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八彩国の後宮物語 ~退屈仙皇帝と本好き姫~
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八彩国の後宮物語 ~退屈仙皇帝と本好き姫~

著者:富士とまと イラスト:森野きこり

■第一章

仙人たちの住まうと言われる仙山。
 雲よりも高くまで伸びた仙山の頂上には、仙皇帝が住まう仙皇帝宮がある。
 そしてこの世は、仙山を中心として八つの国に分かれている。
 それぞれが特徴的な色を持ち、その色にちなんで国には名前が付けられていた。
 朱国、蒼国、金国、碧国、珊国、藤国、銀国、そして呂国。
 さて、物語は黒い色を持つ呂国の国家図書館の奥に位置する場所から始まるのでありました。
「お願いだ、どうか鈴華から婚約を破棄してもらえないだろうか」
 一ヶ月後の二十歳の誕生日に式を上げる予定の婚約者が、目の前で土下座をしている。
「ほ、本当はもっと早くに鈴華との結婚は無理だと言うべきだったんだが、君は姫様で、僕は小領主でしかない大夫だ。僕から婚約の解消の申し入れなどできるわけもないと……だから結婚するしかないと覚悟は決めていたんだ。君のことは嫌いじゃない。だけれど、その……どうしても、君と子孫を残す姿が想像できなくて」
 子孫を残すって、寝所の話? つまり女性として私を見ることはできないってこと?
「わかりました。私から父に結婚はしないと。婚約は白紙に戻してもらうようお願いします」
 土下座している夫になるはずだった男の前をさっさと立ち去る。
 あ、しまった。本を置いてきてしまった。
 図書館に取りに戻ると、元婚約者が友人と話をしていた。
「良かったな、いくら姫様でもあんな不気味な女と結婚しなくてすんで」
 不気味……? 彼らが私の話をしていると思った瞬間、とっさに本棚の陰に身を隠した。
 早く立ち去ってくれないかな。本を取れない。
「ああ、いつも背中を丸めて本を抱えて。何時間もそのままで、時々薄気味悪い声をあげる」
 私、本が大好きなんですっ。面白い本なら何時間もずっと読みますよね? 面白かったり関心したりすれば声をあげることもありますよ。
 本の読みすぎでちょっと視力が悪くなって、背中を丸めて本を近づけないと文字が読めないのでそんな姿勢にもなります。
「時々、コキコキと骨を鳴らす音が聞こえるんだよ。そのときの恐怖がわかるかい?」
 ずっと同じ姿勢だと体が固まってしまうから伸びをしますよ。骨が鳴ることもあります。
「それは大変だったなぁ。本の妖怪、希代の醜女姫とは見た目だけの話ではなかったんだな」
 え? 本の妖怪? 私って、本の妖怪って呼ばれてたの? 
「ま、これで心置きなくあの子と仲良くできるってもんだな。求婚するんだろ?」
「ああ。正式に婚約破棄されたらな」
 そういうことか。私のことは嫌いではないと言っていたけれど、好きな人ができたのか。真実の愛を見つけたんだ。すごいなぁ! まるで小説みたい! 
 それから、六年たったある日のこと。
「ただいま、鈴華お姉様」
 妹がにこやかな顔をして図書館に現れた。
 仙山の仙皇帝宮を取り囲むように、仙皇帝妃候補が住む後宮がある。二番目の妹は一番目の妹の役目を引き継いで妃候補として後宮にいたはずだ。
「あれ? 里帰り?」
「違うわよ! そろそろ結婚しようと思って後宮を辞してきたの。後宮生活は十分楽しんだから次の人に交代しようと思って」
「早くない?」
 首をかしげると、妹は顔をゆがませた。
「早くなんかないわよ! 十七歳から三年もいたの! 私ももう二十歳よ! 結婚適齢期を逃しちゃうでしょ!」
「え? もう三年もたったの? ……と、いうことは、もしかして私は今年……二十六歳?」
 妹がはぁーと大きなため息をついた。
「そうよ! お姉様ったら、自分の年齢もわからないなんて……」
「あはは。だってね、本を読んでいると時間を忘れるというか……」
「忘れすぎ!」
 妹の突っ込みに、侍女たちに食事の時間を忘れては叱られ、寝る時間を忘れては叱られていることを思い出した。
「もうっ! どうするのよ! 二十六歳なんてしっかり行き遅れちゃって! ああ、わかってる。結婚するつもりはないって言うのよね? まぁ政略結婚の必要もないし、お姉様がそれでいいならいいんだけど……。あ、そうだ! いいこと考えちゃったわ!」
 妹が嬉しそうに笑った。
「私の次、鈴華お姉様が後宮に行けばいいのよ! うん、ちょうどいいわ! お父様が次に後宮に送る姫はどうしようかと悩んでいたもの!」
 妹の言葉にぎょっとする。
「は? 私が、後宮に?」
「なんていい考えなんでしょう! 早速お父様に言わなくちゃ!」
 軽やかな足取りで図書館を出て行く妹。
「ちょ、ちょっと、待って! 私が後宮になんて!」
 う、うそでしょう? まさか、二十六歳の行き遅れの私が、今更後宮に?

■第二章

 あれよあれよという間に準備が進んで、後宮にやってきた。
 仙山の麓まで国の者に送られ、麓から山頂にある後宮までは仙山に住まう者が送ってくれた。
 そして、呂国の姫のお住まいはこちらになりますと部屋に通されて放置された。
 妹の話によると、後宮には八つの国の姫が住む宮があるんだよね。呂国の姫の私は、黒の宮と呼ばれる場所に住むことになる。
 住むからって、勝手に動きまわるのはまずいよね? 黒の宮の入り口にある部屋から先の案内は、黒の宮に仕える人になるのかな? 待ってればいい? 
「あなたが、新しい黒の姫でいらっしゃいますの?」
 声をかけられ、振り返る。
 綺麗! 目を覆う長い前髪の隙間から、目の前の女性の美しい髪を見つめる。
 本を読みすぎて視力が悪くなってからは、目を細めないと遠くがよく見えない。
 目を細めると睨んでるって言われるから、前髪を伸ばして目を隠すようにしてる。じろじろ見るのは失礼だとわかっているけれど、あまりに綺麗で見ずにはいられない。
「何かおっしゃいなさい」
 むっとした声が聞こえた。
「あ、ごめんなさい。あの、あまりにも綺麗な髪なので見とれてしまいました」
 と、素直に答えれば、目の前の女性は怒ったような表情を見せる。
「なんの嫌味 かしら?」
 嫌味? 首をかしげると、背後からくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「嫌味じゃないかもよぉ。黒くて醜い国の姫から見たら、あなたのそのすごぉく主張がうるさい真っ赤な髪も綺麗に見えてるのかも」
 後ろから聞こえてきた涼やかな声に、早口で返事をする。
「はい。私の国……呂国では黒目黒髪の人間ばかりで、初めて赤い髪を見ました。とても綺麗です」
 赤い髪ということは、朱国の姫だろうか。
「あらぁ、それは良かったじゃない。血の色みたいで不気味だと言われる赤毛も、真っ黒で汚らしい黒の姫には美しく見えるんだって。うふっ」
 私の後ろから現れた女性が、朱国の姫の横に並んだ。これまた、美しい髪をしている!
「まるで、日の光を受けてキラキラ輝く秋の稲のような素敵な色」
 金色でピカピカだ。
 私の言葉に、ぷっと、朱国の姫が噴き出した。
「稲の色ですって。稲。ふふふ、良かったわね。素敵な稲の色っ。ふふふふ」
 金の髪の女性……。金国の姫が、手に持っていた扇子を私につきつける。
「はぁ? 稲ってなによ! これは光色って言うの! あなたは闇色、不吉色よ! あんたなんか仙皇帝陛下のお目に留まるわけないから。そうだ、優しいあたしが一つ忠告してあげる」
 忠告? つまり助言ってことよね? 
 後宮の女性は競争心ばかりむき出しで、人のことを思いやるような人はいないと妹に聞いていたけど、親切な人もいるんじゃない。右も左もわからない私に助言してくれるなんて。
「汚い黒い髪で顔を隠しているってことは、よほど醜い容姿なのよね? ブスは直しようがないから可哀そうだけどぉ。その猫背すごくかっこ悪い。みっともない姿勢。姿勢くらい直せるでしょ。本当に醜い。ブスは直せなくても、姿勢は直せるのよ!」
 うっ。目が悪いため本を読むときに背中を丸めていたから、猫背になってしまったのは本当だ。そんなに見苦しいのかな? 
「仮にも、仙皇帝陛下の妃候補が集うこの後宮にあんたみたいなみっともない姫を送ったと知られれば、呂国は陛下の怒りを買うんじゃない? 知らないわよぉ、あんたのせいで呂国がどうなっても。」
 へ? 
「あの、妹……ああ、一週間前までいた私の前任者の呂国第三王女に聞いた話なんですが、陛下は後宮には姿を現さないっていう話ですよね?」
 今の仙皇帝陛下が即位して三十年。
 妃選びのために、八つの国の姫が一人ずつ後宮に入っている。
 寵愛を得て仙皇帝妃となった姫の国は栄え、怒りを買った国には災害があるらしい。
 姫は、一~五年ほど後宮に滞在し、陛下の寵愛が受けられなければ別の姫と交代していく。
「そ、そりゃ、この三十年、誰も陛下の寵愛は受けられてないけれど。で、でも今日にはお召しがかかるかもしれないでしょう! そして、お召しがかかるのは私に決まってるわ! だって、光色の姫なのだもの。私はそのためにここにいるのだもの」
「今日にでも? そうかな? 三十年も顔も見せなかったのに?」
 首をかしげると、金国の姫が小刻みに震え出した。
「私の美しさを伝え聞いて会いに来てくれるわ、きっと」
「そうだといいですね」
 仙皇帝妃が決まれば、呂国はもう送り出す姫に困って頭を悩ますことがなくなる。
「何よっ! 私が選ばれることはないって言いたいわけ? 酷ひどいわ! 自分が選ばれることがないからって、嫉妬なの? あなたのような醜女を送ったことで呂国が怒りを買っても知らないんだからっ! まぁ、仙皇帝妃の競争相手が一人減るのはありがたいですけれど!」
 金国の姫は、ずんずんと歩いて部屋を出て行ってしまった。えーっと、本心で言ったのに誤解された? それでも心配してくれた?
「あなた、今、前任の第三王女を妹って言っていたけれど、何歳なの?」
 朱国の姫の質問に小さくお辞儀して答える。
「名乗りもせず失礼いたしました。呂国第一王女の鈴華と申します。今年で二十六歳になります」
「はぁ? 二十六歳? 四年後には三十路でしょう! とんだ年とし増ま じゃないっ! 容姿が醜いだけじゃなくて、そんなばばぁを……呂国は何を考えているの?」
 年増。ばばぁ……。まぁ、確かに。後宮に送られる姫は通常十五歳~十八歳が多いと聞く。十八歳で入って三年いれば二十一歳だ。
 結婚適齢期が十八歳~二十二歳と言われているから、二十一歳で後宮を辞して国に戻るとぎりぎりそれなりの相手との縁談が結べる。
 ……二十六歳の私はすっかり結婚適齢期を過ぎて行き遅れの女だ。いくら姫の地位があるといっても、この年ではろくな縁談話はない。というか、婚約破棄以来、結婚の話などとんと出てこない。
 まぁ、結婚する気がないから全然平気なんですけど。だって、本を読むのが楽しすぎて、結婚して自由な時間がなくなるなんて嫌だもの。とはいえ、確かに年増と言われる年齢になってから後宮に入ることになるなんて、私だって想定外だった。そりゃ驚くよね。
「それが、本来は第三王女の次は、公家の次女を養女にして後宮へ行っていただく予定だったのですが、好きな方がいるからと断られました。その次の予定の第四王女はまだ十三歳で、成人するまでのあと二年、臨時で私が送られることになったのです……」
 どうせ仙皇帝が姿を現すことなんてないんだから大丈夫大丈夫と、妹は笑った。
 どうせ呂国の姫が寵愛を受けることなどないのだからと、お父様も笑った。
 そう、呂国の色の黒が悪いのか、単に偶然が重なっただけなのか、各国の姫を一人ずつ仙皇帝妃候補として後宮へ入れようという制度が始まってから千年あまり。呂国の姫が選ばれたことは一度たりともないのだ。
 仙皇帝陛下の仙術で、寵愛を受けた国は栄えるというけれど、呂国は民がそこそこ幸せに生活できる程度には栄えているので、特に寵愛を必要ともしてない。
 怒りを買うと災害が起きるというから、怒りを買うのはさすがにまずいけど、なんとかなるでしょ。もし怒らせても、謝れば許してくれるんじゃないかな。
 歴代の仙皇帝の本をいろいろ読んだけれど、年増の姫を後宮に入れたくらいで怒るとは思えない。過去の事例は、民に重税をかけたとか、他国へ侵略戦争を仕掛けたとかだったんだもん。
「あと、ほら、今の仙皇帝陛下がおいくつかもわからないですし……。もし十五歳なら、二十歳も二十六歳もどちらもばばぁだって思うかもしれないでしょ? 誤差だと思います」
 後宮では歳を取るけれど、仙皇帝宮にいる間は不老不死になるらしい。
 即位した年齢が十五歳なら三十年たった今も歳はとらずに十五歳のままだ。
 しかし、不老不死なのは「仙皇帝宮にいる間だけ」なので、別宅で過ごしていれば仙皇帝といえども三十年分の歳はとって四十五歳になる。
 即位した年齢も不明なら、どれくらいの時間を仙皇帝宮で過ごしているのかも不明となると、いったい何歳なのか、さっぱりわからない。
「はぁ? 誤差? 二十歳もばばぁ? だったらなおさらもっと若い姫を送るべきじゃない?」
「あ、……確かに」
 ぽんっと手をたたくと朱国の姫はこめかみを抑えた。
「確かにじゃありません。それに少なくとも、もっと美しい姫を送るべきでしょう!」
 ブスを後宮に送ったから腹が立った、災害を起こしてやるっ! なんてことはないはずだよ?
「ご心配ありがとうございます」
「しっ、心配なんてしていませんっ!」
 朱国の姫はぷいっと顔を背けて去って行ってしまった。