01Short Story特典SS
【特典SS】秘密の卒業式
アムール地方の代理領主になって二年が経った、とある冬の日。
定期報告と父上にある提案をするため、僕は久しぶりに王都へ帰ってきた。
頭のかたーい父上の説得は兄上を頼るに限る。
というわけでまずは味方を作るために、僕は約束を取り付けていた兄上の執務室を訪ねていた。
ソファに座るよう促され席につくと、兄上は僕の正面の席に腰を下ろす。
軽い雑談を交わして近況報告をしたあと、僕は本題を切り出した。
「兄上、まずはこれを見てほしい」
相手を説得するには机上の空論を重ねるより、証拠を提示したほうが早い。
僕は持参した報告書を渡し、兄上が目を通し終わるのを待った。
「わずか二年で、ここまで黒字に転換させるとは……アムール地方の復興は順調そうだな」
顔を上げた兄上は、そう言ってふと口元を緩めた。
「みんなが頑張ってくれたおかげだよ。残り一年で、もっとよくしてみせるよ。それで兄上、実は相談があるんだけど……」
僕が代理領主の任期を終えたあと、アムール地方の人々が困らないようにしたい。
そう伝えた上で、後任の領主については、現地で選出した候補の中から市民の投票で選びたいこと。そのために、任命による代理領主制度の廃止を父上に提案することを伝え、共に進言してくれるよう頼んだ。
「……お前の言い分はわかった。しかし爵位もない、後ろ盾のない弱い領主は、他領の貴族に搾取されるぞ。どうするつもりだ?」
「ないものは、作ればいいのさ」
「まさか、爵位の授与まで提案するのか……!?」
「領地復興の立役者には、相応しい報酬があってもいいでしょ? これまで一緒にやってきたんだ、後任選出者の人となりは僕が責任を持って保証するから」
「そこまで言うなら、相当自信があるのだな?」
発言の真偽を問う兄上の眼光は鋭い。昔はこの突き刺さるような視線が苦手だったけど、今は逆にとても頼もしい。
兄上の鋭い眼光を味方にできれば、父上は必ず耳を傾けてくれる。それくらい兄上は父上から信頼を寄せられているからね。
「もちろんさ! アムール地方には豊富な魔石鉱山がある。魔石の加工技術や設備も整えているから、これからもっと発展するだろう。領地改革を止めずに心強い味方につけることは、国政を盤石なものにするのにきっと役立つと思うんだ」
もちろんノーブル大商会も全力でサポートするからと加え、僕は内心少しだけ緊張しつつ、兄上の返答を待った。
「アレクシス……お前はなぜ、そこまでして王位継承権を放棄しようとする?」
しかし兄上から返ってきた言葉は、あまりにも予想外の質問だった。
「それはもちろん、立派な兄上がいるからさ。僕に王位は似合わないし無益な争いなんてごめんだからだよ」
「……知ってるか? お前が嘘をつく時、呼吸が変わることを。息をつくのも忘れるくらい、何を必死に隠しているのだ?」
痛いところを突かれて、僕は思わずはっと息を呑んだ。
「……いやだな、なんのこと?」
一拍遅れて白々しく笑顔を作っても無駄で、兄上はもちろん騙されなかった。
「ははっ、やはり兄上はごまかせないか……」
本当のことを言えば、【王族としての自覚を持て】と、小言と説教コースだろう。ああ、実にめんどくさい。
けれどじっとこちらを見つめる兄上の鋭い視線は、答えるまで注がれ続けるに違いない。結局根負けした僕は、正直に話すしかなかった。
「……どうしても、叶えたい夢があるんだ。王位継承権があると、僕の夢は叶えづらい。だからそのために……できることを、やってた」
僕の言葉に兄上は「そうか」と呟き、黙り込んでしまった。
しばらくして、「王族としては止めるべきだろう」とはっきり告げた兄上を見て、小言と説教の始まりだと僕は身構える。
「だが兄としては、お前の夢を応援したいとも思う。お前が子どもの頃からやってきた奇想天外なことは、その夢を叶えるためだったのだろう?」
「……奇想天外なこと?」
「挙げればきりがないが、野生の精霊獣と契約を交わしてきたのも、いきなり商会を作りたいと言い出したのも、違うか?」
図星を突かれ、僕は驚きで目を丸くする。
そんな僕を見て兄上は、「やっぱりな」と軽く息を吐き、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「まったく、兄上にはかなわないな。夢のためでも、決して国政の邪魔になることはしない、だから……」
「お前の持て余すエネルギーを正しい方向へ使えるうちは、多少のことは大目に見よう。城内でイタズラばかりしていた悪童に戻るより、百倍マシだからな」
「イタズラじゃない、実験だよ! だってやらないで後悔するより、やったほうがいいでしょ?」
兄上はいつも慎重すぎるんだよって付け加えると、なぜか残念なものを見るような視線を向けられてしまった。
「今はそのあとのリスクについても考えられるようになっただけ、成長したってことだろうな……父上には、俺からも進言しておく」
昔は厳しい指導も多くて苦手な兄上だったけど、それは僕のためを思ってのことだった。
だからそれを知ってから僕は、こうして素直に頼ることを覚えた。
まぁ、怒られるようなことをした自覚もたくさんあるから、僕が悪い面もあるけれど。
「ありがとう、兄上!」
やはり兄上を頼ったのは正解だったと喜んだのも束の間――
「ただしこれをこのまま父上に見せるのは、やめたほうがいい。ケアレスミスを三箇所見つけた。そして稟議書の書き方も、甘い」
きちんと見直したのに、そんなバカな……相変わらず冷静に容赦ない指摘をする兄上に、僕の頬は思わず引きつる。
完璧主義な兄上のこと。ミスを見つけたらやることは一つしかない。
「これから俺が、起案を実現する稟議書の正しい書き方を教えてやる」
案の定僕の嫌な予感は的中し、兄上はそう言って控えていた書記官に分厚い紙を持ってこさせた。
えっと、それ……何回書き直す前提の量なわけ?
「さぁ、始めるぞ」
兄上のそんな悪魔のような掛け声を皮切りに、結局その日は一日、正しい稟議書の書き方の指導を受けるハメになってしまった。
まぁそのおかげで、なんとか父上の許諾を得られたのは不幸中の幸いってやつだったのかな。
翌日。王都でやるべきことを片付けた僕は、アムール地方へ帰る前に、久しぶりに王立アカデミーに顔を出した。
父上との約束の期限まであと一年、王都に帰る予定はない。
卒業式に参加する時間が取れない僕は、先生たちに挨拶をして卒業証書をもらい、学園長室をあとにした。
「案外、呆気ないものだったな……」
もらった卒業証書を眺めても、そんな感想しか浮かんでこない。
通ったのは一年の途中までで、その後は籍だけおいてアムール地方の領地改革に励んでいた。思い出もそこまでないし、仕方ないか。
それに社交界の延長線上のような学内は、僕にとって退屈な場所だった。
愛想笑いを浮かべ、言い寄ってくる女子生徒たちを適当にあしらって、品行方正な第二王子の仮面を被るだけの空間はちっとも楽しくなかった。
それでも一つだけ心残りがあるとするならば……せめて一つくらい、学生らしい思い出をヴィオと一緒に作りた
かったな。
学年が同じだったならよかったのに、残念ながらヴィオは僕より一歳年下だった。
制服姿さえ見ることも叶わなくて……はっ! 今ならそれが叶うのでは?
胸の内ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認すると、時刻はすでに放課後の時間だ。もしまだ帰宅してなければ、会える可能性がある!
急いで屋上に向かった僕は、校庭を見渡しながら耳を澄ませ、風を頼りにヴィオの音を探した。
しかしどこにも感じられない。
もう帰ってしまったのだろうか……がっくりして項垂れると、視線の先にせっせと花壇の世話をしている女子生徒の姿を見つけて、鼓動が大きく跳ねた。
裏庭で作業をしている緑髪の女子生徒、それは紛れもなくヴィオだった。
はやる気持ちを抑え、僕は一目散に彼女のもとへと走った。
呼吸を整え、僕は周囲の様子を観察する。貴族たちの前で話しかけるとヴィオに迷惑をかけてしまうから、この
チェックだけはいつも怠らない。
好都合なことに、放課後の裏庭は閑散としていて、他に人の姿は見当たらなかった。
邪魔者がこないように風のシールドを張って、僕は足を進めた。
熱心に作業をするヴィオは、僕が近づいてもまったく気づかない。
作業を中断させてしまうのは忍びなくて、ヴィオが立ち上がって振り向いた時に、僕は声をかけた。
「やぁ、ヴィオ。元気にしてたかい?」
「え……アレク!? どうしてここに……!?」
こちらを見て、ヴィオは大きく目を見開くと、驚いた様子で僕の名を呼んだ。その声を聞けただけで、嬉しくて思わず頬が緩みそうになる。
それに念願の制服姿は想像以上に可愛くて、少女のあどけなさが抜けたヴィオは、会えなかったこの二年の間に一段と綺麗になっていた。
「父上に定期報告がてら、ついでに卒業証書をもらいに来たんだ」
右手を挙げて卒業証書の入った円筒を見せると、ヴィオは事情を察してくれたようで落ち着きを取り戻した。
「そうだったのね。卒業式にも出られないなんて、大変ね……」
ヴィオがそう言って、寂しそうに眉根を寄せて微笑んだ時、どこからともなく円舞曲が流れてきた。
「きっとダンス部ね。卒業式に向けて、一般生徒に向けたダンス練習会を開いているらしいわ」
部活動用の別館に視線を向けるヴィオの言葉で、卒業式のメインがダンスパーティーだったことを思い出す。
たしか三年間の感謝を込めて、家族や友人、恋人など、気持ちを伝えたい人にパートナーを事前にお願いして参加する習わしだったな。
王位継承権を無事に放棄して、僕の抱える問題をすべて取り払えていたら、ヴィオにパートナーをお願いしたかった。
しかしそれはどう足掻いても、現状では叶わないこと。
「ヴィオ。よかったら一曲、僕と踊ってくれないかな? 学園生活最後の思い出に……君と一緒に卒業式がしたいんだ」
残った未練が無性に悔しくて、気がつけば僕はそんなことを口走っていた。
「…………え? でも私、こんな格好だし……!」
僕の突拍子のないお願いに、ヴィオはひどく困惑した様子だった。
ここは城下ではなく、貴族が通う学園だ。確かにそんな場所でレディに対して、土いじりをして汚れた格好の時にダンスを申し込むのは非常識だったかもしれない。
僕は全然気にしないけれど、ヴィオの立場になってみたら戸惑うのも無理はない。
「ちょっと待って、せめて手を洗ってくるわ」
園芸用のグローブを外し、慌てて手を洗いに行こうとするヴィオの手を、僕は咄嗟に掴んだ。
「大丈夫、僕にまかせて」
風魔法を唱え、優しく彼女の手や制服に付着した土埃を払う。
「ありがとう、綺麗になったわ。でも、本当に私でいいの? こういうのは意中の相手を誘ったほうが……」
気を遣ってくれるのは嬉しいけど、心配してくれるヴィオの顔にまったく脈を感じられなくて、地味にへこむ自分がいた。
僕は最初から意中の相手にしか申し込んでないんだけどな……君でいいんじゃない、君がいいんだよ。
でも今は、まだ言えない。
僕が中途半端に余計な想いを告げたら、ヴィオを危険に巻き込んでしまう可能性がある。それだけは、絶対にだめだ。
だから笑顔を作り直して、僕はいつものように平静を装って明るく言葉を返した。
「家族や友人と参加する人もいるでしょ? それに優しいヴィオなら、卒業式にも参加できない哀れな友人の頼みを、無下に断ったりしないよね?」
こんな聞き方がずるいのはわかってる。
それでも僕は、どうしてもヴィオと一緒に踊りたかった。
たとえ正式な卒業式じゃなくても、学園生活の最後に、君と一緒の思い出がほしい。
「わかった、付き合うわ」
優しく微笑んで、ヴィオはそう言ってくれた。
「ありがとう、ヴィオ!」
言質が取れた瞬間、僕は満面の笑みを浮かべ、仕切り直してヴィオをダンスに誘った。地面に片膝をつき、右手を差し出し問いかける。
「僕と一曲、踊っていただけますか?」
「ええ、よろこんで」
重ねられたヴィオの手を軽く持ち上げ、形式に則り手の甲にキスを落とす。
それから僕たちは、別館から聞こえてくる円舞曲に合わせて、ダンスを踊った。
美しいドレスも、豪華に飾り付けられた会場も、楽団の生演奏もない。
けれど優雅に揺れるヴィオの緑髪は、陽光に照らされてキラキラと輝く。
そうして自然のライトを浴びながら、綺麗に咲き誇るプリムラを背景に華麗なステップを踏むヴィオの姿は、まるで神秘的な森の女神様のように美しい。
幸せな時間を噛みしめ、僕はしっかりと、この光景を目に焼き付けた。
学園の裏庭でひっそりと行った、二人だけの秘密の卒業式――この日のことを、僕はきっと一生忘れない。
あと一年。父上に与えられた任務を必ずやり遂げて帰って来るから、その時は――今まで伝えることができなかったこの気持ちを、ヴィオに伝えたい。
ずっと前から、君のことが好きだったんだ――と。