人とも俺たちより学園のことに詳しそうに見えたし、性格も良さそうに見えた。
だったら、あのままスズと仲良くなってくれればと思うところだ。
「そういえば、ほかの甲判定者たちと顔を合わせることにもなるんだな。護国さん以外の甲判定者たちがどんな人なのか、楽しみのような、不安なような……」
俺は大ホールに向かいつつ考える。
魔力量甲判定組とは、魔力量だけで入学できることが決まった面々だ。
となれば、その中には俺のように学力面では微妙な人間がいる可能性は決して低いものではない。
そういう人間なら……話も合って、スズにとっての二人の少女のように、俺が仲良くできる可能性も高そうだ。
うん、少し楽しみになってきたな。
■■■■■
「こちらで時間までお待ちください」
そんなことを考えている間に俺は大ホールに辿り着くと、入り口で待っていた教員によって、関係者以外は入れないエリアへと通されることになった。
「わかりました」
通されたのは大きめの控室。
俺は一度室内を見渡し、空いている席へと適当に腰掛ける。
今現在、室内にいるのは……俺を含めて十一人。
「ふむ」
「……。ふあっ」
二メートル近い身長で筋骨隆々の男性に、白衣を着た小柄な女性、この二人は見た目から窺える年齢からして、ほぼ間違いなく教職員だろう。
「お、新しいのが来た」
「みたいだな」
「すげーイケメンっすね」
「……」
「どうも」
俺以外の男子生徒が五人。
声を上げた順に、丸刈り、赤モヒカン、緑の癖っ毛、なんか睨んでる奴、桃色髪の優男。
ほぼ見た目だけの第一印象だとこんな感じだな。
なんとなくだけど、前三人の頭の中身は俺と大差ないように感じる。
こう、挙動に俺と近しいものを感じる。
睨んでいる奴はよくわからないからスルー。
桃色髪は……なんか、仲良くしておくと、いろいろと助かる気がするな。
「ああ、魔力量甲判定組同士、よろしく頼む」
なんにせよ、素直に挨拶をしておく。
最初から喧嘩を売ったって、得なことは何一つないからな。
そうして俺が挨拶をすると、残りの生徒も口を開く。
「君で九人。あと一人が新入生代表の護国さんで、今年の甲判定は十人と聞いているから、これで全員一度は見えたってことかな」
「そうなるんだろうな。ちっ、男のほうが多いのかよ」
「そこは~気にしても~仕方がなくない~?」
今いる女子生徒は三人。
声を上げた順に第一印象を上げるのなら、明るくてボーイッシュなの、青髪ツインテのスケバン、金髪ゆるふわのおっとりさん、というところだ。
うーん、女子生徒とは普通のクラスメイト程度の付き合いで十分かな。
あまり親しくしすぎるとスズが……その……なんというか……怖い。
時々妙なプレッシャーをスズから感じることがあるんだよな、うん。
「すみません、遅くなりました」
「護国か。問題ない。まだ集合時間前だ」
と、ここで赤髪ロングのポニーテール、護国さんがやって来た。
制服をきちんと身に着けた彼女の姿には、隙のようなものは一切見当たらない。
見るからに優等生という感じだ。
さて、先ほどのボーイッシュな女子生徒の言葉を信じるのであれば、これで今年の魔力量甲判定の新入生は全員
揃ったことになるようだ。
「樽井先生。時間前ですが全員揃いましたので、始めてよいですかな?」
「……。味鳥先生の好きなようにどうぞ」
「では、マスカレイドのお披露目についての説明を始める。全員しっかりと聞くように。もしも聞きそびれて間違えてしまうと、大恥をかくことになるぞ」
どうやら話が始まるようだ。
俺は背筋を伸ばして、しっかりと聞く態勢を取る。
「諸君らも知ってのとおり、この場に集められたのは今年の魔力量測定で甲判定を得た者たちだ。例年は五人程度なのだが、今年は素晴らしいことに倍の十人もいる。いわゆる、豊作というやつだな」
「「「……」」」
「そんな君たちはどういう形であれ、今後、この学年の中心人物となり、非常に目立つことになって、ゆくゆくはこの国の決闘者を率いる存在として、頭角を現していくことが期待されている。そして、今日はその第一歩! 決闘者として最も重要なファクターのひとつである魔力量に優れた者として、威容に溢れた仮面体を構築し、我は此処にあり! そう国内外に示す場になるというわけだ。どうだ、テンションが上がってきただろう」
「「「……」」」
個人的にはテンションが下がる話である。
いやまあ、目立つのが悪いとは思わないし、期待されているというのも悪い気分にはならないのだけど……威容、威容なぁ……ゴツゴツとか、ムキムキとかなぁ……うーん。
俺の趣味ではないんだよなぁ……嫌いとまでは言わないけれど。
「……。別にテンションが上がらなくてもいいですよ。味鳥先生の言葉は決闘者として実際に戦う者の意見でしかありませんので。優れた魔力量という時点で道はいくらでもあります。ただ、どのような道を行くにしても、優れたマスカレイドを持っておいて損はありません。ですので、威容に溢れた仮面体である必要はありませんが、この後のお披露目自体はしっかりとやりましょう。安心してください。昔と違って、初めてでも失敗するようなことはありませんので」
「む……。まあ、樽井先生のような技術者も必要ですし、それはそうですな」
今さらだが、初めてでも大丈夫だというのは嬉しい話だな。
俺はマスカレイドにも、それを発動するためのデバイスにも今日初めて触れる。
だから、面倒な操作とかあったらどうしようかと思っていた部分もあるのだけど、そういうのがないのなら、いろいろと安心できる。
「よしっ! とにかく自分らしさだ! 自分らしさを前面に出して、自分の望む未来に相応しいマスカレイドをするのだ! そうすれば、自然と望む結果がついてくるはずだ! 諸君らにはそれだけの素質がある!」
「「「……」」」
自分らしさ、自分の望み、かぁ……ふむふむ、それならわからなくもないかな。
「……。ではそろそろ、実際の手順の話に移りましょうか」
そう言うと樽井先生……白衣の女性が段ボール箱の中から二つの物品を取り出す。
「……。まずは全員、これを着用してください。これは皆さんの正体を隠すと共に、マスカレイドの発動を補助するための装置でもあります。これをしっかりと着れば、マスカレイドの発動に失敗することはあり得ませんので、安心してください」
ひとつはフード付きの雨ガッパのようにも見える物体。
俺の身長でも足元まで隠せるような丈の長いデザインだ。
「正体を隠す理由はなんなんで?」
「ある種の様式美、あるいはサプライズという奴だな。直前までどんな人物なのかわからないようにしたほうが、マスカレイドをした後のインパクトが強いではないか」
「なるほどなー」
「道理って奴っすね」
丸刈りの質問に味鳥先生が答えて、その答えに丸刈りが頷くとともに、赤モヒカンと緑癖毛が声を漏らす。
たしかにインパクトという意味では、できる限り正体を隠しておくほうが、印象を残せそうに思えるな。
「……。次にこれを。こちらはマスカレイドを発動するためのデバイスです。決闘学園入学と同時に全生徒へ配られるモデルで、安価かつ低出力ですが、極めて安定性の高いものでもあります。ああ、間違っても今ここで発動しないように。もしも発動したら、安全のために制圧しますので」
「樽井先生ではなく、私が、だがな」
もうひとつは顔の鼻から上を隠すような形になっている、無地で白い仮面。
裏側には電極に似たものがゴチャゴチャと付けられている。
試しに顔に当ててみれば、まるで顔に吸い付くかのようにくっついて、軽く頭を動かしてもズレたり剥がれ落ちたりする様子は見られない。
「お~、落ちないね~、ちゃんとしているね~」
「……。そういう技術ですので」
「プラスチック? 金属? どっちだろ、これ」
「どっちだっていいだろ、そんなの」
この場での反応はおおよそ二種類か。
初めてデバイスを付けるらしい、おっとりとボーイッシュは不思議そうにしつつも、俺と同じようにいろいろと試している。
だが、初めてでないらしいスケバンなどは落ち着いた様子だ。
「……。さて、全員付けましたね。ではこの後について。味鳥先生」
「うむ。私たちはこの後、時間になったら、大ホール中央の舞台に移動する。そしてそこで、魔力量測定の結果に従って、一人ずつマスカレイドを発動していく。魔力量が多い者から順番にだ」
魔力量が多い順……ああなるほど、だから俺が一番だと通達があったのか。
トップバッター……いけるのか? 俺に。
いや、失敗することはないと言っていたから、たぶん大丈夫なんだろう、うん。
「魔力量が多い順なのは? インパクトがどうこうというのなら、魔力量が少ない者から始めていったほうが盛り上がると、素人的には思うんだが」
「当然の疑問だな。だが答えは簡単で、マスカレイドを維持していられる時間の関係だ。詳しくは授業中にやることになるが、マスカレイドを発動中は魔力を消費し続ける。魔力量が少ない者から始めてしまうと、最後に十人の仮面体を同時に見せることができないかもしれない。だから、魔力量が多い者からなのだ。納得したかね?」
「……。わかりました。理由があるならかまわないです」
睨んでた奴が声を上げ、味鳥先生が返す。
が、俺としてはそれどころではないんだよなぁ。
いや、大丈夫なはずなんだが……うーん。
どうしてもトップバッターということで不安が募るな。
「では、改めて順番を発表する。それとマスカレイドに伴う諸注意もだ。間もなく定刻になるが、諸君らの健闘を祈る!」
そうして味鳥先生によって順番が発表されて、その後に初めてのマスカレイドに伴ってありがちなトラブルとその対処法……という名のデバイスの停止手段を教わると、俺たちは言われた順番に従って大ホールの舞台へと移動を開始。
移動する先である大ホールの中はすでに満員御礼といった様子で、舞台を囲むようにある観客席には全校生徒に保護者、合わせて千人以上が詰めかけて、俺たちの登場をざわつきながら今か今かと待っていた。
ライブ放送なのか撮影なのかはわからないが、立派なテレビカメラが何台も入ってきていて、そのレンズを俺たちの一挙手一投足を見守るように向けている。
貴賓席と思しき場所にも人影が見えたので、誰かが入っているのだろう。
そんな中で、俺たち魔力量甲判定者たちは舞台へと移動すると、円を描くように立つ。
『それでは参りましょう。今年の甲判定者たちのマスカレイドのお披露目です』
司会を務めている生徒らしき人物の声が響く。
この場を見守る人たちが何を待ち望んでいるかはわかっている。
俺のマスカレイドだ。
『まずは今年の魔力量測定第一位、翠川鳴輝! どうぞ、舞台の中央へ!』
俺は緊張で喉が渇いていくのを感じつつも、舞台の中央へと移動する。
『それでは、お好きなタイミングで発動してください!』
デバイスの使い方はわかっている。
視界に表示される形で、どうすればいいのかが示されているからだ。
だから俺は指示に従ってデバイスへと手を伸ばし、スイッチを入れる。
それだけでデバイスは俺の体から魔力を吸い上げ、フードがその流れを補助し、マスカレイドを発動してくれる。
そうして、スイッチを入れてから一秒も経たないうちに……俺の視界は暗転した。
■■■■■
「ここは?」
そこは鏡のように光を反射するきれいな湖、その湖畔だった。
足元には丈の短い青々とした草が生い茂り、少し離れた場所には陽が差し込まないほどに木々が密集した森がある。
ほかに目立つのは……水仙の花だろうか。
『簡単に述べるならば、貴方の深層心理とでもいうべき場所です。初めてのマスカレイドでここへ至るとは……逸材ですね』
俺の呟きに答える声があったので、そちらのほうを向く。
そこにいたのは太陽のようなとしか表現のしようのない女性。
『さて、手短に伝えるべきことを伝えましょう。普通ならば、初めてのマスカレイドの際には、デバイスの力で魔力が引き出され、魔力の性質と術者の思想を併せ持った仮面体が自動かつ自然に組み上がります。しかし、貴方には迷いと膨大な魔力があった。そのためにこの場へと至り、私との邂逅を果たすことになったわけです』
う、うーん? わかったような、わからないような……というか、結局のところ、俺は何をどうすればいいんだ?
『簡単なことです。貴方の望みを、好きなものを、何を喜び、何に怒り、何が悲しくて、何で楽しむのかを、子どもの頃に憧れていたものを、とりとめのない空想を。貴方の内に秘められたものであるならば、何だってかまいませんので、とにかく口にするのです。それに合わせて、新しい貴方を、仮面体を、マスカレイドを生み出しましょう。そのために貴方は此処にやって来て、私は招かれたのです』
なんだってかまわないから、口にしろ、か。
何か、何かなぁ……。
「正直なところ……俺は恵まれているんだよな。飯に困ったことはない。着るに困ったことはない。住む場所に困ったこともない。周りにいる人間だって、誰も彼も優しい人ばかりだった。俺はここにいるほかの生徒に比べれば馬鹿かもしれないが、犯罪を犯すことを良しとするほどの馬鹿ではない。顔と体については間違いなく一級品で、誇るものではあっても蔑むものでは絶対にない。今の平穏を守りたいとは思っているけれど、それを守るためにどうすればいいのかまではわからない」
『なるほど』
「だから、望みと言われても俺にはよくわからない。何を求めればいいのかがよくわからない。新しい俺と言われても上手く想像ができない」
『そうなのですね』
「それでもなお、何かを引き出さなければいけないとするならば……俺が俺であるために支障のない部分だけ変わった俺を見てみたいかもしれない。鏡のようにというより、部分的にだけ反転した形になるだろうけど、そういう俺ならば俺は見てみたいかもしれない」
『ふむふむ』
俺は、俺の心から湧いて出てくるものを口にしていく。
留めることなく、あるがままに表に出していく。
女性はその言葉を真剣な様子で聞き取り、何かを形作っていく。
『貴方は……貴方自身とその周囲を愛してやまない。貴方自身とその周囲を守ることを願っている。貴方自身とその周囲のためになら拳を握れる。ならばたしかに、貴方は限りなく貴方のままに、けれど部分的には変わった姿になるのが相応しいでしょう』
「……」
なんとなくだが……女性の言葉は的を射ていると思う。
たしかに俺は、俺と俺を形作ってきたものが好きだし、それを守ることを願っていて、そのためだったら喧嘩だって厭わないと思う。
『さあ、湖を覗き込みなさい。そこに貴方の新しい姿があります。それを見れば、自然と目覚めることでしょう』
「わかりました」
俺は女性に背を向けて、湖に足を踏み入れると、その水面を眺める。
そこにはどこか線が細くなり、銀色の髪と青い目を持った、けれどだいたいのパーツは俺だと確信できる顔があって……。
「……」
「へ?」
『……。そうですか。そうきますか』
まるで、その線が細くなった俺に引き込まれるかのように、水面から伸ばされた手で頭を掴まれて、俺は水底へと沈む。
■■■■■
そうして俺は目覚めた。
マスカレイドを発動し、一糸纏わぬ女性の姿という仮面体になって。
そして今……護国さんがマスカレイドして現れた、薙刀を持った女武者という仮面体と舞台上で対峙するという異常事態に陥っている。
「自力で解除できないようなので、破壊による強制解除をさせていただきます」
護国さんが薙刀を振りかぶりながら、こっちへと駆け寄ってくる。
その動きは同年代の女子とは思えないほどに速く、五メートル以上は確実にあったはずの距離を一足飛びに詰めてくる。
それを見て俺は対応できないと一瞬だけ思い……すぐにその考えは改まった。
「おっと」
俺の体もまた、同じくらいに動き回れるようになっていたからだ。
正に思ったとおりに体が動いてくれる。
おかげで、間合いを詰めたところで振り下ろされた薙刀の刃を、ごく自然に避けることができてしまった。
「避けますか。であるなら……!」
護国さんは続けて舞うように薙刀を振り、俺の体を切り裂こうとしてくる。
その動きは優美な舞を思わせるもので、右に、左に、上に、下にと、変幻自在というほかない動きであり、入学式の前に見た体幹のブレのなさも如何なく発揮されて、俺にできることはひたすらに距離を離して刃が届かない位置に移動することだけ。
間違っても舞に割り込んで、薙刀の持ち手を掴んで止めることができるような動きではなかった。そんなことをすれば、叩き切られてお終いだろう。
だから段々と激しく、より速くなっていく薙刀の動きを前に、俺はバックステップと左右への跳躍を繰り返す。
「ちょこまかと……!」
「うーん、どうしたものか……」
俺は素人だからよくわからないが、護国さんの動きは明らかに薙刀の扱いに慣れ親しんだものであって、隙のようなものはまるで見当たらない。
けれど、このまま逃げ続けていても、どこかで追い詰められるだけだろう。
つまりどこかで、流れをひっくり返すような動きをしないといけない。
「だったらこれで!」
護国さんは大きく踏み込むと、その踏み込みの勢いを乗せた突きを頭に向かって放つ。
その動きはこれまでの舞と違って荒々しいもので、俺の目でもどこへ向かってくるのかがはっきりと見えた。
「そこだ!」
「なっ!?」
俺は少しだけ屈みつつ前に出ることで刃を避けると、護国さんの手をアッパーに似た動きで思いっきり叩き上げる。
その衝撃で護国さんの体は体勢を崩し、次の攻撃を繰り出せない状態になった。
本音を言えば薙刀を手放させたかったが、まあいい、このまま懐に潜り込んで腕を押さえつつ担ぎ上げれば無力化できる。
そこまで俺が考えたときだった。
「いい加減にしろ! この痴女がぁ!!」
俺の頭に横から飛んできた金属製の檻が直撃していた。
檻が飛んできた方向を見れば、いつの間にか鉄のような金属の光沢を持つ髪の毛の少女が立っていて、その手には檻に繋がっているであろう鎖が握られていた。
そして、少女の投げた檻は生きているかのように巧みに動くと、開いている口で俺を飲み込み、その内側に俺を完全に収めると同時に口を閉ざす。
俺は檻の中へと閉じ込められてしまった。
「はぁ……まったく……やるべきことはわかっているな?」
どこか気まずそうな様子で護国さんがマスカレイドを解除する。
しかし、やるべきこと、やるべきことか……。
「俺の美しい体を観客に見せつければいいんだな!」
俺は檻の中で改めてポーズを取り、周囲に自分の姿を見せつける。
堂々と、一片の恥じらいも窺わせないようにだ。
「マスカレイドを解除しろって言っているんだよ! この痴女がぁ!!」
解せない。
俺は指示されたとおりに動いていたと思うのだけれど。
けれど、いつの間にか檻には金属製のシャッターが降りていて、周囲の情報は音くらいしか入ってこなくなるとともに、俺の姿は周囲から見えないようにされてしまった。
「すまない、護国、風紀委員長。対応が遅れてしまった」
「いえ、私はやるべきことをやっただけですので。気が逸ったのか、ミスもしてしまいましたし、褒められるようなことは……」
「かまわないですよ先生。想定外の方向ではありますが、これも風紀委員長である私の仕事なので。この痴女はこのまま取調室に連れて行きますので、先生方は場が落ち着き次第、お披露目のほうを再開してください」
「ああ、わかった。二人の手早い対処に改めて感謝する」
やがて檻は動き出し、地面とこすれ合う音と定期的な揺れとともにどこかへと向かう。
遠くのほうから、スズの声が聞こえてきているような気もする。
うーん、どうしてこうなってしまったのだろうか?
俺は何ひとつとして間違ったこと、悪いことをしていないと思うのだが……本当に解せない。
だが、風紀委員長までもが出てきて、俺を捕らえたということは、俺に何かしらの瑕疵があったことも間違いないのだろう。
となれば、今はおとなしくしているしかないか。
俺は俺の美貌を見せつけただけだというのに。
うん? なんか今、妙な思考が混ざったような気がするな。
俺の美貌を見せつける?
俺の美貌については、確認できる範囲でも間違いなく美しいものだ。
しかし、それを見せつける?
そんな、わざわざ見せびらかすような嗜好と思想は俺にあっただろうか?
「あー、これが初めてのマスカレイドに伴う興奮状態とか、そういう奴なのか? なんかそんな感じの話を味鳥先生が言っていたような気がする」
檻の中に俺の声が響く。
そうして口にすれば、納得がいった。
と同時に、味鳥先生が言っていたことを思い出す。
「マスカレイド中は本音が出やすくなる。感情が表に出やすくなる。嘘をつけない。制御できないと判断したら、マスカレイドを解除するように、だったか。……。いや俺、制御はできているだろ。暴れたりはしていないんだから。護国さんへの対処だって正当防衛の範疇だと思うし」
「むしろ暴れたほうがまだマシだったんだよ、この痴女!!」
「うっさ!??」
檻が蹴られたのか、檻の中に大きな金属音が響く。
ついでに大きく揺れて、体と檻が勢いよくぶつかるのだが、思ったほどは痛くない。
「えー……。あ、この檻、外にも普通に声が聞こえているんですね」
「ああそうだ。ついでに私には中の様子も見えている。もう直ぐ取調室に着くから、着いたらマスカレイドを解除しろ。そうしたらこの檻からは出してやる」
「暴れたりはしませんよ?」
「その台詞は動くだけで乳房が暴れない格好になってから言え!」
再び檻が蹴られる。
うーん、こんな風にすぐさま足が出るような人が風紀委員長って大丈夫なんだろうか、この学園。
いや、この檻もマスカレイドなのだろうから、これも本音の類が漏れやすくなっている影響なのか?
「はぁ……こんなに疲れる違反者は初めてだ……。っと、取調室に着いたぞ。いいか、マスカレイドを解除しろ。何もかも、まずはそれからだ。こちらの指示に素直に従えば、今回の件は事故であったとして、誰も傷つかない形で処理も終わる。だからいいな、速やかにマスカレイドを…… か い じ ょ しろ」
「そこまで念押ししなくても……」
「念押しされるような状態なんだと理解しろ、痴女」
「……」
正直に言えば。
俺には今、大きな鏡を使って、自分の全身をきちんと見てみたいという気持ちがある。
だって絶対に美しいから。
見たものすべてを魅了してやまないような、俺の理想形に限りなく近いであろう女性像がそこにはあるだろうから。
が、このままここで粘っていても、思いが叶うことは決してないであろうこともわかる。
俺がマスカレイドを解除しない限りは、風紀委員長もマスカレイドを解除することは決してないだろう。
だからと、風紀委員長が魔力切れでマスカレイドを解くまで待とうとしても、上級生の中でもトップの風紀委員長と初めてマスカレイドをしたばかりの俺では、先に魔力が尽きてマスカレイドが解けるのは俺になりそうだし。
捕まる前の消耗がある以上、たとえ魔力量自体は俺のほうが多く、魔力を消費する感覚がほとんどなかったとしてもだ。
……。ああうん、風紀委員長のほうが正しいな、これは。
たしかに今の俺は念押しされるような状態だ。
この期に及んで、どうにかしてマスカレイドを解除しなくてもいい手段がないかを、どうしてか模索してしまっている。
怖いとか、恐ろしいとか、不安だとか、そんな当たり前に抱くべき感情すべてを置き去りにしてまで、自分の我を押し通そうとしてしまっている。
自分自身に魅入られていた俺は、その事実にこの場でようやく気が付くことができた。
「わかりました。マスカレイド……解除」
だから俺は風紀委員長に従って、素直にマスカレイドを解除し、デバイスを外す。
「はぁ、ようやくか。まったく……」
合わせて風紀委員長も檻を消し去ってくれた。
「さて、それじゃあ取り調べを始めるぞ。悪いが、お前の仮面体についてはいろいろと尋ねないといけない」
「あ、はい。わかりました」
そして見えたのは、ひとつの机に二つの椅子だけ用意された、正に取り調べ室としか言いようのない小部屋だった。
どうやらいろいろと聞かれることになるらしい。
■■■■■
「まずは名前、年齢、誕生日、性別な。何を訊いているんだと思うかもしれないが、初めてのマスカレイドの影響がどこに出ているかわからないからな。基本的な部分から確認するぞ」
「わかりました。名前は翠川鳴輝。年齢は十五で、誕生日は一月三日。性別は男です」
俺は風紀委員長の言葉にしっかりと答えていく。
風紀委員長の言葉を疑う必要はないだろう。
マスカレイドの影響で思考などがおかしくなっていたのは、俺自身も感じている。
「身長は? 自分でだいたい把握している程度でいいぞ」
「一八五センチメートル……くらいだったかな」
「髪と目の色は?」
「髪は黒。目の色は……そんなに気にしたことがなかったからたしかではないけれど、茶色だったと思います」
「出身地および家族構成は?」
「出身地は……」
というわけで、訊かれたとおりに、俺は答え続けていく。
どれもこれも俺が俺であるなら知っていて当然の情報であるのだけれど……それをわざわざ訊くということは、マスカレイドの影響次第では、このあたりの認識がおかしくなることもあるということだろうか。
だとしたら、少し怖くもあるな。
「よし、こちらの資料と大きな違いはないな。きちんとマスカレイドは解除されている。妙な影響も残っていないようだ」
「ほっ」
今回の俺は何事もなかったようだ。
無事で何より、というやつだろう。
「翠川。言っておくが、ここからが取り調べの本番だぞ」
「えっ……」
が、どうやら本番はここからであったらしい。
なんだか風紀委員長の目つきが先ほどよりも険しくなっている気がする。
「翠川。お前はマスカレイドをしたときに何を考えた? 何を思った? 普通は訊くものじゃないんだが、今回に限っては訊くぞ。お前の仮面体はいろいろとおかしかったからな」
「と、言われましても……うーん……」
俺はデバイスを起動した際に、妙な空間に飛ばされて、太陽のような女性に会って、その女性の指示に従う形で進めて行ったら、あのようなことになったという話をする。
「深層心理? 太陽のような女性? となると、行われたのはデバイスへの干渉か? いやだが、そうなると……まさか、そんなことがあり得るのか? けれど、一番当てはまりそうなのは……」
「えーと?」
そうして素直に話した結果。
風紀委員長は椅子の上で体育座りをするような姿勢になり、何かを早口で呟く。
どうにも、思い当たる節自体はあるようだが、それが起きたのが信じられないといった感じの雰囲気だ。
「翠川」
「はい」
「悪いが、この件は私の手には余る。よって、今の話を私は聞かなかったことにする」
「そうですか……」
聞かなかったことにされてしまった。
うんまあ、でも納得ではあるのかもしれない。
今思い返してみれば、あの太陽のような女性は、明らかに人間ではなかったわけだし。
風紀委員長の反応も合わせれば……まあ、俺でも何者であったのかの察しは付く。
「それと、正直なところ、事後で言うのは卑怯な話ではあるんだが。初めてマスカレイドをしたときに何を考え、
思ったのかという話は、その人のマスカレイドの弱点にも通じかねない重要な話であり、本来なら家族や友人にすら話すものじゃない。話すにしても、樽井先生のような専門家だけにしておけ。お前の場合は特に問題になりそうだしな」
「え、あ、はい。わかりました」
なので、専門家以外には話すなという忠告も素直に聞き入れておく。
この場合だと……スズも当然ながら含まれることになるだろうな。
スズ相手に隠し事……できるのか? なんだか黙っていても、そのうち、勝手にバレていそうな気配がするんだが。ならいっそ、素直に明かしてしまうのも手な気がする。
「さて次は今回の事故の処理についてだな」
「はい」
「といっても、今回は初めてのマスカレイドであるがゆえの事故であることは誰の目にも明らかだ。よって、お咎めはなし。反省文すら必要はないだろう。むしろ、何か言われるとしたら、周囲のほうだろうな。くくっ、ざまーみろだ」
「……」
風紀委員長がなんだかあくどい笑みを浮かべている。
今回の俺の件で不利益を被る人の中に、誰か気に入らない者でもいるのだろうか?
まあ、だとしても俺が知ったことではないので、気にしないでおこう。
「ただ、問題がないわけじゃない。お前の仮面体ははっきり言って痴女だ。下着一枚身に着けていない裸の女だった。しかも、パーツもきちんと付いていた」
「あ、はい」
「当たり前だが、そのかっこうは公共の良俗に反するものであり、特別な場でなければ人様に見せられるようなものじゃない。二度目となれば故意であるのは明らかだし、次に同じようなことがあれば、間違いなく逮捕されることになる」
「デスヨネー」
「しかし、マスカレイドとは基本的に人前で使うもの。つまり、このままでは、お前はマスカレイドを使えないことになってしまう。だから何かしらの対策が必要になるわけだな」
全面的に風紀委員長の言葉が正しいので、俺としては頷くほかない。
「えーと、普通に服を着ればいいのでは?」
「できなくはない。が、マスカレイドを使う環境では、普通の布どころか鉄板で作られた全身鎧だって、ボロ布と大差ない。それでは日常生活までが限度だ」
「そうですか」
「心配するな。お前のような世間にお出しできない仮面体のマスカレイドというのは、少なからず例がある。だから、通常のカリキュラムとは異なる順番で授業を進めることになるが、そこで専門家が教えてくれることになるはずだ」
「なるほど」
どうやら俺がマスカレイドを使えるようになるためには、特別なカリキュラムとやらを受ける必要があるらしい。
それで、樽井先生のような専門家にだけは話すように、というさっきの話になるのか。
「そんなわけだから、風紀委員長である私から、この先について言えることは『専門家が許可しない限りは、人目がある場所ではマスカレイドを使用しないように』。これだけだ」
「わかりました。気を付けるようにします」
逮捕されたくはないので、俺はしっかりと心に刻み込んでおく。
「ああそうだ。せっかくだから、私の学園内限定SNSの連絡先を教えておく。いや、そもそも名前も名乗ってな
かったな。私は麻留田祭という。今後付き合いがないことが望ましいのだろうが、困ったときは頼れ。翠川鳴輝」
「ご丁寧にありがとうございます。麻留田風紀委員長」
俺は麻留田風紀委員長から、名刺を受け取る。
そこには何かのアドレスと電話番号らしきものが記載されていた。
学園内限定SNSとはなんだと思うが、このアドレスに連絡すれば、麻留田風紀委員長と連絡が取れるのだろう。
そうして、名刺を制服のポケットにしまい、これで無事に取り調べは終わり……になるはずだった。
「ん?」
取調室の扉がノックされ、それに麻留田風紀委員長が反応しようとし……。
「ナル君!」
「……」
その前にスズが取調室の中へ突っ込んできた。
「ナル君大丈夫だった!? 怪我とかしてない!? 乱暴とかされていない!? あ、仮面体についてはものすごくきれいだったよ! 私の髪の毛と目の色にどことなく近かったけど、アレは私のことを意識してくれたからなのかな? でも、顔と体はナル君で、男も女も関係なしに魅了する感じだったの! あんなにきれいだとナル君に対して良からぬことを考える人とか出てきそうで正直私は怖くなっちゃったんだけど、そんなことがどうでもよくなるくらいにナル君の決めポーズは決まっていて、あ、そもそもとしてあの姿のナル君はナル君じゃなくてナルちゃんと呼んだほうが適切なのかな。ナル君はどう思う? それはそれとして……」
突っ込んできたスズは俺に抱き着くと、すぐさまに捲し立ててくる。
ああうん、久しぶりに見たな、この状態。
言いたいことをひと通り言ったら落ち着くはずだから、それまでは放置するしかないな。
「翠川」
「はい」
「コイツは?」
「水園涼美といいまして、俺の幼馴染です。俺のことを心配してここまで来たのかと」
「そうか。どうやら今年の要注意生徒は甲判定組だけじゃないらしいな……」
「その、なんというか、すみません」
「まだ何も起きていないし、お前は悪くないから謝らなくていい」
麻留田風紀委員長、すみません。
スズはこういう奴なので、はい。
麻留田風紀委員長が自らの手帳に何かを書き加えたのを、俺は見なかったことにする。
「あ、ナル君。私のマスカレイドは別の場所でやるらしいから、一緒に行こう。マリーちゃんと天石ちゃんも同じ場所らしいから、ちょうどいいよね」
「えーと?」
「訊くべきことは聞けたから、もう行ってもかまわないぞ」
「すみません。それでは失礼します」
「あ、では私も。失礼しました。麻留田風紀委員長さん」
こうして俺は取調室から解放されて、マリーと天石……おそらくは入学式で一緒になった二人の元へと、スズによって連れていかれることになったのだった。
■■■■■
「ナル君。こっちこっち」
「わかってるって」
さて、スズに聞いたところによれば、俺が取り調べを受けている間に、甲判定者組のマスカレイドお披露目は無事に、何事もなく、まるで最初から九人だったかのように、終わったらしい。
どのような仮面体だったのかは後ほど自分で調べてとスズに言われたので、ざっと調べたが、遠くから撮った写真を見る限りでは、九人とも立派と言えるような姿だったようだ。
うんまあ、これでいいんじゃないか? というのが俺の感想だ。
やった本人が言うなと言われそうだが、マトモな仮面体九人が並んでいる横で、ドヤ顔仁王立ちしている裸の女とか、放送事故でしかないし。
「ふう、無事に着いたね」
「ちゃんと時間前だね。お疲れ様。スズ」
「トラブルなく連れ出すことができましたカ? スズー」
さて、乙判定者たちの初マスカレイドだが、どうやら小さな会場で、教職員一名と新入生一名、それから新入生が一緒にいてもいいと認めた人間だけを入れる形で行うらしい。
よほど期待されている個人でもなければ、公共のカメラが入ることもなく、記録装置は教職員が持つ撮影用の小型カメラひとつだけのようだ。
そして、黒髪の少女と金髪の少女はスズと同じ会場で初マスカレイドをやるらしく、会場の前でスズと俺のことを待っていてくれたようだ。
「うん、なんとか。あ、二人ともナル君にはまだ名乗ってなかったよね。というわけで、せっかくだからどうぞ」
「そうですね。では改めて、自己紹介させていただきます。イチは天石市といいます。奇妙な縁ではあり、どの程度の付き合いになるかはわかりませんが、これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、天石さん。知っているとは思うけど、翠川鳴輝、スズの幼馴染だ」
まず名乗ってくれたのは黒髪の少女、天石市さん。
黒い髪は普通だが、虹彩は、道行く人の目を惹きつけそうなくらいに真っ赤だ。
天石さんは礼儀正しくお辞儀をしてくれたので、俺も礼儀正しく返す。
「マリーはマリー・ゴールドケインといいまス。日本人とアメリカ人のハーフですネ。中学からこちらだったのデ、文化や生活は大丈夫ですけド、言葉のイントネーションは少しおかしい感じですネ。聞き取りづらかったならゴメンナサイ」
「いや、問題なく聞き取れるから大丈夫だよ、ゴールドケインさん」
続けて名乗ってくれたのは金髪の少女、マリー・ゴールドケインさん。
俺はゴールドケインさんが右手を差し出してきたので、それに応じる形で握手をする。
それにしても、今の諸国情勢的に、乙判定をもらえるだけの魔力持ちが国外に出れるというのは、日本とアメリカの関係性を考えてもなお珍しい気がするけれど……そこはまあ、本人が話したくなったときに聞くことにしておくか。きっと繊細な部分だ。
「そこはマリー呼びでいいですヨ。そしてせっかくならイチも名前で呼んであげてくださイ」
「えっと?」
「せっかくなので呼び捨てでお願いします。そうしたら、イチも翠川さんのことを今後はナルさんとお呼びしますので」
「マリーもナルと呼びますヨ。こんな可愛い子に名前呼びしてもらえるなんてお得ですネ」
「えーっと?」
と、ここでゴールドケインさんが思わぬ提案をしてきたので、俺は思わずスズのほうをそっと見てみる。
スズの反応は……。
「うん、私からもお願いしたいかな、ナル君。二人のことは名前で呼んであげて」
笑顔だ。そして、何も問題がないと本心から言っている。
こういう場面だと、妙なプレッシャーをかけてくるのがいつものスズなのだが……二人とはすでに話し合いが済んでいるとか、そういうことなのだろうか?
いや、話し合いってなんのだよと思うのだが、でも、そうとしか思えない状況だ。
「えーと、うんまあ、そうだな。スズが問題ないならいいか。それじゃあ、これからよろしくな。マリー、イチ」
「はイ。よろしくでス」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
まあ、問題がないなら、それに越したことはない。
というわけで、俺はマリーとイチの二人と順番に、改めて握手を交わす。
「それでこの後は……俺はスズの初マスカレイドを見に行くってことでいいんだよな?」
「うん、そうなるね。で、その後は私と一緒に寮、SNS、授業とかの説明を受けることになるのかな。本当はほかの甲判定の人たちと一緒に受けるはずだったんだろうけど、ナル君が取り調べから解放された時点で、甲判定の人たちはそれを終えてたから」
「なるほど。なるほど?」
さて、この後についてだが……どうしてスズがいろいろと詳しくて、学園側も便宜を図ってくれたような状態に
なっているのだろうか?
教えてもらう側の俺としてはありがたいことではあるけれど、何か裏があるんじゃないかと、少しだけ不安も感じるな。
「スズの言っていることに嘘はないので安心してくださイ」
「はい。イチも保証します」
「そうか。そうならいいんだが」
とりあえずマリー、イチの二人はすでにスズの“何か”には触れたらしい。
アイコンタクトだけで、俺が気になっている部分を教えてくれた。
大丈夫なら……まあいいか。
明らかに流されている状態ではあるけれども、ここで詳しく聞こうとしても、先が変わるわけでもないし、時間の浪費でしかない。
「じゃ、この後についてもわかったところで会場に行こうか」
「あ、ああ」
というわけで会場前の受付に移動。
イチは一人だけで、マリーは母親と思しき女性とともに会場の中へと入って、暫くすると二人とも出てくる。
二人とも失敗とは関係なさそうな表情をしていたので、どうやらうまくいったようだ。
そしてスズの番がやって来ると、俺を引き連れながらスズは会場の中へと入る。
「水園涼美さんですね。ではこちらのフードとデバイスをどうぞ」
「はい」
「観覧者の方はこちらへ。決して線の外側に出ないようにお願いします」
「わかりました」
俺のときと同じように、教職員の指示に従って、スズはフードとデバイスを着用する。
「では始めてください」
「はい。マスカレイド……発動!」
スズがデバイスを起動すると同時に銀色の光が発せられ、視界が奪われる。
そして、光が消えた後に立っていたのは?
「発動……できましたか?」
顔には、立派な二本の角を持った般若の面。
身に着けているのは、見事な巫女衣装。
手にしているのは、中に何かが入っているらしい、両手で持つような大きさのバッグ。
髪の色に変化はなく銀色のままで、声音もスズのままだ。
だが……そう、なんとなくだが、プレッシャーのようなものを感じる。
それも炎のような熱を帯びた上に、泥のように粘りつく、そんなプレッシャーを。
「ええ、発動できています」
「そうですか、よかったです」
だが教職員のほうがそのプレッシャーをものともしていないのか、あるいは感じていないのか、何事もない様子でスズへと話しかける。
「ナル君。どうかな、可愛い?」
スズが俺のほうへとしっかりと向き、尋ねてくる。
プレッシャーは……明らかに増しているな。
だが、仮面が般若であることも含めて、間違っても可愛いとは言えない姿をしている。
そして、嘘をつけばろくでもないことになる気配もしている。
「可愛いというよりはカッコイイ。あるいは威圧感がある。という感じだな。なんか、ビリビリとしたものが来てる」
「カッコイイ、カッコイイかぁ……うーん。調整をする必要がありそうかな」
だから嘘はつかず、けれど言葉は選んで返す。
そんな俺の答えにスズは悩むような様子を見せているが、とりあえずこの場はどうにかなったな。
「水園さん。それではマスカレイドを解除してください」
「はい、わかりました」
スズは教職員の言葉に素直に従ってマスカレイドを解除する。
と同時に、俺が感じていたプレッシャーも薄れて消える。
あのプレッシャーはいったいなんだったのだろうか。放出されている魔力とか、そういう話なのだろうか。
「それではこちらをどうぞ。こちらは学校生活の案内となりますので、これを持った上で指定の寮へと行ってください」
「わかりました。行こう、ナル君」
「あ、ああ。わかった」
こうして、少なくとも表向きには、何事もなくスズの初マスカレイドは終わった。
俺とスズは、外で待っていたイチとマリーと合流すると、次の目的地である戌亥寮とやらに向かう。
■■■■■
「国立決闘学園は全寮制の学園だ。寮は四つ」
俺たちが寮内に設けられた説明会場に入ると共に、寮長による説明が始まった。
「子牛寮、虎卯寮、申酉寮、戌亥寮の四つだ。ここは戌亥寮だな」
戌亥寮は学園全体で見た場合には北西の位置にあるので、寮の名前が位置を示すようになっているようだ。
「寮の構造、注意事項、構造については各自で確認するように」
寮内各所には看板もあるので、たしかにそれで確認はできそうだ。
「後はそうだな。学園内専用SNSや授業についての軽い話もあるんだったか。まったくもってかったるい。こんなことなら、寮長なんて引き受けるんじゃなかった……」
「「「……」」」
ただ、俺、スズ、イチ、マリー、それからほかの戌亥寮所属となった新入生一同は、寮長である桂先輩のこれまでの言葉を聞いていて、一同にこう思ったことだろう。
大丈夫なのか、この先輩、と。
いやまあ、喋っている内容そのものにはおかしさもないし、伝えるべきことをきちんと伝えてくれているようだから大丈夫なのだろうけど……。それでも、かったるそうにしている姿を見てしまうと、そう思わずにはいられなかった。
いや、というかだ。
「アレで寮長ということハ、ほかの先輩たちはもっとヤバイ、とかなんですかネ?」
「「「……」」」
マリーの呟きに言葉を返す者はいない。
だが、無言こそが雄弁な肯定であるのが常で、ほぼ間違いなくそういうことなのだろう。
「ヤバいというか、協調性や確実性の問題だな。戌亥寮は割と好き勝手やっている奴が多いから、ほかの役職まで考えると、三年生では俺ぐらいしか、確実に情報を伝達できると判断されている奴がいないんだ。わかったか、マ
リー・ゴールドケイン」
「ワ、わかりましター……」
しかし能力はあるらしい。
甲判定者である俺ならばまだしも、マリーの名前を把握しているということは、この場にいる新入生……だいたい八十人前後の顔と名前は全員一致させている可能性がある。
それと、マリーの小声がしっかりと聞こえているあたり、耳もかなり良さそうだ。
「さて説明を続けるぞ。次は学園内専用のSNS……ソーシャルネットワーキングサービスについてだな」
説明が再開される。
ただ、俺も含め、新入生たちの話を聞く態度には先ほどよりも緊張感が漂っている。
誰だって寮長に悪い意味で目なんて付けられたくないのだから、当然なのだけれど。
「国立決闘学園には、学園内専用のSNS……あー、正式名称は『マスカレイド‐net』というんだが、生徒間ではもっぱら『マスッター』と呼ばれているものがある。で、学園の生徒にはそれのアカウントが一人ひとつずつ与えられている。使い道については、学園側からの連絡にはじまり、各種お知らせのチェック、友人同士の会話、匿名掲示板での他愛ないバカ騒ぎなどいろいろとあって、ここで全部説明するのは無理だから、後で各自目を通しておけ」
『マスッター』……なんだか少し前に、アルファベット一文字に名前が変わった、とあるSNSを思わせる名前だな。
「ただひとつだけ注意事項がある。今さっき言ったように、『マスッター』のアカウントは一人ひとつだし、学園内限定だ。だから、匿名掲示板であっても実際には匿名性なんてものはないし、誰がいつどこでアクセスしたかや情報を発信したかがすべて記録されている」
「「「……」」」
「誹謗中傷やなりすまし、犯罪の教唆なんぞをすれば、直ぐに学園側にバレることになって、よくて謹慎。最悪は退学からの犯罪者行きコースだ。ネットリテラシーの大切さなんて今さら言われるまでもないだろうが、各自言動には気を付けるように」
ああうん、たしかに大切な話ではあるな。
人を傷つけるような書き込みの類をするなという当たり前の話と言ってしまえば、それまでなのかもしれないけど。
とりあえず、俺の周囲でSNS周りが怖いのは……スズだな。
「スズは気を付けるように。俺を馬鹿にするような書き込みがあっても反応するなよ」
「大丈夫だよナル君。そんな私も巻き込まれるような手は使わないから」
「……。信じているからな」
「大丈夫なんでしょうか、これ」
「信じましょウ。まだ友達歴半日ですけド」
そこはかとなく不安だが、スズは賢いから大丈夫だ。きっと大丈夫だ。大丈夫だと信じよう。信じるからな、スズ。
「続けて授業についてだが、これも詳しくは『マスッター』を確認するように。こちらから言うこととしては、学園の授業は各自の進捗具合に合わせて組まれることになるから、学力には自信のない甲判定組や、苦手科目がある乙判定組でも、授業についていけないなんて心配はしなくてもいい。そもそも受ける内容が変わるからな」
「あ、はい」
「ナル君……待っているからね」
「たぶん、無理じゃねえかなぁ……」
授業についての心配は要らないらしい。
いや、レベルを下げた内容でもわからなかったら、中々にショックを受けそうな気もするが……大丈夫だよな? 俺はそこまで馬鹿じゃないはず。うん、そのはずだ。
「さて、これで伝えるべきことは伝えたな。質問がある奴は、寮の事務員さんあたりにでも聞いてくれ。丁寧に教えてくれるぞ。では、各自、自分の部屋の番号と鍵を確認してから、自室へと向かうように」
そんなわけで、桂寮長による説明会は終了。
俺たちは自分の部屋へと向かうことになる。
「ナル君の部屋は?」
「〇三〇四号室になっているな。三階、四番の部屋ってことらしい。スズは? 規則をざっと見た限り、男子は女子の部屋に行けないけれど、一応聞いておきたい」
「私たちは〇四一〇号室だね」
俺は早速自分の部屋の番号を確認。
それからスズの部屋番号も、緊急時などの理由で使うかもしれないからと確認。
「私たち?」
ただ、そこで少し気になったので疑問を口にしたところ。
「イチも〇四一〇号室とのことです。一緒の部屋ですね」
「なぜかマリーも〇四一〇号室だったのですヨ。不思議なこともあるものですネ」
「ふうん? そうなのか。不思議だな」
「うん、とっても不思議。悪いことじゃないけどね」
なんだろう、誰かしらの意図が働いていることは明白なのだけれども、誰の意図なのかはわからない感じだな。
いやそもそも、この三人を一緒の部屋にすることによって、誰かに損得が生じるのだろうか?
強いて言うなら、スズ、イチ、マリーの三人はすでに仲良くなっているので、そこがバラバラにならなかったのは都合がよく、この三人が得しているようにも思えるが……。
まあ、これもまた深く考えても詮のないことか。切り上げておこう。
俺たちは三階へと移動する。
「じゃ、スズ、イチ、マリー。ここでな。また後で」
「うんまた後でね。ナル君」
「では失礼します。ナルさん」
「次は夕食時ですネー。ナル」
そして、そこでスズたちとは別れて、俺は自分の部屋……〇三〇四号室へと入る。
「さて、いろいろと確認していくか」
戌亥寮〇三〇四号室……これから三年間、俺の住処になる部屋の中には、机、椅子、テレビ、ベッド、タンス、
カーテンといった、暮らすのに最低限必要であろう家具がひと通り揃っている。
目に付いた限りで足りないものというと……全身をひと目で確認できるサイズの鏡くらいだろうか。
個人的には、軽めの筋トレに使えるような器具やマットあたりも欲しいのだけれど……。
「ん? カタログ? ああなるほど……」
そう思っていたら、机の上に各種資料と並べられる形で、家具のカタログも置かれていることに気が付いた。
どうやら今あるのは誰でも必要になるような家具だけなので、追加の家具が欲しいなら、このカタログで選んで注文すればいいらしい。
代金については、各学生には魔力量や学業成績などに応じて、毎月国からお小遣いが支給されるので、その範囲内で支払うことになるようだ。
ただ、このお小遣いから私服、菓子、アクセサリー、交友費などなど、私的なものは全部支払うことになるそうなので、使いすぎには気を付ける必要がある。
「台所に食器、フライパン……自炊もできるのか。ただ食材が自費で、朝昼夕必要なら一階の食堂で食べられることを考えると、俺自身が使うことは滅多になさそうだな」
冷蔵庫の中身は当然ながら今はない。次の部屋へ。
「トイレがあって、風呂と洗濯機がある? 共同の風呂やランドリーがあるのに?」
トイレは問題なし。
次に見たのは洗面所と風呂、どちらも寮の中に共同で使用するものが用意されている。
共同のものがあるのに、どうしてここにもあるのかと思ったが、俺の疑問に答えるかのように洗濯機の上に学園からのメッセージカードが置かれている。
「ああなるほど。これもまた魔力量甲判定者に対する優遇措置のひとつなのね」
メッセージカードに書かれていた内容を噛み砕くとだ。
『魔力量甲判定の人間の私物は、いろいろな人間から狙われる傾向にある』
『一人で部屋を使える嫉妬などから、妙な絡まれ方をされることも多い』
『だから、風呂と洗濯を自室でできるようにすることで、そういったトラブルを避けられるようにした』
とのことだった。
きっと過去には窃盗事件とかもあったのだろう。
でなければ、さすがに無駄がすぎるというか、優遇しすぎているようにも思えるから。
ちなみにだが、部屋には一週間に一度、専門の業者による清掃が入るので、その際には最低限の片づけとしてゴミをゴミ箱に入れておくくらいはしておくようにとのことだった。
気を付けておこう。
「部屋の確認は完了。次は『マスッター』とやらだな」
その後、俺はスマホに『マスッター』を入れると、各種情報を確認していく。
まあ、概ねは桂寮長の話していたとおりだな。
明日からどこへ向かえばいいのかや、どういう風に過ごすべきなのかが大半だ。
中には一年間のスケジュールなどもあるし、後でもう少し読み込んでおこう。
「おっと、スズからメールだな」
ここでスズから『マスッター』のアドレスを教えてというメールが来たので返信。
また、スズ、イチ、マリーの三人のアドレスを登録、連絡を取れるようにしておく。
「と、そうだ。忘れないうちに麻留田風紀委員長のアドレスも登録しておかないとな。お世話になるつもりはないけれど、教えてもらったのなら登録はしておかないと」
続けて麻留田風紀委員長のアドレスも登録。
と同時に、せっかくだからと麻留田風紀委員長の個人ページを見てみる。
俺やスズといった新入生の個人ページは当然ながら未編集なので、何も書かれていないような、デフォルトの状態なのだが、三年生である麻留田風紀委員長はそうではない。
だから、それを見て、編集の参考にしようというわけだ。
で、見たのだが……。
「ロボぉ……?」
なんか各所に鋼鉄製の人型ロボですという感じのキャラが置かれている。
風紀委員会のページへのリンクや、風紀委員長個人への相談窓口なんかもあるのだが、それ以上にロボの主張がすごく強い。
麻留田風紀委員長……俺より頭二つ分は小さい少女の見た目からは想像もつかないような、厳めしいロボがいくつも置かれていて、どうしてもそちらに目が持っていかれる。
いや、もしかしてというか、もしかしなくてもだが、麻留田風紀委員長の仮面体はロボということになるのだろうか。
今日俺が入れられたものに似た檻を持っているロボも描かれているし。
うーん、風紀委員長なら、いろいろと有名だろうし、後でスズに聞くか、適当に検索をかけてみればわかるか。
とりあえず連絡先のひとつとして登録はしておいた。
「あとは……ああ、これが実際には匿名でない匿名掲示板か」
続けて匿名掲示板を見つけたので、そちらへアクセスしてみる。
利用規約については、当たり前のことしか書いていなくて、要約すれば『馬鹿すぎることを書き込むと、どこの誰なのかバラされるからやめておけよ』という話だな。
「お披露目実況スレ、新入生向け学園生活の注意スレ、麻留田風紀委員長ファンの集い、放送事故スレ、放送事故スレ@二、放送事故スレ@三……よし、後半のは見なかったことにしよう」
匿名掲示板については、俺が今後利用することはないだろう。
スレッドのタイトルを見ているだけで、俺の精神力がゴリゴリと音を立てて削れていくのがわかるからだ。
いやでも、俺の仮面体がどんな姿だったのかを第三者視点で見れる貴重なチャンスの可能性もあるが……。
「ん? あ、はい」
と思っていたら、いくつかのスレが削除されてしまった。
代わりに出てきたのはひとつの注意書き。
そこにはこう書かれてあった。
『公共の良俗に反する画像を貼らないようにしてください。この警告を無視した場合、スレッドごと封鎖されるだけでなく、該当者には何かしらのペナルティが付与される可能性があります』
うんそうだね。よく考えなくても裸の女性の写真だもんね。そりゃあ、載せられない。
となると、自分のマスカレイドがどんなものなのかを確認するには、自分でどうにかするしかないようだ。
「あ、スズからメッセージが来てるな。匿名掲示板は見ないで? 対処は私とイチとマリーでしちゃうから? ……。うん、見なかったことにしよう」
あと、誰の手によって削除祭が行われているのかを察してしまった気がする。
ただ、これについてはスズが正しいと思うので、俺はスズの言うとおりに見なかったことにすることを決めた。
「と、そろそろ夕食だな」
その後の夕食は周囲の生徒たちからどこか生暖かい視線を向けられつつのものではあったが、一般的な家庭料理よりも彩り鮮やかで豪華な食事をスズたちと共に楽しんだ。
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「えーと、スマホのカメラよし、学園からもらったデバイスよし、発動補助のフードよし」
そして夕食後。
自分の部屋に戻ってきた俺は、部屋の鍵をしっかりと掛けた上で、机に動画を撮影する状態にしたスマホを立てかけると、学園配布のデバイスとフードを身に着ける。
改めて確認するが、カメラは……うん、しっかりと俺のことを映し続けているな。
「すぅー……ふぅー……確認するだけ。見た目の確認をするだけだ。それ以上は何もしない。すぐにマスカレイドは解除する……マスカレイド発動!」
俺は自分にそうしっかりと言い聞かせながらマスカレイドを発動する。
魔力がデバイスへと流れ込み、デバイスから放出される魔力が光となって、俺の全身は光に包まれる。
やがて光は男性的なシルエットから女性的なものへと変形していき、変形が終わると光が剥がれていって、俺の仮面体が姿を現す。
「うーん、美しい」
ひと言で表すなら絶世の美女。
そうとしか言いようのない裸の女性がスマホのカメラに映っている。
惜しむらくはスマホのカメラと画面の解像度が不足している点だろうか。
直接自分の目で見るよりも明らかに劣化している。
だが、俺の記憶どおりなら、俺のスマホのカメラの性能はそれなりのものであり、決して性能が低くはないはず。
それなのに劣化していると感じるのは、俺の仮面体の美しさが規格外であるために、機械では表現しきれていない、ということだろうか。
なんにせよ、今の俺の姿を残そうと思えば、相応の設備が必須であることは間違いない。
なるほど、これが美しさは罪というやつか。
この姿を誰かに……。
「ん? ああ、まずいな。マスカレイド解除」
俺は自分の思考に妙なものが混ざりはじめたのを感じたので、マスカレイドを解除する。
すぐに俺の姿は裸の美女から、部屋着姿の俺のものに変わり、思考も落ち着きを見せはじめ、少なくとも、マスカレイドを発動した姿を誰かに見せつけようという考えは消えた。
なるほど、マスカレイドを発動している間に落ち着いて行動するには、相応の慣れが必要であるらしい。
「カメラを停止して、記録して……自分のものだからいいけど、人様には見せられない動画だな」
俺はスマホのカメラを停止して、録ったものを見返してみる。
マスカレイド発動に伴う光の中から俺に似た絶世の美女が姿を現し、俺の声に似ているけれど女性的な声で自分を賛美している。
銀色の髪と青い目を持つ顔立ちは言うに及ばず、大きな胸を含む体の造形も均整の取れた美しいものであり、恥じらう必要性などどこにもない素晴らしい体だ。
うん、美しいな。
美しいが……公序良俗から判断すると、人様には見せられないような姿であることもまた事実である。なにせ、胸も股間も一切隠していないのだから。
俺も健全な男子高校生として、そっち方面の知識と興味は持っているからわかるのだけど、これを衆目に晒すわけにいかない。
俺の姿も犯罪であるのだけれど、この美しい裸を見て良からぬことを考える奴も出てきそうで、実によろしくない。
そして同時に恥ずかしくもなってくる。
こんな姿を俺は堂々と大衆に晒していたわけか。穴があったら入りたいほど、恥ずかしいという感情が湧いてきて仕方がない。
「あーでも、見られるの自体は別にかまわないんだな、俺。まあ、この美しさで謙遜なんてしたら、逆に傲慢だから、おかしくないけど」
そう思っているのに、思考は堂々巡りを起こしそうになる。
言い訳を考えてくる。駄目だとわかっているのに通そうとしてくる。
この美しさを隠す必要なんてないじゃないかと訴えかけてくる。
だがしかし、そう、だがしかしだ。
「どれほど美しくても、このままでは人前には出られない。明日からマスカレイドの授業があると聞いているから、そこでなんとかなることを願うしかないか」
今後のためにも、隠すべき部分を隠すような対処は、渋々、嫌々であったとしても、やらなければいけないだろう。
でなければ、マスカレイドを使う度に麻留田風紀委員長から檻を投げつけられることになりそうだし、そのうち警察沙汰にもなってしまうかもしれない。
それは誰にとっても良くないことだろう。
また妙な思考が入り込んでいるようにも思えるが、隠すためのやり方を学ぶという方針自体は間違っていないはずだ。
気が付けば、『マスッター』経由で明日の授業についての連絡も来ている。
俺は連絡を見て、明日から始まる授業に必要な準備を済ませると、学園生活一日目を終えたのだった。