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実質異世界転生 ~二千年寝てたら世界が変わってました~ 1
著者:Schuld イラスト:エカニス・エニカ
Awake in
Ⅰ
雪の中に血が斑を描き、数多の益荒男から成る軍勢が種族を問わず信じる者のために命を散らす様は、ひどく幻想的に映える。
何故、これを幻想だと感じたのだろう。この上なく目の前にある現実だというのに。
「偽王に死を!」
「帝国は失せろ!! 北土は我等、北土の民のものだ!!」
「皇帝神の愛ぞある!!」
響き渡る怒号も、滑りを帯びた血の温かさも、鎧の重みも。
そして、命を絶った剣の重さもこの上なく現実的だというのに。
「皇帝のために!!」
「裏切り者達を倒せ!!」
「この反乱軍めが!!」
入れ替わり立ち替わり、剣を振るい、魔法を放ち、敵を斬る。何度味わったかもわからない命を奪う手応えに、最早飽きにも似た感慨のなさを覚えつつ前に出る。
敵の密度は前進するにつれて濃く、更に手練れが増えていき、周囲を囲んでいた仲間が次々と倒れていく。
「従士殿! 無茶です!!」
「行けるさ! この程度ならな!!」
背を守っている鎧の女性騎士の窘めに、何も心配はないと応えるが如く刃を振って、豪勢な鎧を着た敵手を一息に斬り伏せた。首鎧の合間に刃が食い込み、鎧下を斬り割いて頸動脈を断った男の雰囲気は、鎧の装飾もあって敵の百人隊長あたりか。かなり大物の首を取ったな。
しかし、立ち止まって確認している余裕などない。首が欲しいなら誰か持っていけばいい。
今唯一必要な勲功は、敵総大将の首だ。それさえ取れば、百人長だろうが千人長だろうが、比べものにならないくらいの安首よ。
嫌になるほど濃密な敵の陣を抜けると、ついに周りには信頼した女性騎士以外の味方はいなくなっていた。皆、討ち取られたか敵の波に絡め取られて進めなくなったか。
どちらでもいい。敵も残すは総大将と、その僅かな供回りのみ。
「くっ、貴様も北土の民であろうっ!! 何故、我等に刃を向ける!! 血に背くのか!!」
親しみを感じるような、同時に強い憎しみも抱いているような奇妙な感覚を抱く豊かな髭の壮年男性が剣を鞘から抜き払った。一際豪華な青と銀を基調とした鎧、そして背後に翻る軍団旗を見れば、彼が誰であるかを問う必要はなかった。
まぁ、感慨などどうでもいい。首だ、その首さえ落とせば反乱は終わり、北土に平和が戻る。どうせ北方人の寄り合い所帯の政治で上手くいくわけがないのだ。帝国が本腰を入れて、併呑されてしまうよりも理想主義が行きすぎた偽王を倒し、正当な上級王を立てたほうが、将来的には北方のためになる。
「この土地は我等の……」
「問答無用ぉ!!」
『ケース二〇五甲一項、及びその関連補則の適用によりドーン・ブレイク・プロトコルが実施されます。仮想現実処理は停止。記憶処理プログラム終了。自我機能再起を開始します』
無機質な声、この雪の景色に不釣り合いな通達が響き渡り世界が完全に静止した。剣を抜き、大声を上げようと口を開けた偽王も、周りで激しく戦っていた兵士と戦士も、そして吹きすさぶ雪の一粒までも。
「なっ、なんだ!? 何が……」
『ドーン・ブレイク・プロトコルに続きケース三四二甲の件につきリザレクト・プロトコルを実施します。対象はすべての心理的障壁、攻性・受動性防壁を解除し自我境界域を開放状態に保ってください』
世界が寒さのあまり凍り付いたような異常な状況に翻弄されつつも、無機質な声の通達は私を置き去りにするように続いていく。
そして、不意に訪れる頭が割れるような衝撃。
湧き上がる記憶、封印していた自我の一部、そして蕩けて消えていく現実。
仮想の、現実。
『おはようございます』
「……おはよう」
気が付くと、私は溶液の中に浸かっていた。口元には身体の維持に必要な要素を供給するためのマスクが備わっており、それ以外の何も身に着けていない。
そして、視覚野に電気刺激でもって投影される小さな表示枠には、心配そうな相方のアバターが表示されていた。
相方? 私の戦友は盾の乙女、百戦錬磨の醜男に劣ることのない女性騎士で、共に敵陣を潜り抜け今まさに偽王の首を狩り取ろうとしていた……。
『体の状態は如何でしょうか。直ぐに全身のチェックを行ってください。かなりの長期間、自我を凍結し仮想空間で遊んでいらしたのでなんらかのバグが発生している可能性があります』
「あ? ああ……ああ……いや……」
ぼんやりした思考で指を動かして、目の前に表示枠が開いたことに驚いた。
状態はオールグリーン。肉体におかしなところはどこも……。
って待て、私はさっきまで帝国軍として反乱軍と戦って……ああ、待て待て、あれは“仮想現実”だ、ゲームだ。私は長い休眠時間を使って遊んでいたんだ。
あの掛け替えのない現実を思わせる世界は幻想。すべては作り物の夢。今、ここにいる私が本体だと認知を歪めないための精神診断プロトコルが教えてきている。
ん? いや、だとしたらこの体はなんだ。培養液なんぞに浮かべられて、まるで“呼吸をしなきゃ死ぬ”みたいにマスクまで着けられている。
否、私は実際に呼吸していた。ゲームの中で没頭していた、旧人類規格の体のように。無意識に、それが当たり前の機能であるから不随意に体が勝手に行っている。
試しに止めてみた。五秒、十秒、十五秒……ちょっと息苦しい。
三十秒……四十五秒……明白にしんどさを感じてきた。
「ぷはっ!? なんっ、なんだコレ!?」
『落ち着いて! 落ち着いてください待宵上尉!! VR酔いですか!?』
「なんで基底現実なのに、この体なんだ!?」
培養液に妨げられて、私の悲鳴はひどく濁っていた。
当たり前だろう。私は待宵 望。銀河高次思念連合体の統合軍に所属する機械化人の一員にして軍人。ボディは甲種規格の重戦闘用で、外見こそ人間に近いが呼吸なんて必要ないはず。
これでは、さっきまで趣味で没頭していたVR空間で、不便な肉体を用いファンタジー世界を楽しんでいた時の延長のようではないか。
「てっ、丁種一型!? なんだ、なんでいつの間にこんな脆弱な義体に入れられている!?」
我々機械化人は旧人類、つまるところのホモ・サピエンスから分岐進化した生き物だ。自我を完璧に二進数化することに成功し、光子結晶と呼ばれる物質と熱量のあわいにある物体に焼き付けて存在している生物であり、肉体は宇宙空間に適応するため高度に機械化されている。
だが、この筐体はなんだ。機械嫌いの旧人類国家に外交官を派遣する時、我々が気遣いで送ってやるような脆い脆い、殆ど旧人類と同じ規格じゃないか。
一体、この16thテラを地球化する長い事業の途中、仮眠をほんの十年ばかしとっている間に何が起こったんだ!?
『いいですか、落ち着いて聞いてください』
「そっ、その声はセレネだな!? 私が寝ている間に何があった!!」
休暇中に前文明のデータをサルベージして作られたVRゲームで、今の光景に妙に既視感があった。といっても、今は声だけで私に語りかけてきている相方は禿頭に眼鏡の医師ではないし、私だって片腕を吹き飛ばされた敗残兵ではない。
ただ休暇中の軍人であるはずだ。起きたらこんな脆い筐体に突っ込まれているとか、何事なんだ。寝起きドッキリと早朝バズーカは、その悪質性から汎銀河条約で規制されたはずだぞ!?
『待宵上尉が自閉状態に入ってから、惑星標準時で二千年の時が経過しています』
「にっ、にせ……はっ、はっ、はっ……」
『拙い! 落ち着いて! 冷静に!!』
今、我が相方はなんと言った? かつては人工知能と呼ばれ、今や想像力と自己増殖性を手に入れた故に無機物ではなく、一個の知性体として受け容れられた数列自我知性体の一人、セレネは重大なバグを引き起こしたのではないか?
何故なら、惑星地球化が現在進行形で進められているはずの、この16thテラで私が仮眠を許された時間は十年。環境変化を観測するために間をおく必要があるので、それだけの間眠っていることを申請して受理された。
それが二千年!? 普通ならとっくに軍のおっかない憲兵共が押し寄せて来ていなければおかしい。職務放棄だぞ。いやさ、職務放棄どころか義体の耐用年数超えで仮死状態になっていてもおかしくはない年月じゃないか!
表示枠越しにセレネのアバターは、ひどく沈痛な面持ちで顔を伏せた。
黒い肌はメタリックな艶があって人のソレではなく、装甲板に近い。同時に姫カットに整えられた髪の毛もファイバーチューブを束ねた熱交換器であり、明白に人間とは異なる。長い前髪の下はノッペリとして、カメラアイが露出していないことを私の記憶はしっかりと認識している。
それでも長い付き合いだ。アバターのエモート機能を使われなくとも、セレネが悲しんでいることは痛いほどにわかった。
『大規模な通信帯汚染があったんです! 膨大な自我抹殺プログラムが通信帯にあふれ出して、接続していた多くの同胞が発狂死しました!!』
「馬鹿な! 軍の通信帯だぞ! そんなことできるはず……」
『事実です! 今、ログを電脳に送ります! ご確認を!!』
そうして流れ込んでくる膨大な情報。旧人類の肉体であれば理解が全く及ばない、脳殻の中に高度な量子電算機を搭載している私だから咀嚼できるログの洪水が流し込まれる。
我々第二二次播種船団は、1G下で大気がなければ生存できない脆い旧人類に売りつけてボロ儲けするため、毎度の如くこのかみのけ座の辺境で生命居住可能領域にあった適当な岩石を地球化する作業に従事していた。
重力路を開いたランダム跳躍で基幹星系から数千万光年以上離れた“別銀河”に飛んでから我々の仕事は始まる。
丁度良い位置まで引っ張っていって整形した惑星に大気層を作り、水を流し込み、衛星を用意して環境を整えるのに二千人の機械化人と数千の数列自我知性体が従事していたのだ。
これは軍の事業でもあるため通信帯のセキュリティは非常に堅く、小虫一匹入れないはずだが、セレネが言うとおりある瞬間を境にすべてが崩壊した事実が羅列されていく。
崩壊、発狂、切断、各施設からのシグナルがロストし世界はやがて静寂に包まれた。
幸いにも私は自閉状態で次のシフトまで休憩に入っており、セレネも辺境にあった基地のおかげで通信ラグから通信帯汚染より免れて、施設の物的・情報的封鎖に成功。
奇跡的な要因が重なり合って発狂することから免れたが、惑星全体がひどいことになったことは記録から明らかだ。
重力圏で活動していた船舶の中には、墜落した船もいるのだろう。
この断続的に発生している特有のノイズ。これは“融合兵器”使用時に発動する独得のEMPパルスと同じだ。つまり、大規模な宙間戦闘が勃発したのは明白である。
そして、惑星活動を記録する拠点の各計器にある振動は、地震ではなく“大質量弾”による衛星軌道攻撃の痕跡。大型の拠点を叩き潰すべく、超圧縮された数百トンの爆撃杭が衛星軌道から幾千発も叩き込まれたのであろう。
二千年経っても通信は何処とも回復せず、救助も来ていない中、私が生存できていたのは彼女の尽力あってこそと即座にわかった。耐用年数を超えて動く拠点。失われた前の筐体。
「私の義体と君の筐体を基地の維持に使ったのか」
相方が目覚めに直接立ち会わず、アバターだけで現れたこと。そして、二千年という目の粗い鑢に私達が摩耗し尽くされていない理由にやっと気付いた。
この脆い筐体に移し替えられる前のボディも、物質的な姿を見せないセレネも、すべて時間に耐えるため転用されてしまったのだろう。
『はい、勝手な判断をお許しください。ですが、あくまで簡易観測拠点に過ぎない、この地下埋設基地で電力を賄うのには、私の筐体と上尉の義体に搭載された融合炉が必要だったのです』
この観測拠点の動力は中継衛星から送られてくる、宇宙空間に敷き詰めた太陽光発電パネルからの遠隔受信で賄っている。通信帯が崩壊し衛星連絡網が途絶えれば、備蓄蓄電池なんぞ数年保たないので仕方がない仕儀だと納得している。
それに生産設備も最低限の機能維持用しかなかったので、義体や筐体をバラしてより高性能な極小機械群の補充を可能にしなければ、環境そのものを保てなくなるまでの日数もうんと短くなる。自分の使い慣れた体や、相方である私の体を分解せざるを得なかった彼女の辛苦と葛藤は察してあまりあった。
「だが、私の起床がこれだけ遅れた理由は? 目覚めていれば手助けもできたろうに」
『その……上尉は一時期オンラインVRにも接続なさっていたので、万が一汚染されていたことを考えると不安で、不安で仕方がありませんでした』
つまり基地を安定させ、私を安全に目覚めさせられるか慎重すぎるほど検討した結果が二千年ということか。これはコードの一本、記憶素子の欠片まで満遍なく何度も見られてしまったのだろうな。
「よくやってくれたセレネ。流石は私の相方だ。それと、三至聖のお導きあってこそかな」
『……はい、過分な評価痛み入ります。すべては我等が祖と、聖T・Oのご加護です』
筐体が残っていれば泣いていそうな震え声に、本当に頑張ったのだなと感じ入る。
旧人類共は何を思ったか数列自我を旧型のAIが如く、言われたことをやるだけの機械と同じように扱うが、彼女達はとてもさみしがり屋なのだ。
必ず交代が来るとわかっている五百年の単純作業には耐えられても、五年間の孤独に耐えかねて意味消失を選ぶような繊細な子達が、よく頑張ってくれた。
「だが、それにしても、この義体はなんだ?」
『上尉の義体と私の筐体に搭載された極小機械群を自己複製させて工場を生産したのですが、それでも小規模なものが限界でした。ここのアーカイブには軍機密の甲種義体設計図なんてありませんでしたし』
「つまりDNAデータから生体義体を再現したのか」
本当に家の相方は応用がきいて賢いな。DNAの記憶さえあれば人体は再現可能とはいえ、限られた設備で本当にやってのけるとは。
一体どれだけの試行錯誤と苦悩を重ねたら、この難行を乗り越えられたのか。二千年の孤独に耐え、ただ私に再び会うため努力を重ねてくれた愛の重さに涙がでそうになった。
『どうしても、どうしても上尉にまたお会いしたかったのです。お元気な姿で』
「そうか……ありがとうセレネ」
なので、一応突っ込まないでおこう。普通の甲種義体に慣れていた人間なら、この感覚器の性能が極悪で、脆く、鈍い肉体へと何の前置きもなくブチ込まれたら、違和感で真面に動けなかったであろうことを。
いや、ともすれば発狂半歩手前までいくかもしれんぞコレ。あまりにも世界が狭く、すべてが鈍くてとろくさい。慣れていなければ、この基底現実時間に合わせた感覚器の情報伝達速度の遅さ、何よりも情報密度の薄さから秒間数回の勢いで舌打ちをしていてもおかしくない。
いやぁ、良かったな、私が旧人類規格のボディで遊ぶファンタジー系VR好きで。
培養液の中で体を動かせば、ほぼ違和感なく動いた。ゲームの時と同じだ。敢えて思考速度を基底現実時間に合わせて調整し、ノロノロ動き口を開いて喋ることを“贅沢”だと考える玄人層に向けてチューンされた各種設定は丁種一型義体とマッチしている。
思考のクロック数こそ電脳と同じに調整されているが、体感時間は標準時と同じように調整されているなど、普通の機械化人なら遅すぎて耐えられなかっただろう。この点、私の趣味とセレネの努力は奇跡的な噛み合いを見せていた。
まるで運命のように。
「よし、じゃあ早速出してくれセレネ」
『はい! 上尉!!』
「ところで服やその他の装備は? 近くに見当たらないんだが」
『……あっ』
あってなんだ、あって。
どうやら我が相方は私と再会できるのが心の底から嬉しすぎて、装備の出力を忘れるくらいの勢いで私を叩き起こしたらしい。
まぁ、気持ちはわかるからいいんだが。いいよ、慌てなくて、この絶妙に温い─くそ、このポンコツ体感気温すら選別削除できないのか─培養槽の中で待ってるから。
『ごめんなさい上尉! ようやく、ようやくお会いできると思ったら本当に本当に楽しみで、つい気が逸って……!!』
「あー、構わない、怒ってないし、時間もたっぷりあるんだから。ゆっくりでいいから体を拭く物と着替えを用意してくれ」
どうだね、この愛らしさ。旧人類共も裏切るかもとか考えないで、数列自我知性体を人類の一種として迎え入れるべきだったんだ。楽しみ逸ってポカをするだけの“遊び”があるなんて、正しく人間の所業じゃないか。
私はひたすら詫び続ける相方を宥めながら、二千年のギャップをどう埋めるべきか悩むのであった。
いやぁ、しかし二千年、二千年か……こんなの、実質異世界に転生したようなもんだよなぁ…………。
【惑星探査補記】
機械化人。ホモ・サピエンス・マキナウス。
自我を完全に二進数化し量子電算機に自我を転写した旧人類から派生した種族。今も人類を自称しているが、多くの旧地球系旧人類からは人間と見做されず、AIの係累として扱われている。
Ⅱ
暗色に染められた上下一体のツナギ型作業服と多目的ポーチを用途によって入れ替えられる腰帯は、私の記憶素子にあるVRゲームデータから得た物を立体成形機によって出力した。
長靴も同じく荒廃した都市を一人で彷徨うゲームで使われていた装備で、足によく馴染んで歩きやすく、色々な
ゲームをしていて良かったと改めて思った。
人差し指と中指だけを抜いた手袋を力強く着け、机上に置かれたハードケースを手に取った。
中に収まっているのは、仮想空間内で初等教育を受けていた頃─A.D.一九九〇年代をベースにした牧歌的な時代背景だった─御菓子の空き箱を繋げて作った、玩具の鉄砲に似ている。
マットブラックの艶がない本体には一切の凹凸がなく、照準装置はおろかマガジンリリースボタンや引き金すら備わっていない。厳密にいうと全く必要ないからついていないのだ。
『すみません、上尉。そのようなものしか用意できなくて』
「あるだけで上等だよセレネ。囚人スタートよりは随分恵まれている」
この玩具めいた銃は施設警備用のドローンが装備している、低脅威度の敵を排除するための電磁石銃だ。低反動で威力もそこそこ、燃費に優れ無重力下や真空状態での運用も簡単であるためドローンの基礎装備としてはよく採用されている。
手に持てば自動で無線がリンクされ、電脳の火器管制系と即席の銃が接続された。仮想のマガジンリリースを押せば、銀玉鉄砲めいた丸い弾頭を大量に収めた弾倉がするりと吐き出される。
『装弾数五十発。バッテリーは通常モードで二十五発、強装モードで十二発、省エネモードで五十発撃てる仕様です』
「威力は?」
『通常モードで六五〇ジュール、有効射程は一二〇メートルほどです。強装モードでは三三〇〇ジュールほど出ますが、銃身の摩耗が激しいのでオススメできません。なにせ、ここの設備では予備銃身の製造にも苦労しますので』
「ま、お守りにはなるか。棍棒よりは随分とマシだよ」
構えると視界にFCSと連動した銃口の向きが反映され、命中予測地点が紅く表示される。視界で命中希望地点を指定すれば、腕の筋肉が自動で補正され狙った通りの場所を示し、命中確実状態に移れば緑に光る。
これまでのプロセスは基底現実時間で約〇・二五秒。軍用規格の義体で戦ってきた人間からすると遅すぎるが、VRで遊んでいた身分としてはチートを疑う速度。
これなら多少の脅威が現れてもやってやれないことはないだろう。
ファーストラインに装備された拳銃嚢に電磁石銃をしまい、予備弾倉を続けて差し込んでいく。
そして次に重要なのは、VRの中でもファンタジーに浸っていた私であればこそ、全力で使うことができる装備だ。
「我が愛剣、よくぞ残しておいてくれた」
『単原子分子ブレード。大気中での使用可能時間は五十六秒。限界がくる度に鞘に戻してください』
「コイツの扱いは慣れたものだ。忘れたかいセレネ、私は甲種白兵徽章持ちだぞ」
『そうでしたね上尉。失礼しました。士官用の飾りになっているのが実態でしたから』
日本刀を思わせる形状の剣は、最新科学によって生み出された“理論上あらゆるものを切断可能”な刀剣だ。
刀は高次連の機械化人が身に纏う装備では未だに現役。刃の先端が極大の単原子分子によって成るため、あらゆる物体の分子の隙間を縫って結合を崩壊させられる優れものである。
反面、刃部先端の単原子分子は脆く、長期間大気に晒すと直ぐ大気中の物質と化合して単分子ではなくなってしまうため、極小機械群の研ぎ師達を満たした鞘に戻してやらねば瞬く間に切れ味が鈍る弱点もある。
とはいえ、抜剣から十数分は旧人類が使う剣と同程度の切れ味を維持できるので、白兵戦をやるのに不足はないのだがね。実際頼りになる武器だよ。
特に、こういう原始的な武器でドつき合うVRゲームを数十万時間遊んできた私にとっては、指先の延長みたいなものだ。
鯉口を切ってみれば密封が解けてプシュリと小さな音が鳴り、粘液型の極小機械群を纏った独得の照りがある刀身が姿を現した。
統合軍の汎用品ではなく、オーダーメイド専門店の私物。注文して五十年待ちの上、給料十五年分をブチ込んだ国綱Type-Aは二千年の時を乗り越えても尚麗しさをそこなっていなかった。
「二千年の時を経ても現役か。手入れをしていてくれてありがとう、セレネ」
『上尉のお気に入りでしたから、これだけは分解しませんでした』
ここの設備では再現不能な物品だけあって頼り甲斐がある。近年の戦闘では極閉所戦でもなければ出番のない代物でも、この肉体では最後の綱みたいなものだ。
軽く払って鞘に戻せば─この時、気を付けないと親指が飛ぶ。新人がよくやらかすミスの代表例だ─腰帯の剣帯で頼もしい重みを伝えてくれた。
とりあえずこれで武装は全部か。
あとは可視光しか拾えない目で暗闇を進むためのフラッシュライト、流体金属が詰まった筒型の万能工具、いちいち経口摂取で栄養を補給しなければぶっ倒れる体を維持する高カロリー錠剤と大気中の水分を集めて勝手に補給してくれる小型水筒。
それと、通信帯汚染が発生している現在、様々な機械と“直結”することは危険極まりないので、掌大の小型情報端末も用意してもらった。
しかし懐かしいなコレ。仮想現実で義務教育を受けていた時以来だぞ。電脳空間では生身の設定だったから、みんなこれ片手にピコピコやってたよな。下手すると体感で二世紀ぶりくらいに見たかもしれん。
「欲を言えば作業用の多腕アームが欲しいな」
『申し訳ありません、上尉。設備の備蓄を殆ど丁種義体の培養ポッドに使ってしまったので、ここの工場設備は本当に脆弱なんです』
「わかってるさ。言ってみれば三至聖の誰かがプレゼントしてくれるかなと思っただけだよ」
四回にわたる太陽系紛争と二回の地球圏紛争で我等が母なる地球は吹き飛び、西暦の遺産は大半が灰燼に帰したため、我々の宗教は紛争以前と以後で随分と違う。
今の機械化人が崇めるのはA・C・クラーク、アイザック・A、R・A・ハインライン。三つのAからなる三至聖だ。前文明のデータから引き上げられた聖典に基づく聖人達のご加護で私は生き残ったようだが、流石に無茶なおねだりまでは聞いてくれない。
余談だが、この三至聖に幾つか加わる派生聖人がいるのだが、数列自我達には熱烈な聖T・Oと4Cの信奉者が多い。人工知能と人間の愛を描いた偉人だかららしいが、まぁ種族によって信仰が異なるのは普通のことだろう。
ともあれ、三至聖に丸投げするわけにもいかんし外を探索して、状況を確認した上で生きたデータを引っ張ってこないとな。
封鎖されていた施設の暗い廊下を─そもそも普通の義体は目が良いため、照明が最初から設置されていない─フ
ラッシュライトで照らしながら問い掛ける。
「施設は二千年、完全に封鎖か」
『はい。どのような形で情報汚染を受けるかわかりませんでしたので、ドローンすら飛ばしていません』
「堅実で賢い選択だ。だが……」
『はい、上尉との閉鎖回線に切り替えてバックアップしますよ』
言うが早いか、廊下の奥から一機のドローンが飛んできた。
小型の警備ドローンだ。アタッシュケースほどの大きさの本体に左右一対のティルトローターが備わり、ほぼ無音で滞空している。内部には通信器機と分析器機、それと万一に備えての護身用コイルガンが搭載された標準型調査ドローンで、この基地にも十五機ばかし配備されていたはずだ。
といっても、部品取りで使われてしまって、生きているのはこれを含めて三機だけらしいが。
基地との情報中継用に残しておくことを考えると、お供はコイツだけか。
なんとも寂しい供回り衆だな。かつては統合軍の兵士として数十の同胞、数万のドローンと共に戦場を駆け抜けた私の部隊が、たった一人と一機とは。
「君の可愛らしい顔がしばらく見えないのは残念だが、その内に取り戻そう。じゃあ、行こうか」
『はい、上尉。何処までもお供いたします!』
健気で愛らしい相方をお供に廊下を歩けば、二〇世紀にもわたって封鎖されていた、幾重もの隔壁が開いていく。ゴンゴン音を立てて、微かな埃っぽさ─クソ、性能が低いくせに敏感すぎるんだよな、生身のセンサーは─に鼻腔を擽られながら歩けば、ついに地上への偽装扉へと辿り着く。
向こう側で鳴り響く轟音は土が退けられている音だろう。やがて扉がゆっくり開き、私は凄まじい明るさに思わず手を翳して目を守った。
「これが……外か」
『……綺麗ですね、上尉』
施設が埋まっていた小さな丘の中腹からは、見渡す限りの大草原が広がっている。膝丈の草が元気に、青々と茂っている姿は大規模軌道環状施設育ちの私には新鮮だった。
核となる恒星を囲むように作られた合金の鉄環大地、人口の世界にも公園はあったけれど、こうも広く管理されていない自然は初めてだ。
戦場の地は幾つも踏んできたが、そこは軌道爆撃で掘り返された残骸と泥濘の山であったので、この青々しさとは真反対。思い切り息を吸い込めば、VRゲームで幾度となく楽しんだものより新鮮な、不愉快ではない青臭さのある新鮮な空気が肺を満たす。
「緑成す地平線。現実で拝んだのは初めてだ」
『弊機もです。最後に惑星表面を見た時は、まだ赤茶けた大地に灰色の空でしたからね』
天を見上げれば安定した大気層が太陽の光を散乱させて抜けるような蒼で染め上げられ、転々と白い雲がのんびり流れている。地球から離れ、自らその母星を砕く愚行にまで手を染めたにも拘わらず、旧人類が地球型惑星に住みたがる理由が今、少しわかったような気がした。
「さて、地図だが……流石に役に立たんよな?」
『震動を何度も検知してきました。地殻変動の兆候もありましたし、何より衛星とリンクできないのですべて手探りですよ』
ぶぅんとドローンが上空に飛び上がって、高高度から写真を撮って簡単なマップを作ってくれるが、手元の端末に生成されたそれはひどく狭い。まるで新作のオープンワールドゲームで唐突にフィールドへ放り出されたかのような未踏の大地感がある。
うーん、ゲームならせめて最初の行き先くらい示してくれるものなのだが。
惑星の磁場を頼りに極を探し当てて南北を設定したが、見渡す限りの草原に文明の痕跡はなかった。北に三〇キロメートルばかし行けば森が広がっているが、それ以外は丁寧にならされた微かな起伏のある丘ばかりで本当に何もない。
……もしかしてこれ、全部歩いて調査しろっていうのか? 普通、これだけマップが広かったら移動手段をさっさとくれるもんだろう。
現実はVRゲームほど優しくないなぁと嘆きつつ、私は現在の地図と旧い地図を照らし合わせ、まず近場の開発拠点を目指すことにした。
健在であるとは思いがたいが、何か使えるものが一つ二つ残っているだろう。後はえっちらおっちら持って帰って拠点の機能を回復させ、作れるものを増やそう。
そして、宇宙に上がる。そうしなければ、こんなちっぽけな惑星上では何が起こっているかなどわかりようもない。
せめて衛星付近に停泊していた母艦“ナガト7”や重力転移門まで行かなければ。我々を助けに来ていない時点で生き残っているとは思いがたいが、此処よりはマシだろうさ。
「まずは北だな。ここから二五キロか……遠いな」
『先に行って確認してきましょうか?』
「君との連絡手段を喪うわけにはいかない。緊密にいこう」
『承知しました上尉。後ろはお任せください』
まぁ、そう急ぐ旅でもない。脆いとはいえ、この義体は老いることもないし、私の脳殻に収まっている光子結晶が砕けるようなことがなければ死ぬこともないのだ。怪我をして動けなくなるほうがずっと拙いのだから、慎重かつのんびりと行こう。
「下草は千萱類か。通信帯が崩壊した後も誰かがコツコツやったようだな」
『そうですね。北に見える森の木は楢や楡です。惑星地球化標準フォーマットに照らし合わせた、旧地球の植生をそのまま使っていますね』
下生えを掻き分けながら歩いていると、ふと遠くに動くものが見えた。
おやっと思い目線を合わせると、隣でドローンが高度を上げた。無線接続でドローンのカメラと直結すれば、この肉眼より何倍も優れた解像度と望遠度の視界が広がる。
『……兎、でしょうか』
「おかしいな、我々の仕事は植生の管理までで、生物持ち込みは引き渡した後でやる予定だっただろう。設備もないのになんで生き物が……』
って、待てよ? 何か縮尺おかしくないか?
ドローンの高度が高いのを加味してもデカすぎ……。
そう思っていると、兎がヒョコッと立ち上がったではないか。
頭は私の膝丈の下生えより上に出る大きさなのも驚きだが、それ以上に驚くことがある。
服を着ているのだ。植物性の貫頭衣を纏い、腰にはナイフと思しき鉄器を紐でぶら下げて、物入れなのか革袋も幾つか結びつけてあった。
「は?」
『は?』
思わずハモった驚愕の声に驚いたのか、兎はそのまま頭を下げて姿を隠したかと思えば、凄まじい速度で走り去っていった。
お、おお、何て素早さ。時速四五キロ以上は確実に出ている。この筐体じゃ全力を出して精々三五キロ毎時が限界なのを考えると、とんでもない速度だぞ。
「え? もしかして第二種接近遭遇かコレ」
『兎型の高次知性体は今のところ確認されていませんね』
我々高次連には様々な種族が所属している。私のような機械化人、セレネのような数列自我は後から加わった組で、発起人は光子の波長が自我を持った光子生命体であるし、明らかに人間を食い殺しそうな─その実、凄くおだやかなのだが─粘液生命体や粘菌生命、あとは集結した藻類が高次知性を発生させた特異なケースまである。
その中で炭素基系と思しき兎はいない。衣服を纏い、道具を持っているということは間違いなく知性があるのだろうが、一体どうしたことか。
『じょ、上尉! 戻ってきましたよ! 増えてます!!』
「何っ!?」
敵対的なのかと思って拳銃嚢に手を伸ばす私。遠方から凄い速度で駆け寄ってくる兎達は特有の跳ねる走法であっと言う間に肉薄してきたかと思えば……数メートルのところでとまり、我々を囲むように円を描いてひょこひょこ二足歩行しはじめる。
これは、狩りをするため獲物を囲んで攪乱しているというより、踊っている?
謎の第二種接近遭遇に困惑する我々を余所に、兎達は兎特有の無表情を湛えたまま、動作だけは何とも楽しげにぴょんぴょこ踊り続けるのであった…………。
【惑星探査補記】
数列自我知性体。ホモ・サピエンス・マテーマティス。高度に発展したAIであり独創性や“想像力”を得たことにより、機械化人が新たな人類と認定し、自分達のパートナーとして側に置いている。
当人達は奉仕種族を自認しているが、機械化人的にはあくまで対等な存在として扱われる。
Ⅲ
「なぁ、何だろうかこれは」
『少なくとも敵意は感じられません。むしろ、歓迎されていますね』
兎達の奇妙な踊りは五分ほど続いただろうか。それから一匹の─いや、敬意を払って一人と呼称すべきか─兎が前にやって来たと思えば、深々と体を屈め、ふすふす匂いを嗅ぎ回った後にゆっくり走り出した。
何度も振り返って私を見ていることからして、付いてきてほしいのだと思う。
「ま、まぁ行ってみるか」
『そうですね。文明があるなら交流しておくに越したことはありませんし』
色々悩んだが、我々は現在行く当てもない敗残兵にして放浪者だ。少しでも文明があるのであれば、情報交換に繋がるかもしれないし、無為に歩き回るよりはいいだろう。
それに、彼等の持っている攻撃オプションを見る限り、この脆い体でも傷付けられることはなさそうだ。害意や敵意のようなものは感じないので、得られるもののほうが多かろうと私達は判断した。
困惑しつつ追従すると、行き先は奇遇にも我々が当初目指していた開発拠点であった。数時間かけて歩いて辿り着けば─畜生、この体は恒温性を保つための発汗が鬱陶しい。慣れてなかったら発狂してるぞ─開発拠点の廃墟がそこにあった。
兎の一人が人間では入り込めそうにない穴蔵に入り込んだと思えば、中が騒然となった。パタンパタンと足を踏みならす音、恐らく彼等の言語的コミュニケーションが交わされているのだろう。
やがて穴から出てきたと思えば、何十人と兎が続いてやってくる。出るわ出るわと驚いていれば、最後にはその数は百数十人にも上った。
群衆の中から、杖を突いた老齢と思しき個体がもう片方の肩を別個体に支えられてやってくると、最初の兎がそうしたように平伏した後、私の周りを萎えかかった足で一周した。
たった一周しただけでぜぇぜぇ荒い息をしていることからして、老齢で間違いないのだろう。彼等の老若を区別するのは難しいが、褐色や白が多い被毛の艶で何とか判別できそうではある。
「友好を示しているようだよな?」
『ですね。挨拶しておきましょうか?』
ドローンのカメラアイと見つめ合って圧縮電波言語で相談することゼロコンマゼロゼロ一秒、私は軍人の例に倣って掌を見せない航宙軍式の敬礼を捧げた。
するとどうだ、彼等のお眼鏡に適ったのか、兎達は一斉に跳び上がって喜びはじめ、私の周りをぐるぐるぐるぐる回り続ける。
おいおい、本当に何なんだ一体、このままだとバター、いや色的に生クリームになって溶けてしまうんじゃないかと心配になる勢いだ。
歓迎の周回は、やはりまた五分ほど続いた後、老齢の兎が私を導くように手招きしてくる。こういう仕草が人類と共通しているのは、誰かが教えたからなのか?
呼ばれるがままに進めば、そこには草を編んで偽装した蓋で巧妙に隠した緊急用の出入り口があるではないか。端子は粘土で埋めて劣化しないよう保護されており、接続しようとしたら何とか繋がりそうだ。
「入れということか」
『罠という可能性もありますが』
「……元々来る予定だったんだ。男は度胸、なんでも試してみるしかないだろ」
端子に封をしていた粘土を外せば、どろりと長期保存用の極小機械群があふれていった。この手の設備の入り口だけは、救助隊が数百年経って訪れてからも開くよう頑丈に設計されているので、その保全機能が生きているのだろう。
情報端末からケーブルを伸ばして直結すれば、誰何の信号が返って来る。
銀河高次思念体連合統合軍、待宵 望上尉の個人情報と軍籍コードを打ち込めば、私のセキュリティクリアランスで─クラスⅠ~Ⅴまであり、士官のそれはⅢだ─認証が通り、問題なく開かれた。
すると、再び兎達が大盛り上がり。一体何なのだと思いつつ、地面にぽっかりと口を開けた穴の中の梯子を下っていく。
内部は観測拠点に繋がっており、そこら中から土の匂いがした。自閉していた我々の拠点と違って、ここは早々に開け放ったのか色々なものが吹き込んでいるようで清潔とは程遠い。
ああ、もう、鼻がむずむずする。後でセレネに頼み、工房でガスマスクか全頭型ヘルメットを作ってもらおう。
「コンソールは……駄目か、死んでるな」
内部案内を見ようと、出口付近に設置されていたコンソールパネルに端子を直結するも反応がない。粘土の蓋がなかった分、酸素に触れ続けたせいによる経年劣化で壊れてしまったらしく、私は仕方なくカンに頼って施設をぶらつくことにした。
こういう建物は大抵統一規格で作られているので、構造は似通ってくるものだ。私の拠点と同じなら、こっちの角を曲がったら倉庫があるはず。
ビンゴ。大型の搬入口と気密扉にぶち当たったので、予想は間違っていなかったようだ。
また粘土を嵌めて保護されていた端子に情報端末を差し込んで開けば、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
兎達の集落だ。
なんというか、そこはひどく混沌としていた。
大型の配管や元は物資が詰まっていたであろうコンテナが無秩序に─しかし、崩れないよう相互に支え合っている─伸び上がり、歪な集合住宅を構築している。
ドアや仕切りは木製の籠や蔦を編んだ簾でできており、個々のスペースがきちんと仕分けられている。
「こいつは……凄いな」
『壮観ですね上尉』
ライトで照らして回れば、外に出てこなかった個体が顔を覗かせたり、びっくりして引っ込んだりした。なるほど、彼等は暗所でも平気な目を持っているから、街全体を照らす明かりなどは必要ないのだな。
しかし、本来は惑星開拓用の物資を貯蔵するために掘られた、数ヘクタールはある地下倉庫全体が市街地になっているとは。
「……そうか、大型の動物や敵対者が入れないよう出入り口を絞って、彼等が通れる大きさの穴道以外は封印して
あったのか」
なるほど、通るべきでない生物が通れないようほかの入り口を封印し、人間が通れる回廊を一つに絞っておく。
そして、基準がわからないが、歓迎すべき対象が現れて初めて扉が開かれると。
長らく開かれることがなかったと思しき扉が開いたことに兎達のテンションは絶頂に達し、そこら中で踊りが始
まった。ここまで見てきてわかったが、彼等は外見から察するにアナウサギに近い種類だから声帯がないのだろう。
だから声の代わりに、ああやってボディーランゲージや足を打ち鳴らす音でコミュニケーションを取っているのだ。
私が彷徨っている間に外から戻ってきた老齢の兎─便宜上長老と呼ぼう─が再び手招きしてきた。今度は別の通路に通じる扉で、同じく端子が劣化しないよう粘土で蓋がしてあり、同様に開いた形跡がない。
むしろ、黒曜石の穂先を持つ槍を担った兎の立哨が立っているのみならず、隔壁を守るように門が築かれていることからして、彼等の聖地か何かなのかもしれない。
立ち入っていいものか困惑しつつ、開かれた門を潜って端子にアクセスすれば、少し引っかかりつつも扉は開いた。
壁には照明も案内板もないが、雰囲気からわかる。私が眠っていたのと同じ、中央管制室に続いている通路だ。
兎達は正面に殺到し、今にも入りたそうにしていたが、長老が杖を振ってそれを押し止める。
そして、私に進むよう促した。
何だか腹が読めてきたぞ。
この兎達には知識と文明を与えた神ことプロメテウスがいたのではなかろうか。安全な住処を提供し、知恵を教え、文明を与えた神の如き何かが。
そして、それがこの最奥に存在しているのだ。
やっと二人きりから解放されるのかと心強く思いながら中央管制室に踏み込むと、そこには想像していたのと違う光景が広がっていた。
損傷再生槽を再利用したと思しき棺に横たわる一人の機械化人。
そして、その隣で佇むは、一機の数列自我が愛用する筐体。
人型なれどシルエットは完全なる異形な、機械の丸みと装甲板を有する筐体が遺体を守るように立ち尽くしていた。
くすんだ垂れ目がちのツインアイは曇って色を落とし、細い排熱用ファイバーの代わりに装備されるツインテール型の排熱フィンは左側が脱落していた。基礎となる淡い黄色の本体は経年劣化にくすみ、地金が見えている部分も多い。
完全に大破しているな。時間という鑢にかけられて耐えられなかった残骸だ。
その筐体が見守る機械化人には、葬られた痕跡があった。恐らく立体成形機で作ったと思しき枯れない造花が、経年劣化でグズグズになった体の周りに敷き詰められており、手は胸の前で安らかに組まされつつ軍刀を握っている。
顔に白い布を添えるのは、生前愛用していた刀を備えるのと同じく、機械化人が意味消失、自我を構築する二進数データが破損して“真の死”を迎えた際に弔いを行う儀式だ。
そして隣で沈黙している、これまた経年劣化で錆と傷みがひどい筐体。
きっと、この二人がこの基地の監督者であったのだろう。
「首の接続ポートは……駄目か」
『開頭してブラックボックスを取り出すしかないですね』
幸いにも兎達はここまで来ていない。私はこの基地に起こった異変を察知するべく、大変申し訳ないが機能を停止した数列自我の脳を開くことにした。
パネルを外し、流体金属からなる万能工具をネジ穴に合わせて回せば、幾つかの複雑な手順の末に開頭ができる。念のため、汚染されていても被害が端末だけで済むようコードを繋げば、奇妙な反応が返ってきた。
「ブラックボックスの全セキュリティが落ちてる。自我領域も全開だぞ」
『……待ってください上尉。これは』
通信端末と接続したセレネが内容を精査していく。すると、この個体の名前がティシー四〇八九五であると判明した。
それと同時、本来なら自我を収めているはずの光子結晶がすべて“近隣のデータベース”に上書きされていることも。
「光子結晶をデータベースに!? それは、それは実質自殺だろう!!」
『通常の記憶素子は揮発性が高いですからね……何としても情報を残したかったのでしょう』
光子結晶は、その性質上データが喪われることは破損でもしなければ起こりえない。極めて揮発性の低く、大容量の媒体ではあるのだが、それにも限界がある。故に我々は自我領域とは別の量子メモリに日常的な記憶を保管するが、これは耐用年数がたった五百年ほどしかないので揮発性が高い。軍の高官は副脳として光子結晶の記憶媒体を用意することもあるが、汎用型では専らそんな贅沢はされない。
しかし、何故彼女は自死に等しい行いをしてまでデータを残そうとしたのだ?
『データバンクの先頭にメッセージがあります。再生しますか?』
「……ああ、頼む」
浮かぶのは短い音声記録。プロメテウスが最後に残そうとした言葉。
『弊機は高次連第二二次播種船団所属、第二一物資集積衛星副管理官のティシー四〇八九五下尉です。このメッセージが心ある同胞に届くことを祈り、最期の言葉を残します』
淡々とした口調は数列自我らしいが、声が少し震えていた。感情制限処理を挟まず、魂に従った生の言葉を刻もうとするような生々しい過去の残響が脳に染み入っていく。
『弊機はもう駄目です。筐体が可動限界に至ったのもありますが、疲れてしまいました。パートナーは初期の動乱で逝き、弊機も今まで頑張りましたが、もう限界です……ですので、ここで終わります。統合軍人らしからぬ惰弱な選択をお許しください』
独白は静かに彼女が諦観に染まるまでを並び上げていく。
最初に彼女のパートナーが汚染されながらも、辛うじてネットワークから弾き出してくれて生き延びられたこと。何とかしようとしたが、衛星はすべて不通になった上、本隊との連絡も途絶してしまったこと。
地上に大質量弾が無差別に降り注ぎ、大量の艦艇が墜落してきたことによってテラ16thがあまりに早い氷河期を迎えたこと。
彼女も千年ばかし自閉状態と覚醒を挟みながら時を待ったが、救助が一向に来ないことに絶望して隔壁を開いてしまったようだ。
数列自我知性体は孤独に弱い。セレネが私の存在を縁に二千年を耐えられたのと違って、彼女は千年の孤独を揺蕩ううちに壊れてしまったのだろう。
その後、彼女は兎達を─シルヴァニアンと安直に名付けていた。何処かから怒られやしないだろうか─見つけ、この地の底辺被捕食者に近かった現状を憐れんで、住処と文明を与えた。
活動の範囲は広がり、今やこの地下拠点を広げに広げて当初の何十倍もの個体数が生息し、立体成形機に依存しない文明を作って生きているという。
そして、近隣の別知性体とも交流を重ねながら、今の国を造ったようだ。
しかし、それでも彼女の孤独は埋められなかったらしい。筐体の耐用年数がくるのを悟ると同時、くるかわからない目覚めに身を託すよりも、自我を抹消して誰かが来た時に備えたというわけだ。
きっと、彼女にとって自死よりも、来ない可能性が高い目覚めを待って就く眠りのほうがずっとずっと恐ろしかったのであろう。
事実、私達がやってくるという奇跡がなければ、ブラックボックスが開かれることはなかった。理性的で、そして絶望的な選択であったことに疑いはない。
『……データは丁重にいただき、元に戻しておきましょう』
「そうだな。二人はここで眠らせてやったほうが良い」
果てた機械化人と数列自我。同じ存在として、この部屋を墓標に選んだ遺志は尊重しよう。
兎達、シルヴァニアンはきっと誰かが来た時に備えて、ここに案内するようずっとずっと語り継いできたのであろう。
良かったなティシー、その願いは果たされたぞ。
おやすみ、兎のプロメテウス…………。
【惑星探査補記】
高次連において既存の宗教体系は崩壊して久しいが、ギリシア、ローマ、北欧神話などは信仰の対象ではないにせよ根強く残っている。
理由は偏に彼等の感性的に“格好いいから”であって、主に艦船名に用いられる。
Ⅳ
さて、最初のアテは外れたが、我々は大きな情報を手に入れることができた。
同時に、一つの絶望を得ることにもなったが。
シルヴァニアン達と出逢った夜、そういえば衛星はどうなっているのかとテラ16thの人工月を─これも態々丁度良い小惑星を引っ張ってきて造ったのだ─見に行った時、陽が沈んでやっと肉眼で観測できるようになった月の側に寄り添う孫衛星を見て、一瞬心が折れかけたのだ。
二つに折れた巨大な円環、それは重力跳躍装置。我等が高次連の主要銀河間移動手段であり、抗重力技術を用い“量子的縺れ”たらなんたらを利用して空間を意図的に歪ませ、膨大な距離のある二点間を一点に結ぶ門。
基本的に新しい惑星を開拓する時は“ランダム跳躍”という“宇宙のどこか”に跳ぶ方法で、誰も占有していない未踏破地域まで行って惑星開拓をするのだが……その大事な出入り口が砕け散って月の孫衛星になっていた。
思わず膝から崩れ落ちたね。転移直後に着工してから五十年かけて建造し、やっとこの任務が片道切符でなくなる巨大建造物が無惨に破壊されている様を見て。
助けが来ないのも納得だわ。なにせ本国では、我々がこのような様になっていることを誰も知らないし、行き先もわからないまま連絡が二〇世紀の間も途絶したことになっているのだから。
二十二回もやっている播種船団作業で初めての不祥事だぞ。こりゃ故郷で葬式挙げられてるどころか、大問題に
なって播種作業のやり方自体が変わっているかもしれない。もしかしたら首都に私の名前が書いてある慰霊碑とかもあるやもしれん。
だって、本国からしたら銀河級の現場猫が発生したようなものじゃないか。
その上、シルヴァニアン達の文明は鉄器と簡単な機械で止まっており、飛行機すら存在しない。
どうやって帰れというのだ。永劫に近い道のりの遠さに気絶しかけたね、マジで。
ついでもって、この基地の工場機能は死んでおり、構造物はシルヴァニアンの王国となっているため再利用はできないときた。
しかし、小さな希望もある。彼等の言語と現時点における近隣の情報を手に入れたのだ。
つまりほかの人類、ほかの文明が存在している。シルヴァニアンただ一種が惑星に自然発生したわけではなく、何らかの手が入っている可能性が生まれたのだ。
そこで、この惑星の地球化作業を最後までやり遂げた連中がいるのだろうから、まだ諦めるには早いと膝に力が
戻ったのだ。
ティシーが自死を選んだのは五百年前なので古い情報ではあるが、この辺りには複数種の生物が存在しているようであった。
その中でも兎達のプロメテウスは、この地下の王国で神として崇められていたらしい。
〔神様の伴侶よ/主よ/大いなる庇護者よ。その慈悲/優しさ/慈愛に感謝し、贄を捧げます〕
ティシーの残した情報─故に私達はティシーファイルと呼んでいる─には言語情報もあり、シルヴァニアンの言語基系フォーマットがきちんと入っていた。
流石に五百年前のものとあって現代語とは随分と違っているせいで、今は表記揺れまみれの翻訳が表示枠に投影されるばかりだが、解析は続けているのでそのうちに現代語へと近づいていくことだろう。
〔大儀である。では、今朝はこの子をいただこう〕
足を鳴らし、手振り身振りを交えて話すのは大変恥ずかしいが─というより、我々は言語を電波圧縮して交わすため、大気を揺らすコミュニケーションを捨てて久しいし……─慣習に従って、毎朝目の前に並べられる子兎達の中から一人を手に取った。
贄と称されるそれは、シルヴァニアンが神に敬意と感謝を示す儀式だそうで、ティシーが存命だった時は毎朝行われていた。
そして、その文化が私の到来と共に再開されたわけだ。
まぁ、贄といっても血生臭いものではない。私は目の前に並んだ五人の子兎の中から抱き上げた一人を……思いっきりモフった。
ああ~、もふ、もふもふ、ふわふわふかふかでちゅね~。
ティシーはもふもふした生き物が好きだったようで、仮想空間で兎を飼っていたようだ。そんな彼女が滅茶苦茶カワイイ兎達を導くこととなったら、そりゃモフらないわけがないだろう。
そして、一応の威厳付けとして、庇護を与える上での贄としてモフることを要求したわけだ。
合理的ではあるが、実にフェティッシュで生前の彼女がどのような人物であったか良くわかるね。ああ、恐怖に負けないで生きていてほしかったものだ。
〔余は満足である〕
〔ははー〕
ちょっと激しくモフられて鬱陶しそうにしていた子兎を解放し、毎朝のルーチンを終えた。
ここに来て五日、情報の整理は終わり、部品の回収も済んで為すべきことは粗方終えてしまった。今は元の拠点に使える物資を持ち帰って予備の装備を新造したり、通信中継ドローンの新規製造を行ったりしているのだが、どうにもここを離れづらい。
同じような境遇にあった同胞が守った国、彼等がやっと取り戻した信仰の対象として好かれていることなど、幾つか要因はあるが、やっぱり思うんだ。
マンパワーって大体の問題を解決するよなって。
私一人が歩き回ったって、得られる情報は高が知れている。
だってこの義体の貧弱さったらお笑い草だぞ。全力疾走は十数秒しか保たないクセして毎時三〇キロが限界ってところだし、時速二〇キロで巡航しても限界は数日。それをやったらクールタイムで更に何日か動けないので、活動範囲が恐ろしく狭い。
ティシーの情報では兎達は逃げ足が速く、個体数の多さと相まって調査員や斥候という一点では非常に頼りになる。
衛星が使えない今、足で情報を稼いでもらえたらとても助かるのではないかと思うのだ。
その代わりに私は自分達の工場で作れる物品を対価にしようと目論んでいる。
神様─正確には、その番の一種─と崇められて調子に乗っているわけではないさ。彼等の信仰を尊重し、その代わりにちょっと安全な働きをしてもらえたらなって思うだけだよ。
というか、ティシー信仰が長らく根付いて文化的根幹を築いている彼等に向かって、お前達が崇めていたのは神でも何でもないなんて言えるわけがないし。
私、そこまで無情でも空気読めない人間でもないんだよ。
さて、朝のお祈りも終わったし周辺探索の計画でも練ろうかと思っていると、急に通信が来た。丁種義体でも脳殻に通信機は備わっているため、いちいち端末を開かないでも視覚野のモニタにセレネからの通信が報せられるのだ。
「どうした?」
彼女は今、ドローンをメンテナンスのため引き上げ、序でに私の身体維持用物資を補充するため基地に戻っていた。
ここは辛うじて通信範囲内なので離れて行動できているのだが、拠点で問題でも起こったのだろうか。
『丁度今戻ったところですが、北の森から接近する熱源があります。数四十五』
「熱源? 大きさは」
『人型物体です。サイズはシルヴァニアンより一回り大きいくらいですね。ドローンが現地に到着したので映像を出します』
モニタが切り替わりドローンの監視映像が視覚野に映し出されたのだが……それは、なんとも形容に困る光景で
あった。
ゴブリンだ、ゴブリンがいる。
見た目は人間の子どもに近い。体高一〇〇~一二〇センチほどで軽い前傾姿勢にて歩く、茶色や緑の肌をした小鬼。造形は可愛らしいとは言い難く、尖った鷲鼻と長い耳は、私がVRファンタジーで何万何億と殺してきた雑魚敵と似ている。
しかし、決定的に違う所が幾つかあった。
彼等は部分的に機械化されているのだ。
目が単眼式カメラアイに置換されている個体もいれば、関節部が機械丸出しの個体もいるし、首筋からコードをはみ出させた者もいる。
皆荷物を担いで必死に走っており、前情報がなかったら間違いなく拳銃嚢に手を伸ばしていたであろう。
しかし、私は彼等を知っていた。
ティシーファイルのその二十五番目に記述があるのだ。
彼女による命名はテックゴブ。機械の小鬼という何の衒いもない命名はわかりやすくて良いのだが、奇を衒わない、悪く言えば見たままの名付けを行うために彼女の人柄が知れる。
ともあれ、そんなテックゴブは、北の大森林から発生した種族で工学的に優れた技術を持っているそうだ。
何よりも、こうタグが振ってあるの。
高知能、友好的と。
明らかに序盤の雑魚敵といった見た目に反して彼等は文明的で、シルヴァニアンと交易をしている。兎達が持っていたクロスボウは─コンパウンド式、かつ中折れ型の非常に先進的なものだった─すべて彼等との物々交換で手に入れたようで、関係は極めて良好であるとされる。
それは今も変わっておらず、長老からの聞き取りで確認済みだ。
「監視を継続してくれ」
『了解。ですが、様子が変です。指示があるならお急ぎを』
朝の儀式を終えて帰ろうとしていた長老を呼び止め、テックゴブ達が交易に来る時期なのか尋ねてみた。
すると彼は首を傾げ、いやそんなことはないと否定する。
〔懸念/疑問。予定外のことです。規定/約束だと交易は九〇サイクル/九〇日に一度。しかし、異人/小鬼/達は半月前/一五サイクル前に来たばかりです〕
ふむ、交易は一定期間で行われているもので、それは来たばかりと。
では彼等は何故……。
『上尉!! 警告!! 小鬼達が襲われています』
「……は? 敵は!?」
映します、と監視ドローンから送られてくる映像の中で、テックゴブの一団が戦っていた。
相手は、これまた形容が難しい特異な外見のドローンだ。
二枚の翼はフレームに金属と鋼線を捻り合わせた奇妙な構造で、合間合間に脈打つ肉が見える。正直、航空力学的になんで飛べてるの? と言いたくなる気色の悪い外見だった。
猛禽類にも似たシルエットではあるが、頭部は円筒形のカメラに置換されており、胴部には弾体発射装置と思しき武装を抱いているではないか。
そこだけが妙に生々しい、鳥の足が奇妙に目立つドローン……いや、あれも生物なのか? まるでわからんが、八機のドローンが小鬼達へ集るように襲いかかっていた。
コイツらはたしか、ティシーファイルの何番だったか、北の森に生息する敵対的機械生命体との記述があったな。極めて残虐で殺戮以外の交流を持たず、彼女も撃退するため何度も表に出たとの記録が残っている。
『形勢は不利と見ます。彼等には一撃でドローンを撃破する攻撃オプションがありません』
「そのようだ。というか、なんだあれ、電磁投射砲? なんだって私より先進的な装備を持っているんだ」
上空で遊弋する奇形の鷹が、群れから逃げようとしたテックゴブの頭を射撃で砕いた。
ドローンからの情報に依れば、あれは極小型のレイルガンだな。コイルガンより大電力を必要とするが初速に優れ、質量を加えれば破壊力は絶大。人型生物の頭を粉砕するくらいわけない程度の大火力だ。
倒れた個体は小型で肌がほかと比べて瑞々しく、非武装だったので子どもだろう。頭蓋が飛び散り、緑色の脳漿が地面へと無惨にぶちまけられた。
必死の応戦は、お世辞にも効果的とは言い難い。装甲に弾かれそうな機械弓は……いや、ほんとなんでかわからないが装甲を貫徹しているようだが、射手が三人ぽっちじゃ牽制にもならん。
近接戦用の槍や刺股は空を飛ぶ鷹には無意味。腹に抱えた砲で一撃離脱の遠距離攻撃をしてくるだけなので、射程内に入ってくることはないだろう。
唯一有効な攻撃オプションであろう機械弓も、鏃が食い込みはしても、鬱陶しそうにしているだけなので撃破するには何倍も攻撃を当てねばなるまい。
戦士階級と思しき武装した個体が円陣を組み非戦闘員を守っているが、櫛の歯が欠けるように無力化されていく。せめて地形の有利があればと思うが、薄い木々は逆に地上からの射線を遮るばかりで助けにはなっていなかった。
「これはいかんな」
『肯定します。九八・五二パーセントの確率で全滅します。基底現実時間で五分と保たないかと』
映像の中で、また一人テックゴブがやられた。時間的猶予はない。
「なら、私が救助する」
『しかし上尉! 彼等の砲は上尉の義体を十分に破壊可能です!! 危険すぎます!!』
「義を見てせざるは勇無きなり、と昔から言うだろう。シルヴァニアンの友人なら、恩恵を受けている私は守ってやる義理くらいある」
ティシーファイルの借りがあるのだ。私は兎達の仲間を守ってやるくらいしなくては、輪廻に還った彼女が安らかに眠れないではないか。
「機械弓が効くなら、このコイルガンでも対応できるだろう」
『それはそうですが……』
さっき頭を砕かれた子どもの個体に手を伸ばすテックゴブがおり、駆け寄ろうとする彼、あるいは彼女が別の個体に止められている。
憐憫を誘うには十分すぎる光景だ。
何よりも重要な情報源を狩られては困る。
私は電脳の火器管制系を起こし、丁種の脆弱な機体が許す限り最大限の速度で走り出した。周辺のシルヴァニアン達が驚いているが、説明は後にさせてもらおう。
「シルヴァニアンを戦わせるには辛い相手だ。やるしかないだろ」
『ああっ、もう、言いだしたら聞かないんですから……!』
「君はそのまま観測を継続してくれ。ドローンが壊れたら取り返しがつかんからな」
『……了解。聖T・Oのご加護があらんことを』
「ああ、君こそ三至聖の加護があらんことを」
何事かと慌てる兎達を置いて、私は非常脱出口から跳び出していく。
彼等が全滅するまで、あと五分。刻一刻と手の中から落ちていく命を、あとどれだけ助けられるか。
それは全部お前の足に掛かっているのだぞと、私は性能が許す限りの速さで現場に向かうのだった…………。
【惑星探査補記】
三至聖、及びほかの聖人。第二次太陽系紛争にて地球が粉砕された際に喪われたデータログの中で、辛うじてサルベージされた多数の“聖典”を記した者達を高次連の旧地球系民族は崇めている。
AIとヒトの愛を濃密に描いた聖T・Oが、数列自我にとっては最も信仰篤き聖人である。